表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

祖父の話

55年前 西暦2079年

僕の祖父が15歳、高校生になりたての頃。


「おーい、達也〜!」


日本の標準気温は29度になっていた。四季もほとんどなくなり、2月頃に20度、8月頃に38度になるくらいだった。

昔は2月は0度になったり8月は35度になったり、気温差が激しかったんだよと祖父の祖父が言っていたそうだ。

今は逆に、気温38度とか考えられない。暑いという感覚がわからない。


「よう、俊!今日もあっついなー!」


この日は5月にしてはやたらと暑い日だった。

「あれだろ、異常気象で31度まであがるんだろ?」

「そうそう。学校行くのだるいな」

「あ、そういえば、昨日の課題、できた?」

「ん?海面上昇の記事か?」

「それ!関空ってもう沈んだんだよな?」

「いつの話だよそれ」


地球の気温上昇に比例して、海面が上昇した。この年の5年前に関空が沈み、日本全ての海岸沿いに防潮堤が建った。世界最大級で、300mを超えるものだった。

それに伴い、漁業は縮小、国に認められた者だけが捕っていいことになった。

これでしばらくは日本は安心だと考えられていた。

しかし……

日本全域大地震でそれは崩壊した。

関空が沈んでから3年経っており、海面はその時より9m上昇していた。

地震による津波により、海岸沿い200mの街は沈み、日本にはほとんど居場所がなくなった。


「1年に4mだろ?」

「3mじゃなかったのか⁉」

「去年から4mだぞ」

「いつかこの街も沈んじまうな」


僕の祖父は日本第三高等学校の生徒だった。

少子化、気温上昇、地震、津波などの影響で、人口は激減。日本の高校はたった9校になっていた。


「沖縄もこのままじゃ5年後とか危ないな」

「いや、地球全体危ないよ」


この日を境に、気温はどんどん上がり続けた。

6月には36度を超え、この夏の電力供給は危ないとニュースで放送された。

7月。40度を超えた。停電になる家が続出し、お年寄りの人達が一気に亡くなった。

8月になり、44度を達成。今まで封印していた原子力発電所を急遽使うことになった。

9月になった。49度。原子力発電所を使っても追いつかない。

10月。50度でストップした。人々はほっとした。

この時点で大阪、沖縄、香川は完全に沈んでいた。

この時南極の気温は、マイナス10度まで上がっていた。


それから4年後。

恐ろしい出来事が起こった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