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成り上がりゴブリン道(ロード) 後編

  5



 また、しばらく経った。

 一度、空腹を覚えたので、老魔導師の荷物にあった干し肉を齧った。

 長年の飲酒で鈍くなっていたであろう舌から生まれ変わったためか、ただ単に子供舌になったためか、やたらと塩辛くて辟易した。

 半分程度、無理やり腹に入れて、下層に投げ入れる。

 すぐさま、奇声と共に奪い合いが始まった。

 私はフードを目深に被り直した。

 『ギザ耳』が不満そうに睨んで来ているのには気が付かない振りをした。



 果たしてどれぐらい経っただろうか。

 恐らくは深夜と呼べるであろう時分に、大きな魔力の波動を感じて、うつらうつらしていた意識を引き上げる。

 入り口から、巨人族に連なるホブゴブリンと見紛う巨体が入って来た。

 この群れの長である、ゴブリンロードだった。

 前世の私はかなり背の高い方であったが、少なくとも同じぐらいはあるだろう。体重に関して言えば、3倍はありそうだ。

 首の上に乗っているのは、基本的に穏やかで善良なあの巨人達を比べるのが申し訳なくなるような、醜悪で獰猛な顔だった。

 『王』に付き従って、『ギザ耳』とは別のゴブリンウォーリアが10匹程居たが、それが霞む程の存在感を放っていた。


 下層のゴブリン達が、『私』にしたよりも遥かに早く這いつくばっていた。

 『ギザ耳』も一度同様に頭を垂れると、あの背を丸める姿勢で小走りに王の元へ向かい、何事か囁いたようだ。

 『王』はハエを払うような仕草でぞんざいな対応をすると、ドシドシと足音を響かせながら、自らの玉座へふんぞり返った。

 その様子が、老魔導師をこの地に左遷させた評議員とその秘書の様子に余りにも似ていて、フードの奥で笑いをこらえるのに神経を注がねばならなかった。

 『ギザ耳』はめげずに話し続けると、私を指差してきた。


「くホォー! くホォー!」


 幸い、『私』の知る数少ない語彙の中にその言葉はあった。

 『来い』という意味の単語である。

 私は立ち上がり、『王』に拝謁せんと歩き出す。

 『ギザ耳』はまた、今度は別の言葉で怒鳴っているが、『王』がまた手を払って――但し、今度は空を切るのではなく、『ギザ耳』を弾き飛ばしていたが――やめさせた。

 私はフードを取り、こちらを睥睨する『王』を正面から見据える。

 睨むわけでも、下出に出ることもなく。

 『王』は、しばらくは当惑しているようであったが、やがて怒りに顔を歪ませた。

 だが、その眼の奥、憤怒の仮面の向こう側に、かすかに恐怖を感じ取ることができた。

 こうして対等に振る舞う存在は初めてなのか……?

 ……いや、此奴は知っている。理解っているのだ。

 『私』がどうやって私となったのか。

 何故、今眼前に立っているのか。


 『王』は荒々しく立ち上がると、丸太以上棍棒未満とも言うべき巨大な得物を手に取った。

 ウォーリア種である『ギザ耳』自身よりも大きく重いであろうそれ。

 粗末な、と思うかもしれないが、この樹海の植物は魔力を持っていて強靭であるため、鉄とはいかないまでも青銅程度の強度はあるかもしれない。

 その質量も合わさって、恐ろしい武器であると言って良いだろう。

 私も応える。

 先ほどと同様、火を灯す。

 松明から篝火へ、篝火から『王』を飲み込む程まで。


 先に動いたのは、『王』だった。

 いくらゴブリンとはいえ、上位種ともなればさすがに知恵もついてくる。

 火を恐れる動物とは違い、意外な程の素早さで逆に火に向かってくる。

 一瞬だけならば、大した怪我にもならないと知っているのだ。

 火柱に向かって、その向こうの私に向かって、吹き散らさんばかりの威力で棍棒を振り下ろす。

 私は後ろに大きく飛び退いて躱すが、腹まで響くような衝撃に、些か驚かされた。

 そして、驚いたのは私だけではなかったらしい。

 衝撃は壁へ、壁から天井へと伝わり、一抱え程もある大岩が、私と『王』の間に落ちてきた。


(なるほど、岩か)


