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3/12

樹海という場所 前編

  1



 それは遠目に見れば、虫取りに興じる子供達のように見えた。

 遥か昔のこと、故郷の生垣(ヘッジロー)を駆け回っていた微かな記憶を想い起こす。

 だが、思い出が血と泥で汚されたような気がして、私は深く後悔した。

 何故ならば、ここで言う虫とは、まるで壁かと見紛うほどに密集した蜂の群れであり、無謀にもそれに挑みかかっている子供達とは、この樹海で最も弱い個体――ゴブリンであるからだ。

 しかし、虫取りというのは、腹立たしいことに事実である。



 これはゴブリンの『狩り』なのだ。



『行け! 行け! 回り込め!』


 群れの最後方でゴブリンロードが指示を下すと、1匹のゴブリンウォーリアが実行に移す。

 数多のゴブリン達を狩り立てて……。


 警告色というものがある。

 毒を持つ生物が、あえて目立つ色をすることで、毒を持っていることを主張して外敵を狙われないようにことを目的としているという。

 蜂の体色である、黄と黒の縞模様が代表的であろう。

 だがこの樹海では、蜂でさえも焦げ茶色の目立たない色をしているものらしい。

 蜂でさえも保護色に擬態する、そうするだけの理由がある世界、それがこのドライアス大樹海という場所というわけだ。


 そして、毒のような特殊な能力も持たず、力の強さにも秀でず、ただ繁殖力だけを武器に樹海を生き延びているゴブリン達。

 自暴自棄の怒号と嘆きの悲鳴との混合物を撒き散らしながら、その身一つで毒針の生えた壁に挑みかかるその様は、無惨という他ない。

 だが、その捨て身の突進は、確実に壁にヒビを入れることに成功していた。

 ゴブリン達が全身を――一切の誇張のない表現である――毒針で刺される間に、時に足踏みして、内股を擦り合わせて、自分で自分を叩き付けて、果ては同族同士で殴り合って、確実に蜂達の数を減らして行ったのだ。


 やがて茶色の壁が薄雲程度になった時、上位種達が前に出る。

 目指すは蜂達の本拠、木の根本から人の背丈ほどもそびえ立っている蜂の巣。

 その中には、樹海に生きる魔力を持つ植物から、蜂達が掻き集めた蜜が詰まっている。

 余談だが、この蜜を小瓶一つでも樹海から遠く離れたアイティセルムで購入しようとすれば、一般的な労働者の一月分の賃金程度は吹っ飛ぶ。

 嗜好品ではなく、薬品としての用途となるが。

 また、実を言えばここ最近の私の主な栄養源でもある。


『壊せ! 壊せ!』


 ロードが自身も得物を叩きつけながら命令する。

 棍棒や石斧が巣に穴を穿つ度、その狭間から新たな蜂達が迎撃に出て行くが、その抵抗は最早、気の抜けたビールを掻き回すようなものでしかなかった。



  2



 私がゴブリンの巣穴を奪い取ってより、既に1週間が経過していた。

 身体も緩やかに――といっても人間では有り得ない速度だが――成長を続けており、以前は老魔導師のステッキに及ばなかった上背も、


(そろそろ同じぐらいになっただろうか……)


 と、思える程にはなった。

 この成長が早いのか遅いのかはわからないが、あれから樹海でいくつかのゴブリンの群れを観察したところ、どうやらあの『王』はかなりの長きに渡って群れの長として君臨していたであろうことが知れた。

 今も勝利の雄叫びを上げ、逸早くその報酬にかぶりついているゴブリンロードは、他のウォーリア種と比べて精々一回りか二回り大きい程度で、巨人族かと見紛う程の巨体を誇った『王』には全く及ばない。

 私があれほどまでに成長するのにどれほどの時を要するものか、そもそも初めから上位種として生まれたであろう『王』と、下位種からの変種――ゴブリンメイジたる私の成長が同じなのかも不明である。

 最も、この樹海において体躯の小ささというのは不利に働くことばかりではないので、なるようなろうやと気にしないようにしているのだが。


 私の胸からは、まだ魔石が――『王』の魔石を喰らって成長したそれが突き出ているが、それでも随分と馴染んできたという感覚はある。

 ゴブリン語の語彙が増えたのである。

 やはり、ある程度の知識を受け継げるものらしい。

 人格については……正直よくわからないのだが。



  3



 さて、ひとしきり群れの食事も終わったらしい。

 上位種達は持てる限り蜂の巣を抉り取って手に持ち、生き残った下位種は同族の死体と無数の蜂の死骸を掻き集める。

 下級のゴブリンにとっては、それがこの狩りでの報酬なのだった。


(連中が立ち去ったら、残った蜂の巣を失敬するとしようか……)


 そう考え、物陰に潜んでいたのだが……どうやら、本日の樹海の食物連鎖はまだ終わらないらしい。

 それ(・・)を見つけた1匹のゴブリンが、先程の無秩序さとは打って変わって規則性を感じさせる叫び声をあげた。

 群れは荷物を下ろし、かろうじて陣形と呼べそうな態勢を取る。


 それ(・・)は、犬のような形をしていた。

 だがそれを形作っているのは肉でも皮でもなく、また血に塗れることはあっても血を流すことはない。

 木蔦が絡まり合う紐人形。いや、紐"犬"形というべきか。

 その正体を、私はよく知っていた。


密偵(スカウト)ゴーレム!)


