四章 導く首
(あ、そうだ……)
ふと母の書き置きの事を思い出す。僕の生家はここから目と鼻の先だ。もしかしたら『神よ贖え』以外にも遺言を発見出来るかもしれない。
「あの、ディーさん。帰る前にちょっと家へ寄りたいんですが」
「あそこか?構わないが急にどうした?」
僕の生家、研究所は住宅街の中でも特に人気の無い地区にある。目覚めて以来誰も踏み入っていない地下室は、当然少し埃っぽかった。中央に僕が作られた金属の寝台。周囲の機械からは、開発中に繋がれていた無数のコードが伸びている。
―――あなたは誰ですか?
―――俺はディー。で、お前はクレオ・ランバートだ。
例の書き置きは部屋の隅、母の使っていたベッドのサイドにあった。ところが、僕はまたしても驚かされる事になる。
―――神よ、私はあなたを愛しています。
何度も瞬きし、目を擦ってさえみた。しかし文面は変わらない。僕の勘違いだったのか?いや……逆にこれでは遺書ですらない。ただの信仰告白だ。
しばらく周りを捜索し、前に見た紙片を探すがどうしても見つからない。
「何探してるんだクレオ?」
「以前見た母の書き置きを。ディーさんは何処にあるか知りませんか?」
「いや。知らないな」
「分かりました。もう少し探してみます」
「ああ。じゃ俺ちょっと取ってくる物あるから」
「はい、行ってきて下さい」
ディーさんはそう言うとショルダーバッグを機械の上に置き、階段を昇っていった。
布団の隙間に落ちていないかと思い、シーツを外してもみたが何も無い。ベッドの下も確認した。駄目だ、メモは本当にあれ一枚きりのようだ。結局僕の見間違いだったのか?そんなまさか。あんな衝撃的な文面だったのに?
目覚めたばかりの時の事を思い出そうと、寝台の周りをぐるぐる回る。――メモを見たのはほんの二、三秒だ。触れた覚えは無く、移動したはずはない。誰かが侵入して持って行った?代わりにあれを書いて?全く理由が分からない。母に僕以外の身内はいないし、遺書を残しても見に来るとは限らない。何せここは自殺現場だ。普通の人間の神経なら、気味悪さに足を踏み入れようとは思わないだろう。
天井にぶら下がったランプを見上げる。あの鎖にロープを結び、母は自ら首を吊った。僕の記憶にある母は、既に事切れたまま数日が経過している姿だ。遺体はディーさんが降ろし、エレミアの墓地に埋葬してくれた。
(そうだ)棺の前で、彼は両手を合わせ目を閉じていた。あれも黙祷だ。その時の僕は何も思わなかったけれど、向こうでアレク達に教えてもらった今なら分かる。彼女を悼んでくれていたんだ、まだ『死』を理解出来なかった僕の代わりに。
ボトッ。
「?」
誰もいないはずの地下室に何かが落ちる音が響いた。目線を下ろし、辺りを見渡す。機械の上にあったバッグが床に落ちていた。原因はどうやらあれのようだ。
「吃驚した」ディーさん、相変わらず大雑把だなあ。割れ物だったら今ので粉々になっていた。
僕は屈み込んでバッグを拾い上げる。予想通り重い。中身は一体何だろう、ん?今、内側が膨れたような。
―――……レオ。
その音を認識した瞬間、エンジンが高鳴る。
「シルクさん!?何処にいるんですか!!?」
最愛の女性の声は何時になくか細く、静かにしてないと聞き取れないぐらいだ。
―――……描くんだ、早くしないと。
「まさか……」
声はすぐ下方で聞こえた。僕は恐る恐るバッグのチャックを開ける。
自分でも信じられない程の絶叫が飛び出た。
シルクさんは確かに『いた』。但し、首から上のみが。道理でこんなに重い訳だ。人間の首の重量は少ない人でも五キロ以上。体格の良い彼女なら六、七キロはあるだろう。
頭部しかない彼女は当然血の気が無かった。唇を僅かに動かし、再び僕の名を囁く。
「な、何でディーさんがシルクさんを……?」
エレミア人の彼が、彼女をこんな陰惨な目に遭わせる理由など無いはずだ。それに、どうして首だけ持ち歩いている?残りの身体は何処へ置いてきたのだろう?それに比べたら、何故まだ生きているのか、なんて些細な疑問だ。
