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軍勢 前編

  1



 唸り声とも鼻息ともつかない鳴き声が聞こえて背後を振り返ると、同居人(ラーグ)がふらりと巣穴を出て行くのが見えた。

 これで何日連続であろうか……。

 ここのところ、夜になるとラーグが何処ぞへ行くのだった。


 ラーグは迷彩樹懶(ギリーテリウム)という、熊を思わせる希少な魔物の仔獣である。

 彼の親獣は、魔導師として長年戦場に居た私をして、


(過去に見たこともないような……)


 強大としか言い様のない魔物であったのだが、広大な樹海の勢力争いに敗れて、目の前で息絶えた。

 人間であった頃の魔導技術に加えて、ゴブリンロードの魔石を喰らって大幅に魔力を伸ばした私は、その時些か調子に乗っていたのだが、まさしく冷水を浴びせられた思いをしたものである。


 ラーグは、魔物を倒してその魔石を喰らうことに貪欲な傾向がある。

 偉大な親の背を追っているのであろう。

 だが、どんな恐ろしい存在がいるとも知れないのが、この樹海という地である。

 外に出るとラーグは【隠蔽】を使って隠れてしまうので、そのままにしていたが……。


(隠れられたからといって見つけられないというのも……)


 情けない話である。

 自身の痕跡を認識できなくしてしまう【隠蔽】スキルは、確かに恐ろしいものではあるが、まるで看破できないというのも、いや看破できないと諦めてしまうのも面白くない。

 魔導の感覚を研ぎ澄ませる瞑想を中断して、その日はラーグを追ってみることにした。






 外に出て、巣穴を地魔法で塞いでから、改めて周囲を見渡す。

 動くものはなにもない、生きとし生けるものが息を潜めている世界。

 【身体強化】で、視力と聴覚を強化する。


 ゴブリンという種族の元々の視力の良さも相まって、昼間と遜色のない視界になる。

 が、ラーグの居た痕跡すらわからない。

 折れ曲がった雑草の茎、むらのある木の葉の分布、どれもがそのようにも見え、全く関係ないようにも見える。


 耳を澄ませる。

 定期的に聞こえる重い音は、私の心拍音であろう。

 耳が慣れてきて、それも聞こえなくなる。

 虫の声、小刻みな鳥の声、遠くには犬の遠吠え。

 遥か樹海の奥地には、動くものの存在が許されない樹々の楽園があるなどと言うが……。


――ぱちっ。


 微かな音が聞こえた方向を見る。

 枝が揺らいでいた。

 恐らくは、何かが(・・・)そこを通り、枝を弛ませて他の枝とぶつかったのだ。

 真っ直ぐ追いかけようとして、踏みとどまる。

 それ(・・)は、用心深く風下の方向へと進んでいる。

 私の忍び足は、ラーグに比べて辞儀にも等しいものであるから、無様に音を立てれば風下に音が届いてしまうだろう。

 風を読んで、迂回することにした。



  2



 僅かな音や、あるようなないような足跡を頼りにして歩みを進める。

 果たして露見していないのか?

 ラーグは意図的に私に痕跡を報せているのではないか?

 そもそも、本当にそこに何かがいるのか?

 いるとして、それがラーグであると何故わかるのか? ネズミがなにかが動いただけでは?


 孤独というものを身近に感じる。

 戦時中は獣人族の斥候にはどれだけ世話になったものか知れないが、彼らもこうした孤独と向き合っていたのであろうか。

 斥候が敵を見つけ、司令部が戦力を投入し、工作隊が設営し、輜重隊が物資を運び、私などは手取り足取り整えられた舞台で踊り狂っただけだった。


(それが英雄だのなんだのと……)


