祖父の話
55年前 西暦2079年
僕の祖父が15歳、高校生になりたての頃。
「おーい、達也〜!」
日本の標準気温は29度になっていた。四季もほとんどなくなり、2月頃に20度、8月頃に38度になるくらいだった。
昔は2月は0度になったり8月は35度になったり、気温差が激しかったんだよと祖父の祖父が言っていたそうだ。
今は逆に、気温38度とか考えられない。暑いという感覚がわからない。
「よう、俊!今日もあっついなー!」
この日は5月にしてはやたらと暑い日だった。
「あれだろ、異常気象で31度まであがるんだろ?」
「そうそう。学校行くのだるいな」
「あ、そういえば、昨日の課題、できた?」
「ん?海面上昇の記事か?」
「それ!関空ってもう沈んだんだよな?」
「いつの話だよそれ」
地球の気温上昇に比例して、海面が上昇した。この年の5年前に関空が沈み、日本全ての海岸沿いに防潮堤が建った。世界最大級で、300mを超えるものだった。
それに伴い、漁業は縮小、国に認められた者だけが捕っていいことになった。
これでしばらくは日本は安心だと考えられていた。
しかし……
日本全域大地震でそれは崩壊した。
関空が沈んでから3年経っており、海面はその時より9m上昇していた。
地震による津波により、海岸沿い200mの街は沈み、日本にはほとんど居場所がなくなった。
「1年に4mだろ?」
「3mじゃなかったのか⁉」
「去年から4mだぞ」
「いつかこの街も沈んじまうな」
僕の祖父は日本第三高等学校の生徒だった。
少子化、気温上昇、地震、津波などの影響で、人口は激減。日本の高校はたった9校になっていた。
「沖縄もこのままじゃ5年後とか危ないな」
「いや、地球全体危ないよ」
この日を境に、気温はどんどん上がり続けた。
6月には36度を超え、この夏の電力供給は危ないとニュースで放送された。
7月。40度を超えた。停電になる家が続出し、お年寄りの人達が一気に亡くなった。
8月になり、44度を達成。今まで封印していた原子力発電所を急遽使うことになった。
9月になった。49度。原子力発電所を使っても追いつかない。
10月。50度でストップした。人々はほっとした。
この時点で大阪、沖縄、香川は完全に沈んでいた。
この時南極の気温は、マイナス10度まで上がっていた。
それから4年後。
恐ろしい出来事が起こった。