―――恐怖を克服するんだ。
「もっと分かりやすく言って下さい。それじゃまるでエリヤさんです」
そう呟いて思い出した。あの預言者は『首』の言う事をよく聞けと言った。そうだ、何かは分からないが僕作の怖い絵も見えたらしい。もしかして……その絵を描けばこの不可解な現状を打破出来るのか?ひょっとしたら――シルクさんを元に戻す事も。
「クレオ?」
「ディー、さん……!?」
僕はバッグを背に庇いながら、階段を下りてくる殺人犯と対峙する。
「何だ、見たのかそれ」
彼はさっきまで持っていなかった愛刀を鞘から出し、まぁどっちでもいいさ、今からお前も殺すし、さらりと宣言した。
「な……!!?」
「さっき言っただろ?最後の日は『まだ』越えていないって。俺も、お前も、そこの彼女も外にいる他の連中も、皆仲良くあの冷たい土の下へ行くんだ。嬉しいだろ?クレオが来るのを母親もずっと待っているんだぞ」
「母が……?そんなはずありません。僕はただの身代わり機械人形です。彼女の所には既に本物のクレオ・ランバートが」
「だからって待っていないと何故言えるんだ?息子には違いないのに」
話している間にも、ディーさんは刀を持ったままじりじり近付いてくる。拙い、このままだと追い詰められてバッサリだ。
(逃げる?いや……)腰にはレイピア。眼鏡の少女から貰った機能もある。
「来いよクレオ」
「止むを得ません。行け、冱える弾丸!!」
僕は素早く左手の甲を彼に向け、氷の弾丸を発射する。着弾したディーさんの革靴が凍り付き、床にぴったり固定された。動きが止まった隙に、僕はバッグを肩に掛け階段へ走り出す。
(逃げるのはいい。でも、一体何処へ行けば……)
決まっている、エレミアを脱出するんだ。宇宙船にさえ乗ってしまえば、ディーさんもそう簡単には追って来られないだろう。
目線を下にやると、シルクさんもバッグの隙間から上目遣いに僕を見つめていた。首だけになっても、目の力強さは些かも衰えない。
(守らなきゃ、この人だけは)今それが出来るのは宇宙で僕だけだ。(そうだ!)
今度こそシャバムへ戻ろう。ディーさんは外の人達『も』と言っていた。リサさんやLWP調査部、連合政府の人々に危機を知らせないと。
「シルクさん、リサさんに会いに行きましょう。多分凄く驚かれるとは思いますが」
―――……ああ、頼む。連れて行ってくれ。
玄関を飛び出し、僕は一路船着場へ向かう。ここから墓地を抜け、エレミアの端を回っていけば近道だ。
「待て!!」
靴に霜が付いたまま、ディーさんが刀を振り回して追い掛けてきた。僕は十字架の間を通り、距離を取りつつ逃げる。だけど、駄目だ!身体能力の高い彼は巧みに隙間を抜け、遂に行く手を塞いでしまった。
「捕まえたぞ」彼らしくない意地悪げな笑顔を向け、刀を振り上げる。「死ね」
「くっ!」
レイピアを抜き、僕は一撃を防ごうと構えた。
ガンッ!「ぐぇっ!!」バタン!
「五月蠅いなあ。人が気持ち良く眠ってるのに」
ディーさんの真後ろに立っていたのは、金髪に銀目の眠たげな少女だった。手には身長の半分はあるシャベル。後頭部に叩き付けたそれを、ガシャン!無造作に地面へ放り投げる。
「!?生きていたんですねク」
「別に生きてはないけどね」
黒服に付いた土を鬱陶しげに両手で払い、彼女は大欠伸をした。その隣にいつもの毛玉は無い。
「駄目クレオ、こんな所に油売ってちゃ。早く行かないと取り返しが付かなくなるよ?」
「どう言う意味です?」
「思い出して、あなたの勇気。恐怖に勝つ武器はそれ以外……なんて、感情の乏しい私が言っても全然説得力無いね」
また欠伸。よっぽど眠いみたいだ。記憶ではもう低い頻度だった気がする。
「教えて下さい。どうしてディーさんは」
ガンッ!少女の靴が彼の頭を勢い良く蹴った。「ひっ!!」その両眼は澄んだ黒ではなく――真紅だった。ディーさんに取り憑いてまで僕を追って来るなんて……!!