 仕切り直しとなったところで、私はもう一度火の柱を、今度はその大岩に纏わせて、更に熱を高める。

 間に岩が、しかも赤熱した大岩があるせいで、『王』は攻めあぐねていると見えた。

 さもあらん、今度は乱暴に駆け抜けるというわけにもいかないからだ。

 『王』が岩を回り込もうとすれば、その分私は反対側に回りこむ。


 不思議なことに、周囲の誰も手出しをしようとしなかった。

 下層のゴブリンはともかくとして、ウォーリア種は並みの兵士以上の強さはある。

 更にゴブリンロードともなれば、そんじょそこらの魔導師や冒険者では――特に最近の若い連中には――手に余るものだが、ある程度以上の実力者ならばそう苦戦することもない。



 ……単体として見た場合は。



 ゴブリンの真の恐ろしさは、その数にある。

 無数と言っても良いほどの群れを掻き分けて、ゴブリンマザーやクィーンを討伐しなければ群れは壊滅しないから、討伐クエストとしての難易度は、獲物の強さに比して遥かに難しくなるのだ。

 こうしてゴブリンロードと一対一の形になった時点で、難所は過ぎたと言っても良い。


 そして岩が、在りし日の姿を取り戻す。

 ――即ち、溶岩である。

 だが高所から低所に流れるだけのそれではない、【念動】によって導かれた溶岩流は、蛇となって『王』に巻きつかんとする。

 『王』が棍棒を振るい、蛇に叩きつけるが、無駄なことである。

 粘性の強い溶岩が撒き散らされて、『王』自身の身を焦がす。

 棍棒の根本に蛇が巻き付いて焼き切る。

 手が、腕が、方が、首が、最後に頭が、灼熱の蛇の蜷局に呑み込まれる。

 死因としては、恐らく窒息死になろうか……。



  6



 周囲を見渡して、やはり誰も手出ししようとしないことを確認して、杖の柄を捻って仕込みナイフを取り出す。

 『王』の生命反応が間違いなくないことを確認すると、ナイフを胸の中央に刺し込む。

 すぐに硬質な手応えに辿り着いて、それを傷つけないように、慎重に取り出していく。

 血がついていることもあってアメジストのような色合い、大きさは子供――つまり私の握り拳程もあるだろうか。

 魔石と呼ばれる物質で、仕組みや材質はわかっていないが、魔力を溜め込むことができる。

 そして私は――魔物は魔力を体内に取り込むことで成長、更には進化することができる。


 魔物にとって、魔石がどういう存在なのかはわからない。

 だが、人間にとっては価値があると同時に、非常に厄介な代物でもある。

 なにしろ敵である魔物に、たとえ傷を負わせたとしても、他の魔物の魔石を喰われてしまえば、回復するだけでなく更に強大になってしまうのだ。

 個としてはともかく、軍勢として見た場合の厄介さは筆舌に尽くせない。

 軍事的には3割死傷で軍勢が壊滅すると言われるが、魔物の場合は最後の1匹まで、しかも魔石を砕くか回収するまで、大げさに言えば勢力が衰えないと言えば、その恐ろしさもわかるだろう。


 話は逸れたが、この洞窟に来たのは、安全なねぐらを求めてというのもあるのだが、真の目的はこちらにある。

 今の私は若さ故の成長力だけでなく、魔物として他の魔物を倒すことで力を得ることができる。

 しかも、ここはなかなかに大きな群れであり、次代の王妃までいる。


(どうせ一度は喪った命、ならば好き勝手にさせてもらおうか……)


 思い切って――相当に思い切って――、魔石を飲み込んだ。

 ゴブリンがそれなりに口が大きい種族でなければ、無理だったかもしれない。

 ……いや、飲み込むのに苦労するということは、あるいはこの魔石はこの身に余るということなのでは……?

 そんな予感を覚えた時のこと、身体に衝撃が走った。


「ぐ、ガ、ぎぎ、ぐぎぎぎぃぃぁぁぁぁああ――――!!! ―――がハッ!!」


 熱い! 身体が熱い!

