#8
春の終わり。
転落は味もなく続いた。いくども病院へ通う日々を呪った。行き着いた自宅のなか。淡々と飲む・・ホットレモン。
食欲不振に陥る夜、料理することを放棄した。抗がん剤の点滴とホルモン剤の併用が副作用の“火照り”を生み出す。鏡の前、むくんだ足を蔑む瞳。左右アンバランスなのが、立て掛けたもうひとつの世界にうつりこんでいる。煌々たる真っ白な部屋の片隅…じっと、見ていた。
【閉じられたカーテン】
(忍び寄る光。)
胸ポケットにもぐるスマホ―神谷の意識を激しく揺らした。結衣からの着信―
初めて・安らぎに行き着いた。自分自身が怖くなる。平然をよそおうとした空元気な声が室内に響いていた
今度、彼処いってみいひん?
「え。うん。どこ?」
笑ってる自分がスタンドミラーに映りこんだ。
恋人に隠しとおす葛藤の道を選択した。自滅しそうな37.2度の微熱がずっと、ずっと心の内部に潜む。
彼女と約束を取り交わしその日は眠りについた
(なんども目が覚める。だけど…寝ようとするたび、だるさが腹にのしかかってくる。)
約束の夏。彼女に会った。ずっと笑ってやった。髪を切ったらしい。
理由は深く教えてくれなかった。
小さな肩まであったその記憶は首筋で終わる。涼しげな風をひらひら受け流す服の飾りやら。曲線の美しく、妖婉な額に降り注いだ前髪。道ばたの蝶。ぱたぱたと・か弱く開いた瞼にあふれる、瑞瑞しい瞳。何かにそそられ、時折心をそっと・なでられる。太く薄い眉だけは、なぜか寂しげにうつる。風を待つ柳のように。蜜をふくんだ甘そうな唇。ひとつ目と二つ目のボタンが開いている胸元
近況を喋り尽くした遊歩道。人気のない脇道で手を繋いだら、坂の上の展望台はもう・すぐ、そこだ。東屋で二人は、限りある時間を過ごしている。とても・大切そうに。
夕陽を浴びた立ち尽くす駅
目の前にある。突然みせたもうひとつの顔。鼓動。彼女の手を握る度、疼く。いつも横にいる存在はただただ今の自分を救ってくれている気がして、失いたくなかった
手をふって別れた
それからも、定期的に自問自答は続く。
振り出しの地点に帰ってきた。
翌朝、前頭部に十円ハゲができてた、体重は減った。体は嘘をつけない。
“神谷さん…”
「…カミヤさん?大丈夫ですか」
主治医、不安そうな顔は和らぎに変わる。
2012年 6月 即入院の指示をうけ 「はい…」と だけ答えた。
死への恐怖か
…侘しい。
くたびれ続けたベッドの生きざま
もう夜か。
心の霧へとさ迷い、訪れし者を孤独にさせる。盲目の亀のように、闇を歩み続け、いま、あした、死ぬんじゃないかと怯え、眠ることさえ、できなくなる。
病院着に身をまとい、相部屋の片隅。見知らぬ他人のプライバシーをカーテンなんかで仕切ってる
〈月明かりの病室。〉
むずむずして、その場から出た。
おいつめられ、不意に駆け込んだ光
なんども嘔吐した―