六章 筆を取る時
「見なよ二人共。まだ遅刻者がいる」
「ええ、全く……早く私達も眠りたいのに、手間を掛けてくれるわ」
「アレクの奴は先に行ったんだろ?気楽な物だぜ」
エルさんとルザ、カーシュの三人は揃ってあの赤い目をしている。その恐怖と所持した武器で、まともに見ていられない。
「クレオ」
一歩踏み出したルザの左腕には、ぐったりしたロディ君の肉体。死霊でさえ地の底とやらへ行かなければならないのか、この世界では。
「来なさい。あんたがいないと私達も寂しいわ。他のエレミア人達も皆待っているのよ」
「嫌ですルザ。こんなの何かの間違いです!どうしてあなたが、命を削ってまで守ろうとしたロディ君を再び殺めなければならないのですか!?答えて下さい!」
「――が泣いているからよ。それにクレオ、皆が一緒にいられるなら何処でも同じじゃない。生きていようと死んでいようと。なら、どうして敢えて短く苦しい方を選択する必要があるの?」
その答えに本来の彼女特有の苦悩、自分の寿命と養父への貢献を天秤に掛ける事に起因する物は一切感じられない。
「そうだよ。向こうなら病も老いも死も無い。デイシーやリサちゃんみたいな、生まれつき不幸な子供もいないんだぞ?皆平等だ」
「二人が不幸だなんて言わないで下さいカーシュ!!」仲睦まじい二人の笑顔を思い出し、流石の僕も激昂した。「それは彼女達への侮辱です!!撤回して下さい!」
「そんなに怒るなよ。間違ってないだろ、俺の言っている事」
彼女の言う通りだ。本物の彼が、秘かに想いを寄せるデイシーさんをそんな風に評するはずがない。
偽物のエルさんが右手を天井へ向けて上げる。
「君も変わった奴だな。美女の生首と二人、朽ち果てるまでこちらに残るつもりかい?僕等と来ればタイナーの身体もあっと言う間に元に戻るのに」
う……それは凄く魅力的だ。彼女の逞しくしなやかな四肢を、このまま永久に失うのは余りに惜しい。
―――……惑わされるな。
「だ、駄目です」
僕は辛うじてエルさんの提案を退けた。そうだ、偽者の彼等が本当の事など言うものか。
返事を聞き、やれやれと首を振る副聖王。
「そうか、残念だよ。――二人共、クレオに宿命には逆らえないと教えてやれ」
「了解」「良心が咎めるけど、仕方ないわね」
言うなりカーシュの長鎌が胴体を真っ二つにしようと、横に勢い付けて振り被られた。僕は咄嗟に埋葬予定表の山を落とす。部屋中舞い上がる書類が三人を驚かせている内に、素早くドアまで走った。バタンッ!勿論、これだけで追撃を振り切れるとは思っていない。
「待てっ!」「冱える弾丸!!」
ルザの杖から放たれた業火が冷凍弾と接触し、瞬時に水蒸気と化す。煙幕を盾に加速装置を使い、一気に長い廊下を駆け抜けた。両腕でショルダーバッグを抱え、閉まったままの窓に自ら飛び込む。
ガシャン!!ドサッ……。
「う……大丈夫ですかシルクさん?」―――ああ……しかし無茶をしたな。
クッションになった草むらから立ち上がる。手足に多少の損傷はあるものの、エラーは出ていないようだ。良かった。今の状況で故障は絶対に赦されない。
急いで政府館を離れ、その脚で真っ直ぐ北へ向かう。以前試写会で皆が話していたアルバスル共同墓地。この街でアレクがリサさんを埋葬する可能性の最も高い場所だ。
―――……クレオ、何処へ向かっている?
「共同墓地です。さっきカーシュが、アレクは先に行ったって言っていたでしょう?土の下に埋めるとも。多分、この何処かにリサさんも連れて来られているはずです」
―――……そうだな。手遅れになる前に取り返さないと……。
鬱蒼とした森を抜け、僕達は墓地名が書かれた大理石のプレートの掛けられた門を潜り、敷地内へ入った。
「な、何だこれ……?」
規則正しく並んでいたはずの十字架が抜かれて、樹の傍へ山積みされている。代わりに墓地全体に深い穴が所狭しと開き、人々が笑いながら手に手を取って飛び降りていく。僕達の出現には全く気付いていない。
「あれは」
見覚えのある制服の男性が、前で微笑む女性の背を押して奈落へ突き落としていた。間違い無い。プルーブルーの改札にいた係員だ。そうか。この人達、わざわざここへ埋まるために窮屈な船に乗って……考えただけでぞっと背筋が凍る。
(どうして笑っていられるんだ?母さんは……)舌を出し、目を飛び出させ、凄く苦しそうな死相だったのに。
「二人は何処でしょう?」確認しながら足早に奥へと進む。―-いた!