 心臓が悲鳴を上げる。

 だが衝撃はそれではない。

 肋骨が折れて肺に突き刺さったのだ。

 ただ、耐える。

 魔力を総動員して、始原魔法で身体の回復力を全力で高める。

 部位の欠損は治せなくとも、多少の切り傷程度なら瞬きする間に治るであろう、それほどの魔力だ。

 それでも尚、魔力が湧き出てくる。

 肋骨がまた折れた――あるいは一度治ってまた折れたのか。

 胸の奥から、血ではないものがせり上がって来る。

 それは身体を突き破った。

 魔石だ。

 急速に膨れ上がる、私自身の魔石だった。

 肋骨をへし折り、肺を圧迫し、皮膚を裂いて、尚膨張する私の魔石。


(なんだ、当たり前ではないか……)


 『王』の魔石が握り拳程もあったのだから、私もそうなるのは、それ以上の大きさになるのは当たり前だ。

 そして私の身体は、巨大な『王』と違って、ゴブリンであった頃からそれほど変わっていない、余りにも短期間による変化のためだろうか。

 手足の関節が軋む感触に気がつく。

 成長痛――遥か昔に味わったことのある痛み。

 だが、魔石の膨張速度に比べれば遅々としたものだった。

 ふと、『ギザ耳』が、石斧を振り上げて何かを叫んでいた。


(なんだ?)


 考える暇はなかった。

 『ギザ耳』が、石斧を投擲してきたのである。

 やっとのことで避けるが、


(しまった――――!?)


 仕込みナイフの鞘――杖の先をいつの間にか落としていた。

 杖先には、【火】の魔法効果を高める魔導回路を仕込んでいた。

 これでは強力な魔法は使えない……ということもないが、今のこんな調子では難しい。

 魔力に関しては、既に前世の私の最盛期を凌駕しているが、大部分は回復のために費やさなければならない。

 『ギザ耳』が無手で挑みかかって来る、その身体が、遥かに大きく見えた。


 少し、理解した。

 つまりは、『王』に挑戦してその魔石を食らうのは、次代のゴブリンロードを選出するための儀式であり、彼らの未熟な文明の萌芽なのだろう。

 セドリア内海の南方、未踏砂漠の彼方に、そうした風習を持つ食人族がいるという、そんな眉唾物の旅行記を読んだことがあった。

 一つの儀式が終わり、そして今、弱っていると見える新たな『王』に成り代わらんとするための、新たな儀式が始まったのだ。

 恐らくロードに拒否権はないのだろう。

 私と『王』の儀式さえも、恐らくは『ギザ耳』の目論見の内だったのではないか。


(随分と人間臭いではないか)


 始原魔法で回復はそのままに、【身体強化】をする。

 魔力は汲めども尽きぬ勢いで湧き続けている。

 これでも若い頃は戦場を駆けまわった身、本職には敵わないが、ナイフ術も格闘術も修めているのだ。

 ……40年は昔のことだが。

 『ギザ耳』はなかなかに素早かった。

 掴みかかってくる『ギザ耳』にナイフで牽制するが、あっさりと躱されて腕を掴まれた。

 間合いが遠すぎたのだ。

 ブランクというより、今日だけで2回も体型が変わっていることに問題があるだろう。

 ……いや、違う。

 早く手が出てしまったのは、それだけ私が相手を恐れているということだ。


(まるで新兵ではないか! 情けないッ!)


 『ギザ耳』はそのまま私を押し倒して、首を絞めて来た。

 どうせさっきから血が湧き出てきて呼吸もままならないのだ、関係ない!

 【身体強化】の効率は、元々の筋力に依存する。

 ゴブリンウォーリアでもあり、体型でいえば二回りも大きく、体重で言えば倍近く差があると思われる。

 が――。


(ならばそれ以上の魔力を籠めれば良いだけのこと!)


 一時的に全ての魔力を注いで、腕力を集中的に高める。

 自由な左手を使って、私の首を掴む『ギザ耳』の手首を掴む。

 まるでパンを千切るように、手首の皮膚を引き千切る。枯れ枝のように骨が砕ける。

 『ギザ耳』がたまらず跳び退く。

 ナイフを掴んだ右手が自由になる。

 『ギザ耳』はもう二度と使えないであろう片手を庇いながら、這いつくばる格好をした。

 私は許さなかった。






 身体の変異は、まだ終わらない。

 できれば横になってしまいたい。

 が、周囲にはゴブリンウォーリアがまだ10匹いるのだ。

 肺の血が止まって来た。

 筋力に依存する【身体強化】同様、【回復力強化】も元の体の回復力に依存する。

 若い個体なだけはあった。

 大きく息を吸うと、塊になりかけた血が喉から上がって来ようとしたので、無理やり飲み込む。

 嘔吐感が膨れ上がって、しゃっくりするようにえずいてしまった。

 ……それを最後の好機と見たか?

