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ディアセルピナ公国 前編


  1



 あれから10日程も経ったであろうか。

 懸案であった、遥か遠きかつての我が祖国――アイティセルム連合王国からは、新たなギルド長として派遣した魔導師が不遇の死を遂げたことによるささやかな抗議はあったものの、『……迅速かつ公平な捜査により、その死の不審な点は全て払拭されたものと信ずる……』というような親書が公爵の元へ渡されたようである。

 つまりは、晴れて目出度く私の死亡は認められたわけだ。



――……知識神に理を説くようなものであるとは存じますが、樹海は人の手の及ばぬ地であると、我ら樹海の傍らに住む万民が認めるものであります。


――導師始め先の大戦にて礎となった方々の挺身をもってして、今日の公爵家は存続を許されていることもまた、天下万民の知るところです。


――どうか導師のお心を悩ますことがありますれば、是非とも(わたくし)共へお声をお掛け下さいますよう、我が公爵家は、導師に向けて閉ざす扉を持っておりません。



 このように、ディアセルピナ公爵エステルマジャール殿下より事態の落着を報せる、極めて丁重な――読んでいる方が赤面するような――礼状が届けられた。

 10代後半と聞いているが、全く心配りの出来る方である。

 有能な臣下ともども、好意を持たずにいるのが難しい。


 別れ際に約束させた、ラーグの親獣の魔石も返却された。

 この洞窟のかつての主であるゴブリンロードのものよりも更に一回り大きく、色合いはアメジストを思わせるものではなく、サファイアとエメラルドの斑模様のような、得も言われぬものであった。

 生命の彩り鮮やかな樹海においても、これほど美しいものはそうあるまい。

 詩の才能がない我が身が恨めしい。

 なによりも、その篭められた魔力の濃度には、ラーグ共々息を呑んだ。

 だが、かの親獣によれば、今の我らに耐え切れるようなものではないという。

 仕立ての良い巾着袋を用意してくれた殿下に感謝して、私がそれを首にかけることにする。


 その親獣の毛皮から仕立てた外套もあった。

 ラーグの毛並みを思えば水も弾くであろうし、その丈夫さは他のどんな毛皮にも劣らないことは間違いない。

 温暖湿潤な地方では、藁を編んで雨具にするというが、長い毛のためにそのような見た目になっている。

 闇に溶け込むような色合いといい、樹海においてこれ以上のものはあるまい。

 金額に換算することなど、とても出来ないだろう。

 ラーグが鼻をスピスピと鳴らしてじゃれてくる。

 ……うむ、大切にさせてもらうとしよう。


 親獣の骨からは、削り出したナイフが贈られた。

 毛皮もそうだが、生き物の素材、特に魔物のものは、魔力を伝導し易い。

 元の素材の強度も折り紙つきであろうから、大切に使えば刃こぼれ一つすることはあるまい。

 使者となったアトラ――公爵の部下の獣戦士――は、


「お出で頂けれるか、寸法を測らせて頂ければ、骨で杖も作らせていただきますれば」


 とのことであったが、さすがに世話になりすぎなので辞退した。

 それにしても、魔物の毛皮と骨で作った装備に身を包まれると、まるで眉唾物の冒険記に出てくる蛮族のようではないか。


 更には、小人族が着る服が届けられた。

 恐らくはノーム族の野良着を質良く仕立て直したもので、多少の調整で私も着ることができた。



 ここまでは良い。



 もう1着は、……アイティセルムの幼年学校の制服のようなものであった。


(……儂に半ズボンを履けというわけか……ウォーレンのやつめ!)


 だが実のところ、幼年学校の制服はノーム族の礼服をモチーフにして造られているのである。

 獣人に対する差別が根強いアイティセルムの人々だが、妖精族や小人族のことはどういうわけだか好意的だ。

 だからこれが、ノームの服であると言われれば抗弁は出来ぬ。

 なかなかに上手いやり口である。



 まあ、良い。これも良かろう。



(これも貴様の差金だな!?)


 ビール樽だった。

 ワインやウイスキーの熟成に使うオーク樽であるから、その素材に文句などつけようがない。

 慎重に開栓してみれば、華やかなアロマホップの香りの向こう側に、カラメルモルト由来のドライフルーツを思わせる甘い香りが拡がる。

 一口だけ含んでみよう。

 炒ったアーモンドのような風味が鼻孔に拡がり、良い意味で裏切られる。


(これは……樽を焦がしておるな!?)