 その犬は跳び上がると、今度は前足で猿のように木の枝を掴んで一回転し、ゴブリン達の只中に躍りかかる。

 スカウトゴーレムはやや大きめの中型犬程度の大きさなのだが、ゴブリン達と対比して見ると大型犬以上に見えた。

 そして始まったのは、一方的な蹂躙だった。

 直線的な早さに加えて縦横無尽の機動力を持つその犬に対して、そのどちらも持ちあわせていないゴブリンは、ただ殴り飛ばされ、噛みちぎられ、あるいは鋭利な尻尾で貫かれて絶命していく。

 まるで草が刈られるように……。


 些か誇張した表現を使えば、瞬きするような間にゴブリン達は壊滅した。

 そして、ゴーレムにとっての次の工程が始まる。

 殺した――いや、駆除した魔物の魔石の回収だった。


 ――スカウトゴーレム


 遥か昔、この大樹海を生み出し、人類の生活圏を著しく狭めた樹人族(トレント)の魔王――樹魔王ドライアスが生み出したとされる、樹海の守役の一種。

 魔王の滅びた後も主の命令を忠実に守り続けている人造生命体(ゴーレム)

 また、魔物の魔石を奪い取って自身を複製して増殖するから、その総数がどれほどになるか想像することも難しい。

 そして、『最も人間を食い殺している魔物』とも言われる。

 犬の姿に見合う速度と行動半径と、



 その嗅覚によって――!



 ゴーレムのがらんどうの双眸が、遥か木々の向こうにいるはずの私を捉えた――刹那。駆け出す、いや駆け出していた(・・)

 そこにはいかなる逡巡もない。

 どんな小さな動作でも、生き物になら生じる『溜め』というものが一切ない動き。

 形こそ四足歩行生物のそれであっても、やはり全くもってそれは生物では有り得なかった。


 この視界の悪さならあるいは……というのは、あまりにも楽観的に過ぎた。

 見通しが悪いのは私自身の展望であったか。

 ことこうなると、陽光遮る樹海の深淵のそこかしこから、何かが飛び出してくるのでは……そんな恐れが脳裏をよぎった。


(慢心したか――!?)


 臆していなかった(・・・・・)我が身に腹が立つ。

 樹海(ここ)に安全な場所などあるはずがないというのに……。


「【風槌】!」


 口に出して唱えることで魔法の効果が上がる、という説はあるにはあるが、数値化し難いこともあり半信半疑、というのが世の趨勢の大半を占めている。

 ただ単に、思い切りがついてより集中力が上がるからなのではないか、というのが私の考えだ。

 そしてその思い切りこそが、今の私には必要だった。


 圧縮空気による攻撃は、今まさに跳び掛からんとしていたゴーレムの頭部に命中した。

 狙うは頭部の中心部、ゴーレムの核となっている魔石だが、鼻先を形成する蔦の何本かを引き千切るに留まった。

 空中で迎撃したが、そのために衝撃の大部分が受け流されてしまったか。

 身軽に着地したゴーレムが身震いするような仕草を見せると、新たな蔦がすぐに生えてきて欠損箇所を埋める。

 れっきとした血肉を持つゴブリンのような生物とは違い、仮初の生命でしかないゴーレムは魔石に魔力が残っている限り再生を続けるのだ。


「【礫弾】!」


 脚が止まっているうちに追撃、だがこれは牽制だ。

 今のうちに、目についた中で一番太い大木の根本に陣取る。


 予め決められた行動しかできないゴーレムの行動パターンは、極めて単純である。

 このスカウトゴーレムの場合、木々を傷つけることがないから、こうして木を盾にできるのだ。

 最も恐るべき尻尾による刺突は、騎士の全身甲冑(フルプレートアーマー)さえも打ち貫く場合があるが、貫くという攻撃の特性上、木がある方向とその反対側からの攻撃も考慮する必要がなくなるのは大きい。

 他にも、直前に攻撃された相手に反撃するという、かなり致命的な習性もあるのだが、残念ながら現状では活かせない。


 さて、これで一見、先日『王』と決闘した折のような状況になったが、内実は大分異なる。

 的が小さく、動きが早い犬型ゴーレム相手にはあの時のような大技は使えないし、向こうもこちらの脅威度を引き上げたのか、初見のような大振りな攻撃をして来ない。


(まるでこちらの足止めをしているような……)


 その嫌な予感は、程なく的中した。

 背後から、鋭利に尖った木の蔦が、今の今まで私が居た地点を貫いたのだ。

 もう1体のスカウトゴーレムが到着したのである。

 ヒヤっとしながらも予期していた私は、【身体強化】で跳び上がって木の枝にぶら下がることで避けた。

 なぜ背後からの攻撃を予測できたのか?

 その理由は、正面にいたゴーレムが回避行動を取ったためである。

 絶対に同士討ちしない、というのもまた、このゴーレムの習性だった。

 完璧すぎる連携にこそ付け入る隙がある。

 40年以上前に読んだ軍事教本にあった、この習性に関して論評した一文が自然に頭に浮かんで、私は静かに驚いた。

 そして、こうも書いてあったように思う。


(敵に選択肢を与えないこと)


 こちらが空中にいるなら、相手もまたそうするしかない。

 犬と猿の機動力を併せ持つスカウトゴーレムといえども、翼まではない。


(【風槌】――!)


 予想通りに跳び上がった2体のゴーレムに、今度は受け流されないよう、上から叩きつける――体組織が抉り取れる。


 動きが止まる再生中にもう一度――押し潰れて姿勢が維持できなくなる。


 地べたに張り付いた頭部目掛けて再度――核が露出した。


「……まったく割に合わんわ」


 そして最後の一撃――魔石が砕け散った。

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