『ゴミ』は捨てなきゃ
昨日、門限ギリギリで帰って、2つ年上の寮長さんではなく、葵ちゃんに叱られてしまった。一週間前の事故の件もあり、町全体が何処と無くピリピリしているらしいのだ。そして、車の事故以外の事故が起こらないかと、心配しているのだ。
私に言わせれば、そもそも住宅街全体に車が来ないという事自体が安全対策の極みだと思う。まぁ、それが破られたから、みんな焦って警戒しているとも言えるのだけれど。
そしてそんな警戒態勢が敷かれている中、なんと、小学生とか中学生とか、1年生とか3年生とかは関係無く、本当の意味で『全学年』の生徒が、町中のゴミを拾うという年間行事が行われるらしい。しかも明日行われると言うから驚きだ。
こんなに急では驚かずにはいられない。まぁ、年間行事予定表は入学式の次の日に渡されたのだけれど。でもまだ何も無いだろうと油断して見ていなかったのだ。
「では、1年B組第4班。メンバー確認をしますね」
柔らかい声で、現代社会そのものを支えるとまで言われる大金持ち《春瀬家》の御令嬢―春瀬 茜―がメンバーの名前を呼んでいく。私もメンバーの1人なので、呼ばれて普通に返事を返す。茜ちゃんはニッコリと笑みを返した。
全員いるのか、満足げな笑みを浮かべて、茜ちゃんは「行きましょう」と言った。
私達が担当するのは、青桐町の南。工場が多く立ち並ぶ場所だ。使われなくなった背の高い廃ビルから、小さな鍛冶場まで。色々な高さの、とにかく何かを作るための建物が集まっているエリアなのである。それはもう、そこら中からいろいろな音が聞こえてきます。
金属を叩く音。そしてそれを冷ます時に聞こえる水蒸気の音。ベルトコンベアーが動く音に、何かと何かを溶接する音。そこに混じる、怒声と間違えそうな掛け声に度々驚きながら、指定されたポイントへと急ぎ足で向かっていた。
遅れているわけではない。むしろどの班よりも早く出て、このペースならどこの班よりも早く作業が終わる予定だ。
「―― 此処ですね」
「あまりゴミらしいゴミは無いけど」
「それはもう、この青桐町南部に位置する工場エリアでは、ある程度の廃棄物をまとめてリサイクルする事の出来る場所もありますから。基本的に出るゴミというのは、何かの拍子で飛んできた鉄屑ですとか、何処か遠くから風で運ばれてきた紙屑ですとか、その辺なのです」
丁寧に説明してくれた茜ちゃんは、早速、電柱の裏にあったガムの包装紙を火バサミでつまみ上げ、学校で支給されたゴミ袋へ入れた。
彼女が言うには、清掃系の機械の実験で、この辺りは見える部分の掃除が行き届いているらしいのだ。逆に言えば、見えない部分や普通は見ない部分は掃除されていない。
此処に一般住居は存在しない。あっても、職員用のアパートぐらいらしい。そういう所に住んでいる人は朝早くに出かけて夜遅くに帰宅する為、道の宗司は殆どしない。だから、近道に使われる裏通り、ポストの裏など、とにかく普段何とも思わない場所にゴミが溜まるとのこと。
その辺りを重点的に探す事になった。
「あったよー」
「あ、こんなところにも?!」
「おっ、みっけ!」
男女混合の班は、四方50mの中央辺りを女子、外側を男子が担当する事になった。私も中の方を重点的に探してはいるのだけれど・・・・。
みんな、どうやって四方50mの大きさを把握しているのだろうか。
「藍菜ちゃん、そこ男子ゾーンですよ」
「ふぇ? そうなの?」
「はい。此処から、あそこまで、そうですよ」
正直、茜ちゃんの言う『あそこ』が何処なのかが分かりません。片手にゴミ袋を、片手に火バサミを持っている茜ちゃんは袋を掴む右手の人差し指で『あそこ』を、火バサミを掴む左手で『此処』を指している。うん、分からない。
茜ちゃんには、このコンクリートの道がどう見えているのだろうか。
「ある程度集まったら、帰りましょうか」
そう言った茜ちゃんのゴミ袋は、ある程度、というか、もうどこからかき集めたのかいっぱいになっている。いくらレジ袋程度の大きさとはいえ、よくもまぁ小さなゴミだけでこんなゴミ風船を作れたなぁ。普段の掃除もこんな感じなのだろうか。
「あのさ、この掃除で一日終わるっていうのはどうかと思うのだけれど」
「・・・・そうでしょうか? 町が綺麗になって、こちらに来たばかりの人はこの町の事を知られて、一石二鳥ではありませんか」
さすが資産家、大金持ちの御令嬢。小さな子供から同い年から果ては死人まで、常に敬語を使っている。感心を通り過ぎて恐怖さえある。なんでも、ご両親や使用人にまでこの喋り方を通すらしいのだ。彼女にとってはこれでも崩した喋り方らしい。
裏通りの狭い通路のゴミを拾いながら、隣で私の手を見つめる茜ちゃんの事を考える。
変とも、不憫とも思わない。
ただ、彼女は「そう」なのだ。
小さい頃から「そういう生活」を送ってきただけなのだ。