「止めて下さいアレク!!」
彼は今、正に肩へ担いだ少女を暗闇の底へ落とそうとしている所だった。僕の制止に顔を上げる。
「何だ、シルクさんも連れて来てくれたのか。御苦労様」
「違います!仮令死体でも、リサさんを好き勝手するなんて赦される事ではありません!返して下さい!」
「何寝惚けてるんだ?なあデイシー」穴の中に呼び掛ける。
その瞬間、信じられない事が起こった。とてもデイシーさんの物とは思えない長く白い細腕が、リサさんの両肩を掴んで引き寄せたのだ。割って止める間も無かった。
―――リサ!!
吸い込まれる瞬間、死んでいたはずの彼女は目を開き驚愕と……親友に抱かれた幸福感に包まれ、闇の中へと消えた。
「何て事を……!!」
彼を押し退け、深い穴を覗き込む。どれだけ目を凝らしても、遂に二人の姿は見えなかった。
「追い付いたぞ!」
喪失感に打ちのめされる暇も無かった。僕はダメージを負った脚で立ち上がり、バッグを抱えて再び森の只中へ走り出す。
(もう屋敷に行くしかない!紙は僕の部屋に幾らでもある)
一度気味悪さから贅沢したとは言え、まさかここまで入手困難だとは思わなかった。
「済みませんシルクさん……!僕は、リサさんを……結局守れませんでした」
―――お前の責任ではない。どちらにしろ、あの子はもう手遅れだった。
慰めの言葉が余計に辛い。引き込まれる瞬間まで彼女は生きていたんだ。僕がこの手でちゃんと掴んでいさえすれば……!!
「後悔など、必要無い感情だわ」
もう何が起こっても僕は驚かなかった。樹上に座っていた黒縁眼鏡の少女は、一週間前と全く同じように卵状の黒い物体を抱え、言葉を続ける。
「早く行きなさいクレオ・ランバート。私と同じバグを抱えない内に……」
「あなたも、僕の勇気なんですね?」
応えるようにフッ、と彼女の姿が掻き消えた。やっぱり……全ては僕の心が生んだ幻。
―――そうだ。それで正解だ。
「シルクさん……」
戻らなきゃ、在るべき世界へ。
体当たりで屋敷の玄関ドアを開け、階段を駆け上がる。追っ手の足音に震えながら、自室に入って内鍵を掛けた。
「はぁっ……ぁっ……!」これでしばらくは大丈夫だろう。
幸い、机の上は昨日の朝と全く同じだ(但し何故かデッサン用に削ってあった鉛筆が全て消えている)。僕は半分使用済みのスケッチブックをキャンパスに立て掛け、貰った鉛筆をナイフで削りながら改めて考える。一体何を描けば、この不気味な世界から抜け出せるかを。
「駄目だ――何も思い付かない!」
思考を巡らそうとすればする程、頭が真っ白になってしまう。
―――焦るな。クレオ殿はもう答えを知っているはずだ。
「そんな事言われたって、僕もここまで散々考えてきたんですよ!でも」
ドンドンドン!僕を嘲笑うかのように、ドアが激しくノックされた。拙い!破られるのも時間の問題だ。
―――お前の中の恐怖と、正面から向き合うのだ。
『恐怖』と言う単語に、僕の回路内で何かが閃いた。左腕で彼女のバッグを膝に抱える。
―――勇を宿したクレオ殿なら必ず出来る。自分を信じろ。
「はい」
鉛筆をスケッチブックに押し付けた瞬間、壁一面に無数の赤い目が開いた。恐れでエンジンを停止させようと、中央に座る僕を一斉に睨み付ける。
(そうだ。この目はあの夜からずっといた。死の恐怖の象徴として、僕の心の中に、ずっと)
だが今は何も怖くない。僕の腕の中には、宇宙で一番心強い味方がいる。
シャッ、シャッ……。
正面を向きながら筆を走らせ、一ミリの迷い無く輪郭を写生する。モデルは目の前に幾らでもいる、手を止める必要は全く無かった。
完璧に整った形だ。白目の部分まで真紅。瞳孔は縦に細く、模写でさえ見た者の感情を死へ激しく乱そうとする。けれど、僕にはもう効かない。
ガンッ!バキッ!!
―――もうドアが保たないぞ。
「大丈夫です。これで」最後の一線を描くため、黒鉛の先端を置く。
バキィッ!!!
「完成です」シュッ。