 割と最近、蒸留酒の熟成樽で行われている手法だというが、アイティセルムでは一般的ではない。

 香りに慣れてくると、しっかりとした苦味が舌に乗る。

 さあ呑み込もう。

 喉を通り過ぎると、苦味は口内からさっと引くようだ。

 腹の奥から、最初に感じたドライフルーツの香りが立ち上る気がした。


(なんと素晴らしい……)


 この辺りの大地母神神殿で造られているものであろうか。

 飽食を厳に慎む大地母神の教えには断食の修行があるが、そうした中で『飲むパン』として僧達がビールを発展させたとされる。

 基本的に身分の低い者達が信徒となる傾向が強い大地母神神殿では、ビールの売上が貴重な資金源になってもいる。

 敬虔な大地母神の信徒である私も、かつては暇があれば寄進をしたものである。


 しかし、樽の大きさは私の肩ほどまでの高さしかない。

 これでは三日も持つかどうかというところだ。


(いや、これだけの逸物……)


 寝酒にして、一月ほどかけてのんびり飲もう。

 恐らくこの身体は酒精に耐性などないであろうから、ちびりちびりといただこうではないか。

 勿論、【回復力強化】をすれば二日酔いになどならないし、いくらでも飲むことはできるが、それでは酒を愉しむとは言えない。






 などと思っていたのである、昨夜は。

 そして朝、身体に酒が残っていたせいか、普段より深い眠りから覚めた私の目に入って来たのは……。


 ……砕け散ったビール樽と。


 ……だらしなく腹ばいになっている毛玉だった。


「何故飲んだ! お前向きのものではないと言うたであろうに!!」


 返事は芳しいゲップだった。



  2



(また増えてきたかの)


 先日駆除したオークの群れだが、またぞろ活動を始めていた。

 この辺りには溶岩洞窟が多くあるので、住みやすいのであろう。

 手当たり次第に狩った成果は、オークウォーリアの2匹に、オークが23匹。

 ウォーリア種を超える上位種がいないことから、あるいは更に大きな群れの先遣隊のようなものなのかもしれない。


 贈られたボーンナイフの具合は素晴らしく、まるでバターを切るような調子で魔石を掘り出すことができた。

 良い気分で全部呑み込むと、また私の魔石が疼く感覚がしてヒヤリとするが、……なんとかすぐに治まった。


(調子に乗るべきではないな)


 自戒する。

 そもそも、本来の目的は魔石集めではない。

 目的外のことに血道を上げて自滅などしては、愚かしいにも程がある。

 ビールを呑むこと、今はそれだけを考えるべきなのだ。


 樹海には魔力が溢れている。

 樹魔王ドライアスが豊穣の魔法を掛けたからとも、樹海それ自体が大気から魔力を集める魔導装置なのだとも言われているが、果たして……。

 確かなことは、樹海の動植物を肥料にすると、作物の成長が著しく促進されるということだ。

 人類の生息圏が著しく狭くなって数百年、それでも人間は増加の一途を続けているが、人間の死因の主要因が餓死になったことはない。

 オーク肉は主に生理的な意味で忌避されるが、食用として供される。

 だがそれ以上に、その数と大きさから、最も一般的な肥料として用いられるはずだった。


(見栄を張らずに報奨金を貰っておけばのう……)


 樹海に暮らしているのだから金など使わない、その時はそう思ったのだが……。

 このオークの死骸を換金して一杯呑みに行く、それが今回の目的である。



  3



 崖の上の道を時折見上げながら、樹海の外縁部を走る。

 【念動】でオーク達の死体を運ぶのはなかなかに骨が折れる。

 途中、猫の脚力と蝙蝠の飛翔力を持つ大猫蝙蝠(ビックキャットバット)の番や、騎竜としても使われる地走蜥蜴(ランドリザード)の家族と思しき一団に遭遇したが、オークの骸を投げつけて回避する。

 そうして目当ての農村が見つかったのは、一刻程も経った頃であろうか。


 50戸程の家屋が寄り集まる周囲に広がる畑。

 ごく一般的な辺境の農村と言えよう。

 多少目減りしたとはいえ、20体程のオークの死体を積み上げれば、この農村のどの家よりもうず高くなる。

 隠そうとして隠せるものではないし、変に隠してゴブリン辺りに掻っ攫われても馬鹿馬鹿しい。

 しばし逡巡したが、開き直って堂々と畑に向かう。


 農夫達がすぐに気付いて、ぽかんと口を開けて呆けた後、慌てて村に走って行く。

 私は畑の縁に荷物を置いて、待っていることにした。

 すぐさま、めいめいに武装した一団がまとまってやってきた。

 自警団というところであろう。


「……どういうつもりだ?」


 40がらみの男が口を開いた。

 アトラ達には当然及ぶべくもないが、鍛え上げた雰囲気がある。


これ(・・)を引き取ってもらいたいんじゃが」


 フードの奥からできるだけ重い口調を意識するが、情けないことに出て来たのは子供の演技のようなものでしかなかった。


「冒険者か? ギルドカードを出してもらおう。それと、フードを取って顔を見せろ」

「冒険者ではない故、持ちあわせておらぬ。顔は……傷があるので勘弁願おう。ただのノーム族の魔法使いじゃよ。幾許かの金を貰えれば、それで立ち去ろうとも」


 ノームは亜人族に分類される人々の中の、小人族(ハーフリング)に属する種族である。

 代表的な小人族には他にドワーフやインプ等がいるが、ビヤ樽のようなドワーフを名乗るには体重が3倍は必要だし、醜い顔貌で比較的ゴブリンに近い容姿のインプは天性の盗賊であり、大抵の人間からは忌み嫌われる。