彼女と私達の言う「タメ口」というのは、ただ口調が違うだけなのだ。
変ではない。
ただ、周りが「そう」じゃないだけ。
「あの、藍菜ちゃん?」
「ん?」
妙に手の辺りが重くなってきた頃に、茜ちゃんが心配そうな声色で話しかけてくる。あれ、何か変なことでもしただろうか。
「そろそろ、帰りませんか? ほら、一杯集まりましたし」
「え・・・・あ、ホントだ」
見ると、私の手の中にあるゴミ袋が満杯になっていた。紙屑、鉄屑、歪んだネジ。色々入ったゴミ袋が、そこにあった。今にも溢れそうなほど入っていて、本当に、ネジの辺りなんて破けていないのが不思議なくらいだ。
茜ちゃんもゴミ袋を1つ(確か3つぐらい一杯の状態になっていた気がする)持ち上げて、既に閑静な住宅街へと戻っている道に出た。どうやら、みんなはもう引き上げてしまっていたらしい。
茜ちゃんは私より若干低い背で、私とよく似た髪型をしている。後ろ姿だけなら、双子だと思われるかもしれない。もっとも、言うまでも無いが顔の方は全く違うのだけれど。何しろ彼女はかわいくて、垂れ目をウィンクした時など、班の男子が目をハートにしたほどだ。
体形はそれなりに似ていると思うけど、顔だけでこうも扱いが変わると・・・・ちょっとショックかなぁ。
「どうか、なさいましたか?」
「あぁ、ううん、何でも無いよ。茜ちゃんかわいいなぁ、と思ってさー」
私の言葉を聞いて、茜ちゃんは右の人差し指を顎に付けて、何かを考え始める。
「私がかわいい、ですか・・・・。初めて言われましたね」
「えっ?! 初めて?!」
「? はい。お母様、お父様・・・・屋敷のメイドや友人に至るまで、言われた事はただの1回もありません。ついでに、言いかけられた事も、無い、ですね」
純粋に驚いた。
彼女は、絶世の美女でこそないものの、不思議な魅力を持つ少女なのだ。目が大きく、口は小さく、決して平凡な容姿ではない。指は細いし足もすらっとしているし、バスト・・・・も、私と同じくらいで、その・・・・ちょっと小さめだけど、体形と合っているし。
そう、決して、美しい女性ではない。けど、普通の少女では無いのだ。かわいい、という形容詞が似合う少女である事も、間違い無いのだ。
だから、驚いた。
彼女は、私に言われるまで『かわいい少女である』と言われた事が無いのだ。
正直、信じられない。
「本当ですよ?」
私の心を見透かしたかのように、クスクスと笑いながら呟き程度に言う。歩きながら一回転して、ただ、小首を傾げてこちらを見ている。
「さてと、いつ帰っても良いのですが、グループ全員がいないと解散が出来ないのがルールなのです。早く帰らないといけませんね♪」
「そ、そうなの? 分かった。急ごう!」
「ええ。あ、でもそんなに急いでも――」
茜ちゃんは、走り出す私に手を引かれる。
そして、そのまま私達は、学校へと向けて一緒に走る。
―― 予定だった。
何が起こったのか? それはもう、頭の中にインプットされている。
また、繰り返す。その感覚が、私を襲ったのだ。
繋いだ手が離れる。
茜ちゃんは、何かを言いかけていた。
何を言いかけていたのかは定かではなかった。
大きな音が耳を塞ぐ。
大きな障害物が視界を遮る。
恐怖が、走り出そうとした身体を凍らせた。
建設中、もしくは解体中のビルの横だった。
学校へ着くならどの道でも良いだろうと、わざわざ高いビルの真横を通るという選択肢を選んだ為だ。
本当に高いビルで、使われる物資もそれはそれは大きい物ばかり。
風にあおられたのだろうか?
それとも、機械の操縦ミス?
支えているワイヤーが切れた?
・・・・。
違う、と、思った。
高い、高い、ビルの上。
そこから落ちてきた真っ赤な鉄骨。
私の『大切な何か』をグチャリ、と簡単に潰して、1回飛び跳ねる。
真っ赤な何かが飛び散る中、跳ねた鉄骨の先に一瞬、見えた。
小学生くらいの女の子だ。
けれど、そんな子がいるなんて、ありえないのだ。
何故かって?
町の南は、小学生の担当する地区が無いからだ。
じゃあ、あの子は誰なのか?
心当たりが、ある。
最初に『繰り返した』あの時。
あの時の真っ白な少女と、どこか雰囲気が似ているのだ。
―― あの子が
・・・・目の前に飛び散った赤いもの。バウンドして、何度かそれを踏み潰す。もう潰せる部分が無いくらいに。何度も。何度も。
私の頬に、制服のブレザーに、ちょっと温かいアスファルトに、それを踏み潰し続ける鉄骨に、赤いものが飛び散って、付着する。粘性のあるそれは、触るとヌルヌルとして、まだ熱を帯びていた。けど、頬や、ブレザーに付いた瞬間、冷たくなっていく。
狂おしいほどの吐き気が来る前に、私の視界が段々と暗くなる。
まただ。
また。
繰り返すのだ。
覚えておかなきゃ。
今この瞬間の事を。
忘れてはならないのだ。
今この瞬間の出来事を。
・・・・私の中から、一瞬、茜ちゃんという人物の記憶が、消えた。