「やっぱり本物だと思ってたんだ」
彼女は両手を上にして、「その反応だと頭から信じ込んでたみたいだね。人を信頼し過ぎ。クレオの悪い癖だよ」淡々とした口調で忠告する。
「え?ディーさん、じゃなかったんですか……?」
「当たり前じゃないそんなの。ここには偽物しかいないよ、私も含めてね」
もう一度、今度は背中を踏み付けてうつ伏せにする。正体を見破られた彼は、もうピクリとも動かなくなった。まるで糸の切れた操り人形みたいに。
「あなたも偽物??え、じゃあ本物は何処へ」
「知らない。興味があったら探してみれば?」
『おめでと、クレオ』
飼い犬と揃いのフリル付きのワンピースを着た少女は、裾を軽く持ち上げて一礼した。
『今日はわざわざ来てもらってありがとうございます』
『まぁ、私はお兄ちゃんと違って暇だしね。はいこれ』
ぽい、無造作に白いラッピング紙とピンクのリボンを結んだ箱を渡される。
『プレゼントまで用意してくれたんですか?』
『それ、孤児院から持って来た荷物に入ってたの。あげる』
『開けてみていいですか?』
『主賓なんだし、別に断らなくていいんじゃない?ふぁ』
パーティーでも欠伸癖は健在。常にマイペースな彼女らしくて、僕は結構好きだ。
テーブルの上でリボンを解き、包み紙を丁寧に開ける。中身は十二色の色鉛筆だった。
『使う?』
『ええ勿論!ありがとうございます!』
彼女は肩を竦め、なら良かった、とだけ言った。
『でもこれ、全然使っていないですね』
『私もお兄ちゃんも絵心無いから』そこで首を動かす。『ああ、ディー。ちゃんとお呼ばれしてるよ』
『そっか。――が皆で記念撮影しようってさ。クレオは主役だから真ん中な。――はどうする?』
『奥の端っこ』
『えー?あ、駄目だ。身長低いから前に座ってもらわないと』
家族の言葉に、早く言ってよそれを、ふぁ、としつつ嘆息した。
そう言えばあの色鉛筆、まだ屋敷に置いたままだ。何度かスケッチに色を付けたが、勿論使い切れていない。エレミアの風景には元々色が少なく、特に赤やオレンジの暖色系は全く出番が無かったせいだ。
「クレオ、ボーッとしている時間は無いよ?」
その言葉に、昔の記憶を辿っていた僕はハッ!となった。
「す、済みません」
「あ、そうだ。行く前にこれ」
ローブの腰のポケットから、数本の削っていない鉛筆を取り出す。それをショルダーバッグのポケットに突っ込み、チャックを閉めた。
「この前は色鉛筆あげたから、今度は普通のあげる。紙は自分で用意してよね。後いるなら消しゴムも」
「付いて来てはくれないんですか?」
「クレオにはもう頼もしい彼女がいるでしょ」バッグから覗く金目を見ながら言う。「お邪魔虫は大人しく寝てるよ。寝心地最悪のベッドで」
偽物と言いつつ、少女の飄然とした態度は記憶そのままだ。
「だって私、あなたの細切れの勇敢さらしいもの。彼女なら分かるけど。ホントに不思議極まりない」また欠伸しつつ、墓地に開いた穴の一つに丸くなって蹲る。
「おやすみ」
よく見ると頭の下には茶色い毛玉。どうやら柔らかいお腹を枕代わりに眠るらしい。
「死んでいるんですか?」
「知らないのクレオ?吠えないコリーはただの枕。有名な格言だよ」
「そんなの聞いた事ありません」
質問はまだ山程あったが、彼女は早くも安らかな寝息を立てていた。仕方なく、お休みなさい、そう声を掛けて僕は船着場へ急いだ。