「ただのノームの魔法使いだと?」


 呆れ顔で死体の山を見上げた後、嘲る口調で男は言った。


「俺はこう見えても兼業冒険者でな。ノームの知り合いもいるが、こんなだいそれた真似ができるノームがいるなんて聞いたこともねえな」


 大戦中はこれぐらいの真似が出来る魔導師はいくらでも居たものだが、最近はそうでもないのだろうか。

 それにしても、どうせ警戒されるならインプと名乗った方が良かったかもしれぬ。

 ノームは妖精の一種とも言われるように、時に人間に悪戯をすることもあるが、基本的に牧歌的な、冒険心とは無縁な生活を送るものである。


「混じり者での。しかも魔法が使えるものだから爪弾きにされたのだよ」

「……ふん、そういうこともまあ、あるかもしれんな」


 即興で同情を引くようなことを言ってみるが、効果は今ひとつのようだ。


「まあ良いではないか。儂はここから動かぬし、オークの死体はここに置いておく。……対価さえ貰えればの」

「……わかった。少し待て」


 男達の数人が集まって相談を始めた。

 会話を聞いても良いが、余り愉快な気分になれるとも思えないのでただ待っていることにする。


「オークの数は?」

「オークウォーリアが2体と、オークが……18じゃな」

「……ウォーリアもか。……よし、ウォーリアが1体につき銅板1枚、オークは銅貨2枚で引き取ろう」


 貨幣の分類は、国によって比重や大きさに差がある場合もあるが、基本的にアイティセルム連合王国が発行しているものに準拠している。

 それで換算すると……。


「……それでは一回のビール代にもならんではないか」

「えっ」

「うん?」

「どんだけ呑む気だよ……、まあいい。1体につき銅貨1枚付け足そう」


 男は苦笑して少し追加してくれた。

 母乳ではなく酒を飲んで育つと信じられているドワーフ程ではないが、ノームもまた酒を好む種族として知られているのだ。

 多少は警戒も解れたか。

 それでも……ううむ、やむを得ないとはいえ買い叩かれるか。


「不正規の取引だから買い叩いてることは否定しないが、ただオークの死体を刻んで埋めて、それで肥料になるわけじゃねえんだ。乾燥させないと腐るだけだし、そうするには手間暇と燃料が必要だ」


 素人はこれだから困る、というような仕草をしてくる。

 実際農作業については素人なので反論はしないが、魔法で出来ることもある。


「……乾かせば良いのだな?」


 水魔法の液体操作により、【脱水】という魔法を起動する。

 手加減して、時に拷問にも使われることがある、かなりえげつないものだ。

 試しに1体のオークに【脱水】を使うと、体重にして3分の1にはなったろう。

 ……最初からこうすれば良かったわい。


「……お、おぉ。……出来ればその前に骨を砕いておいてもらいたい」

「ふむ、こうか」


 【念動】で捻ったり折り曲げたりするようにする。

 余り気持ちの良いとは言えない音をさせた後、同様に【脱水】させていく。

 ここまでオークの死体を運んで来た時にも思ったが、相当に魔力は伸びているな。


「……こんなところかの」


 私は男達を見渡した。


「で、幾ら出してくれるかの?」


 新たに提示された額は、それなりに満足の行くものであった。


「……これ以上は出せん。お前さんがこれからもずっと肥料を売ってくれるというのなら話はまた別だが」


 つまりは、これまで肥料を購入していた商人なり冒険者なりに払う分は出せないということのようだ。

 もっともな話であるので、私は了承した。

 これからも金が必要になることもあるだろうが、定期的に来れるとも思えない。

 あまり他人の領分が侵さないようにするべきであろう。


 また、軽く相場を見る程度の気持ちで、樹海で採った一応は食べられる果実を見せたが、そちらについてははっきり首を振られた。


「植物に関してはギルドの鑑定士が【鑑定】したものでないと引取りは出来ん。したらこっちの手が後ろに回っちまう。危険な植物の種だったりしたら、村一つ潰れることもあるからな」


 樹海で本当に恐るべきは植物なのである。

 アイティセルムにおいても、辺境から購入した肥料の中にそうした種子が未処理で混ざっていて……という事件は稀ではあるが起こる。

 とはいえ、こんな農村にまで、随分と統治が行き届いているようだ。


「悪いことは言わねぇから冒険者登録をするこった」


 立ち去る私の背中に、そんな言葉が掛けられた。

 振り向かず、杖を軽く上げた。

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