 いかんな、散漫になって来ている。


 その時、風切音が耳に届いた。

 当てずっぽうにその方向に目を向けると、高所で枝が揺れていた――いや、何か黒い影が飛んでいるではないか。

 暗色の蝙蝠――大猫蝙蝠(ビックキャットバット)の影であった。

 地響きと共にガサリと大きな音がする。

 成人男性程もあろう獣が、唸り声と共に跳び上がって、その影に向かって鉤爪を振るう。

 ラーグだ。

 だが、宙空を往くその影は、直角に近い程の鋭角な曲線を描いてそれを躱した。


 猫蝙蝠は、別の枝にぶら下がると、暗闇で爛々と輝く瞳を歪めさせた。

 にやにやと笑っている気配が察せられる。

 自分が優位にあることを理解している上で、遊んでいるようであった。


 この大猫蝙蝠(ビックキャットバット)は、かつては雌猫の腹を借りて繁殖すると信じられていたことから、雄しかいないと考えられていた。

 昔は、雄猫(トム)バットとも呼ばれていたそうであるが……。

 そういえば、先日キャットバットの番らしきものを見かけたが、この個体は傍目にも小柄で、普通の猫とそう変わらない大きさである。

 あるいは、その子供なのかもしれない。


 ラーグはまたも【隠蔽】を使って身を隠したが、その苛立ちがありありと感じられる気がした。

 こうして遠目に眺めているからというのもあろうが、彼がどこを見て、何を意識しているのかを伺うことができる気がした。

 まだ若子であろう猫蝙蝠にしても同じことだ。

 私の存在に気づいていないことを含め、まだまだ未熟と言わざるを得まい。


 最もそれは、こうして稚気を発揮してしまう私が偉そうに言えることではないだろう。

 またも繰り出されるラーグの鉤爪を掻い潜って、折よくこちらの方へと飛来する蝙蝠の翼へ、思わず【念動】で動かした蔦を絡ませてしまった。

 遮二無二暴れて空に戻ろうとする猫の首筋を、後ろから摘み上げる。


「これこれ、爪を立てるな」


 首根っこを掴んでぶら下げれば猫は大人しくなると言うが、前足の爪が手に届く。

 蝙蝠の前足を持っている大猫蝙蝠(ビックキャットバット)だけに、前足が長いのだろうか。

 大した傷でもないので、【回復力強化】で傷つけられる傍から治療していく。

 すると、観念したのか、猫蝙蝠は次第に大人しくなって、語尾を上げるような調子の、文字通り猫撫で声で鳴き始める。


 短く鼻を鳴らす音が聞こえて、視線を戻す。

 ラーグがそっぽを向いて立っていた。

 私が捕まえてしまったのを抗議しているものらしい。

 ……やれやれ。


(和んでしまうではないか……)


 私は手を離した。



  3



 それからも、ラーグが夜になると巣穴を出て行くのは変わらなかった。

 変わったこともある。

 昼間のうち、巣穴の入り口のところでぶら下がる影が、たまに見えるようになったのである。

 ある時は、見事に太った貪食ネズミ(ラヴェナスラット)が置かれていることがあった。


 貪食ネズミ(ラヴェナスラット)は、餌が無いと石畳さえも噛み砕いてしまうということから付けられた名前である。

 樹海から遠く離れたアイティセルムにもしばしば発生し、社会問題にもなるが、大気中の魔素が少ない土地では数世代で普通のネズミと変わらなくなる。

 だが、その数世代までの間に大繁殖し、一つの村の備蓄が一晩で泡と消える、などという話も稀に聞く。

 農村で生まれ育った人間であれば、子供の頃よりその悪名を教え込まれる名前だった。


 そんなものの死体が通路に置かれているのは、正直なところ悪意ある悪戯にしか思えないのだが、恐らく土産のつもりなのだろう。

 子供の頃に家で飼っていた猫が、同じように仕留めたネズミを両親の元に届けていたような覚えがある。

 あの時、両親は「よくやった!」と猫を褒めていたように思うが、……辺りに空飛ぶ猫の姿はない。


 ……やはりただの悪戯なのかもしれぬ。






 その夜、またもラーグが巣穴を出て行った。

 あの日以来、出て行く時は巣穴の中から【隠蔽】を使われてしまうため、いつ出て行ったのかは良くわからないのだが……。


(もう戻って来たのか?)


 時計もないので確かなことは言えないが、夜更けとも言えない時刻であろう。

 巣穴からの気配を感じて、瞑想を解く。


――クィー!


 甲高い鳴き声に目を凝らすと、赤い二対の光点が、いくつも揺れ動いていた。

 数匹、いや十数匹にも及ぶ貪食ネズミである。

 普段は樹海のそこかしこで息を潜めている存在だが、夜陰に紛れて引っ越しでも始めたか。

 胎生生物としてあるまじき短期間で増殖するゴブリンが可愛く思える程の速度で、このネズミは増える。

 樹魔王ドライアスが健在であった頃から、樹海に棲息していたとさえ言われているのだ。

 ざわり、と首筋が震える。


 とにかく、そろそろ生活感の出て来たこの巣穴に、こんな危険物を招くわけにはいかない。

 入り込んだネズミは残らず【念動】で捕まえるが、どうしたことか後から後から押し寄せて来る。

 これはもう、入り口から塞ぐしかあるまい。


 【念動】の結界を張りながら巣穴を出て、絶句した。

 夜闇に輝く無数の小さな光源は、まるで夜の海で輝く夜光虫(ノクチルカ)のようだ。

 ただし、目に楽しいコバルトブルーではなく、アイティセルムでも近年問題になっている赤潮のような、毒々しい朱色であるのだが。

 荒天の海を思わせるどよめきを伴って、無数のネズミが樹海の外側目指して疾走していた。


(まさか……?)


