五章 紅き終の世界
来た時と違い、宇宙船は完全に無人だ。にも関わらず、僕が乗ると汽笛が鳴った。ドアが自動的に閉まり、船体はゆっくりと故郷を離れ始める。遠ざかる浮遊都市はすぐに霧に隠され、見えなくなってしまった。
「さようなら、エレミア……ディーさん……べリーさん」
皆を置き去りにしたのは、果たして正しかったのだろうか?いや、今は迷っている場合ではない。
シャバムに到着するまでの間、僕は船内にノート等の白紙が無いか捜索した。何を描くか皆目見当付かないが、彼女の言う事はいつも的を射ていた。エリヤさんにも、何よりシルクさんが描けと言ったのだ。探さない訳にはいかない。
だが、マニュアルやパンフレットはあったものの、絵を描けそうな紙は一枚も発見出来なかった。確かに、宇宙船でデッサンする人間はまずいない。
僕は探索を諦めてトイレに行き、温かいお絞りを作ってシルクさんをバッグから出してあげた。切断された時に飛び散った血を拭うと、頬がいつもの肌色に戻る。幸い、傷口からの出血は大分前に止まっていたようだ。
「はい、綺麗になりましたよ」
―――……ありがとう。
「お礼を言われる程の事じゃありません。シルクさんは僕の……とても大事な人ですから」
直後、エンジンが沸騰しそうになる。言ってしまった!幾らこんな状況だからって、機械人形なんかに告白されたら迷惑に違いない。僕は慌てて頭を下げた。
「す、済みません!急に変な事言ってしまって!」
次の瞬間、ふっくらした唇が綻ぶ。
―――……私も、お前が大事だ。
「ええっ!!?」
どうしよう!ヒューズが飛んでしまいそうだ!これは両想いなのだろうか?もしそうなら、今日は僕の人生で最良の日に違いない!
―――どうした?
「い、いいえ!何でもありません!」
それから船が着陸するまでドキドキしっ放しだった。再びバッグに入ったシルクさんが、潤んだ目でずっと僕の方を見上げていたせいだ。この表情が偽物だって?冗談じゃない!
ガタン。
(やっと着いた)
まだ夕方でもないのに空がやけに赤かった。まるで全面に血を塗ったようだ……。
普段なら賑わっている船着場も、今日は人っ子一人いなかった。改札の係員すら。
「まずはシルクさんの家に行きましょう。リサさんの無事を確認しないと」バッグの中に語り掛けた。
昼夜を問わず騒がしい通りや商店街も誰一人いない。鳥や虫の音は無く、そよ風さえ吹いていない。全てが等しく沈黙している。
(やっぱりおかしい。皆、無事なんだろうか……?)
大体どうしてこうなったのだろう?エレミアが移動し、ヘレナさん達が生き返り、人々は消えた。ディーさんの手に掛かり、シルクさんはこんな姿にされ……一体原因は、何だ?
疑問が思考回路を駆け巡っている内に、慣れた道を通ってタイナー家へ辿り着いた。チャイムを押す。――返事は無い。
―――リサ……?いないのか?
