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かつての夏の日

 繰り返さなかった。

 私の世界は、繰り返す事が無かった。

 多分、亡くなったのが私の全く知らない人だったからだと思う。

 入学式当日の放課後に起こった事件は、寮の住人達の集まる食堂に置かれたテレビから流れ、寮の住人達の目線を集中させる。

 冷静なニュースキャスターによると、あの時目の前を通り過ぎたトラック。正確には運転手が、眠ったままアクセルを踏んでしまっていたらしい。後で葵から聞いたけれど、住宅街には『車が入ってはいけない』という暗黙のルールが存在していたらしく、その所為でみんな驚いていたようだ。

 絶対車が来ないはずの場所にトラックが、しかもかなり大きい物が突っ込んできたのだから、それは驚くよね。しかも、寮と学校を結ぶ道で起きてしまったのだから。

 トラックが突っ込んだ家には、人がいなかったらしい。ただ、死傷者が1名・・・・運転手が、潰れたトラックの中にいた。

 自業自得、という言葉では決して表せない。私は、残虐な音と冷酷な色に覆われたあの世界を、僅かに、本当に僅かに覚えている。あの世界では、藤黄君がブレーキの代わりとなって運転手は助かっていた。確かそうだったはず。

 今こうして、友人の死に対する悲しみが無いのは・・・・ひとえに、そんな残酷な光景があったためだ。ただそれとは違う道を歩んでしまった所為で、助かるはずの命と、助からないはずだった命が、入れ替わってしまっただけ。

 ちなみに。葵を伝って聞いたのだけれど、登校2日目にして、藤黄君は欠席届を出したらしい。昨日あんな事があったのだ。心臓の弱い藤黄君が休んでも、それほどおかしな事ではない。

「違う、違う。藤黄君は、ただ単にお店のお手伝い! 普段成績が良いから、ある程度休んでも先生からは文句言われないの!」

 と、葵に言われるまで、私は結構本気で心配していた。どうやら無駄骨だったようなので、胸を撫で下ろしたけれども。とりあえず、大丈夫なのだと分かって、ホッとした。うん。ホッとした。


「―― と、思っていた矢先にこれだからねー」

 あはは、と笑う藤黄君。その笑顔は、昨日悲惨な事故を目の当たりにしたとは思えないほど清清しくて、そもそも、本当に事故の目撃者なのか問いたくなるほどだった。私も当事者だというのに。

「本当だよ! 『事故大丈夫だった?』に対する返信メールの内容が『大丈夫。でも休みます』だったら、いつもどおりお店のお手伝いかと思っちゃうよー」

 葵が涙ぐみながら、真っ白なベッドの上で鼻をすすった。いや、その内容だったら、普通は心臓の弱い人が体調悪くなったのか、大丈夫かなぁ。と心配するのではないだろうか。

 ・・・・あ。藤黄君なら、例外かもしれない。

「はは。面目無い。昨日帰った後で急に、ね。ははっ」

 そう笑う藤黄君は、水色の、入院した人が一度は着る服を身に纏っている。簡易で質素な服だ。

 ここは青桐町の病院。

 個室の割に広い部屋は、全体が白い。とにかく白い。ベッドの金属部分も、シーツも、マットも、枕も、棚も、ミニテーブルも、窓枠も、床も天井も壁もカーテンも・・・・。

 とにかく、白い。

「何か・・・・清潔感がありすぎて、逆に異様な気がするよ」

「慣れて」

 そう言ったのは藤黄君。笑顔で、グッと、胸の前に拳を作った。その横で葵がうんうんと頷いている辺りを見ると、藤黄君、結構頻繁に病院に入退院を繰り返しているのかも。勿論、検査入院という形で。

 ・・・・学校に通う事が出来ているのが、不思議でしょうがない。

「―― お見舞いに来たよー。って、あ。先客がいる」

 あれ? この声、紫苑君?

 ガラガラと開けられた扉。私は扉に背を向けていたので、音の後に聞こえてきた声で入ってきたのが紫苑君であると認識。そういえば、葵達3人って同じ町の出身だっけ。

 けど、紫苑君の声にしては高らかで、陽気なような。

 そんな事を考えながら振り向くと、そこには、どこからどうみても紫苑君な人がいた。

「・・・・あ。初めまして、だよね」

 だから、その台詞には驚いてしまう。

「あれっ? 初めてじゃない? とりあえず自己紹介とかをした覚えは無いけど」

 一瞬。一秒も経たない内に、私の脳内を様々な感情が駆け巡る。

 1つは困惑。これはおそらく、彼から放たれた予想外の台詞によるもの。

 1つは疑問。どこからどう見ても紫苑君にしか見えない彼は、どことなく私の知っている紫苑君とは違うように思える。ただし、どこが違うのかは皆目見当も付かない。

 1つは悲嘆。もし私の持つ疑問が勘違いだったとしたら、彼は私の事を忘れているという事になる。それはちょっと、ショック。

 1つは探求。もしかすると、彼は本当に私と初対面なのかもしれない。だとしたら、彼の言葉には偽りが無い。彼は紫苑君によく似た他人。あ、双子かも?