 覚えがある、この光景を。

 今は遥か昔、夜天を焦がす程の大火が、東の空から上がった時のこと。

 当時の私はディアセルヴィスの首都へと攻め上る軍勢に従軍している、旧ディアセルヴィス王国の所業に義憤を燃やす程度に若い魔術士でしかなかった。

 誰もが息を呑んでその光景を、赤く染まる夜空を眺めていたように思う。

 樹海に対してやってはいけない、絶対の禁忌が行われた様を。


 慌てて巣穴を地魔法で塞いでから、手近な樹に飛び乗ってよじ登る。

 空を見上げて、極普通の夜空が広がっていることに安堵する。

 だが、樹海のそこかしこからざわめきが届く。

 それが樹人(トレント)のものであるとしたら……。


 樹海は樹魔王ドライアス亡き後、その伸長を鈍化させたと一般には思われている。

 だが、それは一面においては正しいが、間違いであるとも言える。

 樹海の活動は、主がいなくなってもなんら変わっていないのだ。

 しかし、人類が戦略を確立し、それに対応する頭脳(ドライアス)がいなくなったために対応できていないだけである。


 樹海の活動は極めて単純だ。

 大気中から魔力を集め、その魔力に誘引されてくる魔物――あるいは人間――を喰らい、樹人(トレント)密偵(スカウト)ゴーレムといった眷属を増やしていく。

 眷属の数が飽和状態になると、一斉に活動を始めて樹海の外へと進軍を開始するのである。

 その折には、追い立てられて狂乱状態になった魔物たちが、安住の地を求めて人類に牙を剥く。

 あたかも、壊れた船の板切れを奪い合う、難破船の乗組員が如く……。

 この時のことを、【暴走(スタンピード)】と呼ぶ。


 対する人類の戦略は、大きく三段階に分けられる。


 一つ、危険な樹人や食獣植物を討伐する。

 一つ、樹海の樹々を間引いて、魔力の濃度を薄くする。

 一つ、残りの樹々を伐採して平地にする。


 前大戦の折には、【暴走(スタンピード)】によって樹海から溢れ出した魔物や魔王の眷属を討伐した後、第一段階まで行った。

 現在は、冒険者や選抜された――恐らくはアトラのような――精鋭が、第二段階を進めているところであろう。

 ゴブリンやオークのような魔物が比較的多く棲息しているこの辺りは、逆説的に言えば樹海の中では安全な場所であると言える。


 そんな安全な(・・・)場所でも、絶対にやってはいけない禁忌がある。

 大軍を以って攻めることと、樹海を焼き討ちすること。

 これらの行いは、魔王の眷属達の猛烈な反作用を以ってして反撃される。

 つまりは、樹海の通常の活動サイクルを無視して、【暴走(スタンピード)】が引き起こされる。


 旧ディアセルヴィス王国は、自国を攻める諸王国軍を追い払うために、その禁忌を犯した。

 いわば、極めて傍迷惑な自殺行為だったとも言える。

 だからこそ、生き残った王族はその係累まで尽く拷問の上、処刑されたのである。


 この狂乱のうちに樹海の外縁部へ向かう魔物の群れは、その時の光景を彷彿とさせた。

 そして現代、またもそれが繰り返されるというのか……。


(いかん、ラーグ!)


 何を呆けているのか、この騒動に巻き込まれていないはずがないではないか。

 ネズミの海を掻き分けて、樹海の奥へと走り出した。



  4



 この狂乱の原因は、すぐに知ることが出来た。

 オークである。

 ウォーリア種に統率された小集団をいくつも見かけた。

 あるいはこの集団も、樹人から逃げ惑っているのであろうかと考えたが、どうもそのような様子ではない。

 ある集団は、色々なものがぶらさがっているゴブリンの頭部を持ち歩いており、またある集団は、地走蜥蜴(ランドリザード)の尻尾を引き摺っていた。


 どうも、そのように暴虐の限りを尽くしながら、樹海の外側を目指しているようだ。

 とりあえず、見かけた小集団のオークウォーリアは仕留めて魔石を奪った。

 残ったオークはさすがに手が回らないので、逃げ散るのに任せたが、いずれ他の集団に合流するであろう。

 一つの小集団は、先日何度が私が魔石を奪ったように、ウォーリア種が1体に対して、付き従う下位種は十数匹程度の比率である。

 それが出会って、より大きな集団へ。

 支流が寄り集まって大河となるが如く……。


 先日まで観察していたところ、オークは通常2匹が一組となって行動していた。

 小柄で優れた五感を持つ用心深いゴブリンと異なり、大柄で忍び足のような器用な真似が出来ないためであろう。

 不思議と3匹以上の組み合わせは見なかった。

 そういえば、貴族院では「3人集まれば派閥ができる」などという冗句があった。

 だから、貴族院のクラブルームには3人掛けのテーブルはないそうだ……本当かどうかは知らん。


 いずれにしても、愚鈍なオークがこれだけ集まって、樹海の守護者達がただ座しているなど、到底考えられない。

 この肉の大河が、遠からず屍山血河となるのは必定である。

 結果、どれだけの新たな樹人やゴーレムが増えるかを考えると頭が痛いが、いずれ起こるべきことが多少早くなるかどうか、程度のことである。



 真に恐るべきは、これが呼び水となって【暴走(スタンピード)】が引き起こされはしないか……。



(む、あれはどうしたことか……)


 オークウォーリアの魔石が10を数えるようになった時のことである。

 他と違う進路を取る小集団がいた。

 樹から樹に飛び移るようにして慎重に後を追うと、オークが十重二十重に何かを囲んでいる。


(ラーグ!)


 迷彩樹懶(ギリーテリウム)大猫蝙蝠(ビックキャットバット)の若子が、その只中にいた。



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