 残ったウォーリアが、『王』の傍らに取り残されたままの杖先と、息も絶え絶えであろう私を交互に見た後、めいめいに武器を構えて向かってきた。

 恐らくこれは、ルール違反であろう。


(全く、忌々しいまでに人間らしいではないか)


 規則を作り出して自分を縛るところも、逆にその規則を自分たちで破るところも。

 いかにも人間らしい、醜悪さ。

 【念動】で杖先を引き寄せると、杖はあるべき姿に戻った。


(後で念入りに洗わなくてはな)


 本日2匹目の炎の蛇が、ゴブリンの巣穴で踊り狂った。



  7



「ごヒィー!!」


 成長痛は収まらないが、呼吸に支障がなくなった私は、声を張り上げる。

 『私』が知る、数少ないゴブリンの言葉で、『行け!』という意味だ。

 下層のゴブリン達は、木偶人形のように新たな『王』に這いつくばっていたが、やがて緩慢な仕草で動き出す。

 困惑した様子がありありと伺えるが、1匹、また1匹と巣穴から出て行った。


「ごヒィー!!」


 中層から、繁殖部屋の廊下まで出て、同じことを繰り返す。

 全ての小部屋から、ゴブリンマザーとその子供が命令を実行するまでに、3回同じことを繰り返さなければならなかった。

 1匹の、身重でもなく子供も居ないゴブリンマザーと目が合った。

 胸の奥から、名状し難い――先ほどまでのとは別の何かがこみ上げて来るのを感じた。


「ごヒィー!!」


 私は目を逸らした。






 廊下を奥に進む。

 その最奥には、『王』と同じぐらいの巨体を持つゴブリンがいた。

 次代のゴブリンクィーンをその身に宿す、『王妃』である。

 クィーン種は、秘める魔力の大きさとしては『王』と同等であろうか。


 ゴブリンクィーンとゴブリンロード、群れの中でどちらがより上位なのかに関しては、議論の別れるところである。

 クィーン種は上位種のゴブリンの母となるが、群れの規模が大きくなると、次代のクィーン種を産み育てるようになる。

 そして、新たなクィーンは繁殖可能なまでに成長すると、群れから出て、新たな群れを形成するのだ。

 一方、ロード種は先ほどの儀式からわかるように、ウォーリア種のような上位種のゴブリンの中で、最も強いものがなる。

 『ギザ耳』のように群れの中で成り上がろうとすることもあれば、私のように群れの外から――実際には違うのだが――次代の王が選ばれることもあるわけだ。

 だが、クィーン種の父親となるのも同じロード種なので、この辺りは卵が先か鶏が先か、というところだろうか。


 『王妃』は身重の腹を抱えるようにして座っていた。

 先ほど思い出した旅行記にある、決闘によって族長を選ぶ食人族の場合、負けた族長の妻は新たな族長の持ち物となるが、子供は殺されてしまうという。

 ゴブリンの群れの場合は、一体どのような運命が待ち受けているのだろう?

 『王妃』は静かにこちらを見ている。

 その心の内を図ることは、私にはできなかった。


 ゴブリンクィーンの魔石が2つ、手に届く場所にある。

 今でさえ、人間だった頃を優に超える魔力が手に入っている。

 目の前の魔石を喰らった時、一体どれほどになるのであろうか?

 私は仕込みナイフを取り出して、『王妃』に近づいた。

 しかし、『王妃』はやはりただこちらを見ているだけだった。


「…………ごヒィー!!」


 私は部屋の入り口から退いて命じた。


「ごヒィー!!」


 繰り返すと、『王妃』はゆっくりと立ち上がって部屋を出て行った。



  8



 巣穴の外には、どこに言えば良いのかわからず、ゴブリン達が茫然としていた。

 巣穴から姿を見せる、恐らくは初めて見るであろう『王妃』の姿に、僅かにどよめきが走るが、その後ろに立つ私の姿を見て押し黙った。


「くホォー!」


 『王妃』が『来い』と叫んだ。

 寄る辺無く立っているゴブリン達が集っていく。

 初めて見る姿であっても、それがどういう存在であるか理解しているのか、ただ単に魔物としての力の強さから従っているだけなのか。

 100を超えるゴブリンが集まる。

 思わず杖を握り直したが、『王妃』は私に一瞥もくれることなく、森の奥へと去って行った。






 いつの日か、あの腹の中の子供が、ここに戻って来ようとするのだろうか。

 私は小さな苛立ちを覚えていたが、さっきまでの胃もたれするような感覚はどこかに消えていた。

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