「えぇと。うん。自己紹介はしていないよ」

「あ、やっぱりそうだよね。じゃ、自己紹介。同じクラスの―萩徒ハギト 紫音シオン―です。これからよろしく」

 そう、紫音君はにっこりとした笑みを浮かべた。紫苑君と、容姿だけでなく名前も同じ。確か、紫苑君の苗字は小室。こっちは萩徒だから、他人? あ、従兄弟の可能性ならまだあるよね。

「君の名前は?」

「あっ、紅紫 藍菜です。はい」

 私は慌てて名乗り、深々と礼をする。考え事をしていた所為で、自分が名乗る事をすっかり忘れてしまっていた。慌てたからかいつもより早口になってしまい、聞き取りづらかったかもしれない。

 そこで恐る恐る顔を上げてみると、そこには、先ほどと何ら変わらない笑顔が。

「藍菜さん、か。もしかして、もう1人の紫苑には会ったのかな」

「え、あ、はい」

 名前は分からないけれど、青い紙にくるまれた紫色の花束を抱えて、紫音君はクスクスと笑った。そして小さく「あぁ、なるほど」と呟いて、小首を傾げ、斜め下から目線で私を見つめた。顔とか足とか部分的にではなくて、丸々『私』という物質を。

「同じ名前だと呼びづらいでしょ。俺は呼び捨てでも、苗字呼びでも、何でも良いからね。あいつは、名前呼びじゃないとムッとした顔をするから、それ以外で」

「あ・・・・じゃ、紫音で」

「ん、OK」

 紫音は左手でOKサインを作ると、病室の窓際にある真っ白なミニテーブルの方に行った。少ししおれた黄色い花の入った半透明の白い花瓶を手に、病室から出て行ってしまう。

 あ。ただ単に、花を取り替えに行っただけか。

「・・・・藍菜ちゃん、結構気に入られたね」

「ふぇ?」

 横にいた葵の呟きに思わず変な声が漏れてしまった。葵はムッとして、私を羨ましそうな目で見ている。何か、羨ましがられるような事をしたのだろうか。

「紫音はね」

 と、その葵の表情で何かを察したのか、イスみたいな形になったベッドでくつろぐ藤黄君が語りだす。

「紫苑君より明るい性格の持ち主だけども、人への関心は、紫苑君以上に持たない人でね。あんな風に眼を輝かせるなんて、めったに無い事だよ。僕も久々に見た」

「眼を輝かせる、って、そんなに輝いていたかなぁ」

 そう言うと、藤黄君はコロコロと笑った。嘲るようなものではなく、かといって『クスクス』という擬音には合わない笑い方。

「真実か虚実かは、葵の表情を見れば一目瞭然だよ」

 そんなコロコロと笑う藤黄君の横で、いじけて頬を膨らませて、目が涙ぐんでいる葵がしゃがみ込んでいた。そして僅かに紅くなった目を、こちらに向けている。

 ・・・・紫音と初対面の時、何かがあったのだろうか。

「―― ただいま、って、どうしたの? 何かカオスな雰囲気が漂っているけど」

「あ、気にしないで。いつもの事」

「・・・・あぁ、葵と俺の出会いの話? 別に話しても良いと思うけど」

「嫌だよ。私、紫音君の事を紫苑と勘違いしちゃったもの」

 え、葵が紫苑君と紫音を見間違えた? 葵って観察力はある方だと思うけど。

「って言っても、あれ、8歳の時の話だよ? 別に間違えても・・・・」

 それなら仕方ない。

「だって! 幼馴染の事なら間違えちゃダメじゃない! あの夏の日々の中で、最も黒い歴史なの!」

 葵はその場でピョンピョン跳ねながら、不服そうに頬を膨らませる。さっきよりも大きく。私と紫音の時はまだまだ小さい頬袋だったのかぁ。

 なんて、あまりその場に関係の無い事を考えていると、1つ、2つ、葵達の会話の中にあった言葉が脳裏をよぎり、そのまま口へと流れ込む。それは喉で止まる事が無く、本当にそのまま、それそのものが意味を持たない単語として、私の口から出て行った。