「……入りますよ」彼女の不安な声に背中を押され、僕は覚悟を決めた。
ガチャッ、ドアを開ける。
ある程度していた予想を遥かに超え、中には恐ろしい光景が広がっていた。
「!!?アレク!!」
リビングにいた友人は、実体化した“透宴”の刃で横たわるリサさんの胸を貫いていた。テーブルの上で心臓を刺された少女の瞼は閉じ、ピクリとも動かない。
「っ!!アレク……!?何故こんな残虐な真似を!!?」
「何言っているんだクレオ?これは『お前の』仕事だろ?」
「そっちこそ巫山戯ないで下さい!どうして僕がリサさんを」
彼はバッグから覗く彼女を見つけ、不快そうに頭を振った。
「呆れた。お前、どっからシルクさんを掘り返してきたんだ?駄目じゃないか埋めとかないと。それとも、少しでも近くにいたいからか?なら仕方ないが」
駄目だ、全然話が通じない。
「教えて下さいアレク。一体これは誰の命令です?エルさんですか?それとも」
「命令?違うだろ、こいつは定められた運命。全ての者は等しく地の底、苦しみも痛みも無い天国へ行くんだ」
友人もディーさんと似たような理屈を言った。
「覚えてないのか?エレミアから飛ばされてきた日に説明しただろ俺?」
「そんなの知りません!」
友人は溜息を吐き、まあいいさ、一人も二人も同じだ、物騒な事を呟く。”透宴”を抜くと、傷口から噴水みたいに血が溢れ出した。小さな身体にもあんなに大量の血液が入っているのか。
―――リサはもう駄目だ。クレオ殿、逃げろ。
意見が一致した事に喜ぶ暇も無い。僕は素早く玄関を出、ドアを勢い良く閉めた。ナイフのぶつかる音を後ろに、林道を走って戻る。
(政府館へ行こう。もう嫌な予感しかしないけど……)
ルザやカーシュ達がどうなったか大凡の見当は付く。でも、確認しない訳にはいかない。
―――……描くんだ、クレオ。
「ええ。政府館なら山程紙も手に入るはずです」
相変わらず何を表せばいいかは分からない。でもシルクさんが僕の勇敢さ……それが鍵なのか?
リサさんの死体に依る内心の動揺を、無力な彼女には悟られるものか。愛する妹の死に一番傷付いている彼女にだけは、絶対。
(僕がしっかりしなきゃ――!)
友人が追って来る気配の無いまま、僕達は政府館の玄関まで辿り着いた。無人のロビーから、すぐ逃げられるよう土足で館内へ。そのまま三階まで昇り、エルさんの執務室へ向かう。
「失礼します」一応断ってからドアを開けた。
意外にも、部屋の中には主どころか誰もいなかった。思わず安堵の息が漏れる。
「良かった……シルクさん、どうやらここは安全みたいです」
一応、一週間前にデイシーさん達が潜んでいた床下を開け、無人なのを確認した。不意打ちで襲われでもしたら、僕はともかくバッグを守れる自信が無い。
「よし」デスクに積んである書類を、スケッチブック代わりに何枚か拝借していこう。題材はともかく、先に画材を入手しておくに越した事は無い。
「済みません。少し借りていきま―――っうわっ!!!?」
一番上の書類に、例の赤目が開いていた。また先回りされていたのか。
「くっ!この、邪魔しないで下さい!!」
怒りのまま払い除ける。床に落ちた紙をもう一度見ると、もうただの書類に戻っていた。再び視線をデスクの上へ向ける。
一番上の書類の題名は、『最終埋葬予定表』。どうやら今ここに積み上がっているのは全てそうらしい。下に行くほど古く、最新の日付は今日。何枚捲っても名前でビッチリ埋まっている。
「あ」
一番上には僕達LWP調査部を始め、タイナー姉妹やエルさんの名がはっきり記されていた。最後の行には手書きで『END』――完了、だ。
僕は意を決し、目の消えた書類に手を伸ばす。それは、
『さみしくないの?』
真っ赤な文字でそう僕に問い掛けていた。
「寂しい……?」
エレミアでもこの宇宙でも、僕は恵まれて優しい友人達に囲まれていた。今だって隣には愛する女性がいる。目覚めて以来、寂寥を感じた事は一度も無かった。
(でも)このメッセージを書いた人は酷く孤独だ。震えた字にも、その辛さがはっきり現れている。
書類を摘み上げてデスクに置き、バッグの鉛筆で文章の下に小さな絵を描いた。笑顔でこちらを向いている仔馬。エレミアにはいない、僕の憧れの動物の一つだ。蹄の下に吹き出しを付け、傍にいるよ、と言わせて元あった場所に戻した。
(幾ら沢山あっても、流石にこの不気味な書類を使う気にはなれないな……)仕方ない。他を当たって、
バタンッ!!