「・・・・8歳の時で、夏・・・・」

 呆然としたまま出てきた言葉を紡ぐと、とある情景を思い出す。真夏の肌を焼く日差し。静かな波の音。人々の楽しそうな声。冷たいカキ氷に、風に飛ばされた麦藁帽子。

「―― まさか」

「あ、気が付いた? そ。私達が会ったあのビーチで、私と紫音君は出会ったのよ」


 ◇ ◆ ◇


「―― あっ・・・・」

 それは私達が8歳の時。つまり、8年ほど前の事だ。

 青よりも濃い青の空に浮かぶ、子供用の小さな麦藁帽子。

 風に攫われたその帽子を眺めながら、私は、泳げない事を口実に、その麦藁帽子の奪還を諦めた。

 そのままなるべく人の少ない砂浜を選んで歩きながら、適当に日陰を探していた。

 別段暑さに困っているわけでもなかったので、そのまま自分の家族が陣取ったパラソルの下に入った。

 そこは有名な観光地である、白い砂浜と青い海が自慢のビーチ。

 私の家族はそれほど裕福ではないし、積極的に外に行くという外向的な家族でもない。

 だから、あの場所に行ったのはそれが最初で最後。

 それが何と無く分かっていたからなのか、私は、1週間もある長期の休みの前半を遊び尽くした。

 そしてそれは後半。一週間の内、6日目の事だ。

「―― あ、あのぅ」

「ふぇ?」

 思えば、私のこの変な応答は昔からだった。

 改めて思い出してみると、それが私にとっての『普通』だったのだと思い知らされる。

「えと、お水、無いかな? なるべく冷えているの。熱中症気味の子がいて」

「あ、うん。ちょっと待って」

 私に話しかけてきたのは、同じくらいの背丈で、長い髪を左肩の辺りでまとめた女の子だった。大きな目が青かったので、すぐ、純粋な日本人ではないと分かった。

 見知らぬ人とでも気兼ねなく話せるというのは、子供の特権だと思う。それに、その時の相手も、自分と同じ子供だったわけで。

 2つ地面に刺さったカラフルなパラソルは、子供の私から見ればとても大きくて。横に2つ並んだ中で、私がいたパラソルとは別のパラソルの下に、これまた大きなクーラーボックスがあって。私は手際良く中がキンキンに冷えたペットボトル入りの水を取り出した。

「ありがとう! 後で御礼しに来るね!」

 ペットボトルを受け取ると、女の子は喜びながら走り出した。案外近くにあった青と緑のストライプ模様が特徴のパラソルの下で、額に白い濡れタオルを乗せた、同じ年くらいの男の子。彼がどうも、彼女の話していた「熱中症気味の子」らしかった。

 私は興味本位で、その子に近付く。

「はい、お水」

「・・・・誰からもらった?」

「この子」

 なるべく気付かれないように近付いたはずなのに、女の子は後ろを指差す。その人差し指の延長線上、約1m範囲内に、私がいて。

 ゆっくりと起き上がった男の子は、綺麗過ぎる黒髪と、綺麗過ぎる黒い瞳を揺らしながら私を見つめた。顔とかそういう部分的にではなくて、丸々『私』という物質を。

「・・・・ありがと。誰かさん」

「えっ、あっ。私は藍菜。お水それで良かったかな」

 ワタワタと聞くと、男の子は少し鬱陶しく思ったのか、眉間にシワを寄せた。その表情が、到底、自分と同じ8歳児のものとは思えない剣幕で。私は顔に浮かべた笑みを引きつらせ、頬の筋肉が痙攣するのを感じつつ、小さく一歩、後ろへ退いた。

「へぇ~。藍菜ちゃんかぁ。ありがとう! お水、凄く冷えていて助かったの!」

 この、葵の天真爛漫な笑顔がなければ、すぐにでもその場から退散していただろう。葵を見て、いかにも興が冷めた、とでも言いたそうな顔で、男の子は溜め息混じりに口を開く。

「・・・・こっちの五月蝿いのが葵で、俺が紫苑。よろしく」

「あ・・・・。うん」

 そうだ、そうだ。そうだった。私、あの時紫苑君にも会っていた。

 つまり、葵と知り合った時点で、私は後の天才開発者と知り合いになっていたという事だ。しかも、病人とその恩人的な関係になっていたみたい。


 ・・・・結構思い返していた記憶なのに、紫苑君のこと、忘れていたみたいです。

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