一章 再度失われた命
ドンドンドン!
「ん……誰ですか?」
「起きてクレオ!!」
この甲高い声は同家に住む女友人、ルザの物だ。低血圧の(どころか死んで無血圧に近い)彼女が、朝からこんな大声を出すなんて何事だ?
「どうしたんです、こんな朝早くに……」
「お父様がいないの!それにオリオール達が」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
僕は温かいベッドを抜け出し、パジャマのまま廊下に出た。待っていたルザは慌てた様子で、とにかく来て!杖を持っていない方の腕で僕の手を引いた。
「一体何がどうしたんですロディ君?」
僕の呼び掛けに応じ、杖から赤いバンダナを巻いた半透明の少年が煙のように出てきた。
「見りゃ分かるさ」欠伸。「俺もキュクロスも、朝っぱらから働かされてもうクタクタなんだ。腹減った~。クレオ、出て来てやった報酬に魂一欠け」ボカッ!「ぎゃあっ!」
「だから勝手に出るんじゃない!」キッ!と睨まれる。「クレオ!あんたも私に断り無く呼ばないで。今度やったら齧らせるわよ」
「は、はい。済みません」
反射的に謝ると、何故か本人はかなりの動揺を見せた。
「わ、分かればいいのよ……素直過ぎてやりにくい奴だわ、本当」
「??」
朝日の差し込む誠さんの部屋は、以前一度入れてもらった時と中の人間以外全く変わらなかった。神父様は椅子に座ったままベッド中央に凭れ、オリオール君は窓辺の床の上に倒れている。小さな身体の横には、黄色いパステルカラーの薔薇の花束が落ちていた。どうやら誠さんのお見舞いに来て、何らかの原因で気絶してしまったようだ。
「ジュリトに朝食を持って来たらこの有様よ。寝ていたお父様は、ロディ達に屋敷中探させたんだけどいなくて……」
「エルさんに連絡は?」
僕の言葉に彼女はハッ!となった。
「ご、ごめんなさい……すっかり気が動転してて、まだ」
「謝らないで下さいルザ」
大事な養父の行方不明。加えてこの惨状では、一時的に正常な判断力を失うのも無理はない。
「急いで電話してくるわ。悪いけどクレオ、オリオールをお父様のベッドに寝かせて。多分すぐ移動させる事になるでしょうけど……」
「?ええ、分かりました」
バタン。僕はうつ伏せになった少年を仰向けにさせ、片腕で抱えた。
「?」
オリオール君は眉間に皺を寄せ、両手で心臓の辺りを押さえて酷く苦しそうにしている。勿論それも気になったが、もっと重大な異変に気付いてしまった。
「!?息が……!!」
口元に手を添える。矢張り呼吸していない。慌てて薄い胸に耳を当て、心音を確かめようとするが……駄目だ、どの角度で探っても一向に聞こえない。
「どう言う事でしょう、グリューネ様……?」自らの機関部に住まう、エレミアの光の巨鳥(今は小鳥サイズだが)に問い掛ける。
「私にも分からぬ。が、普段彼等から発散されていた魔力……不死故生命力ではないだろうが、それを今は全く感じられん」エンジンから響く女性的な声が答えた。
「ジュリトさんからもですか?」
「ああ」
取り合えず少年の身体を凹んだベッドに横たえ、シーツを掛けた。次にジュリトさんの体勢を変えようと、肩に手を掛けて仰向かせる。
「え?」
オリオール君とは逆に、神父さんは今までに無い至福の微笑みで眠っていた。驚き(若干引き)つつも、後頭部をベッドに凭せ掛けて楽にする。
床に落ちていた花束を拾った時、ドアが開いた。
「ルザですか?」
顔を上げると違った。屋敷の最後の住人、レティさんが不安そうな顔で入口に立っている。
「あ、おはようございますレティさん」
「クレオ……オリオール、寝てるの?ここ、聖者様の部屋だよ?」少年を指差し、覚えたてのこちらの言葉で疑問を口にする。
「ええ。だから少し静かにしていて下さい」
返事に少女は肩を竦め、嘘でしょ?と呟く。
「え?」
「だってオリオール、胸が全然動いてないもん。ルザもさっき、死んでる死んでるって散々騒いでたし」
僕の掴んだ花束、続いて部屋の中を見、いなくなったの聖者様?呟いた。
「え、ええ。レティさんは見ていません、よね?」
「うん」
彼女はトコトコ入ってきて少年の額に触れ、辛いのオリオール?夢の中でも苦しんでいるの?そう囁きかける。
「夢の中でも?オリオール君、何か悩みが?」
尋ねると彼女は目を伏せる。
「オリオール、私に言ったの。今は見せてあげられないけど、聖者様の笑顔は最高だって。でも、取り戻したくても僕には出来ない。だから凄く、辛いって」
「そう……ですか」
彼は不死族の中で唯一同居している。つまり、誠さんが最も信頼を寄せている人物。当然、他の人達より悩みも苦しみもずっと共有しているだろう。仮令、余所者の僕等にそんな素振りを一切見せなかったとしても。
キィッ。「ただいま……ああ、レティ。起きてたの」
さっきより若干蒼褪めたルザが戻って来た。
「おはようルザ。どうしたの?暗い顔して」
「何でも……なくはないわ。大変よ二人共………あぁ」
深い溜息を吐き、彼女はその重大な話を始めた。
日が昇ると同時に起床。まだ眠っている妹に声を掛けた後、着替えて屋外へ出た。鍛錬の一環のマラソン。筋肉トレーニングと同様、任務が無い時は街を一周するのを日課にしている。心肺機能を向上させ、いざと言う時動ける身体作りに必要不可欠な訓練だ。
Tシャツにジーパン、スニーカーを履いて大通りを走る。ウォーキングに励む老人達と挨拶を交わし、心地良い汗を掻きながら早行程の半分を消化した。余力は充分あるが、今日は一周で終えるつもりだ。リサとの朝食が待っている。
(久し振りにハムエッグでも作るか。リサにはミルク入りのスクランブルエッグを焼いて、副菜は温野菜を)
「ん?」
中央病院の入口が騒然としていた。患者を乗せたストレッチャーを押す看護婦が一人、中へ入っていくのが見える。ふと、乗った人物の服装に見覚えを感じ、「おい!」私は大声で彼女を呼び止めた。
「誰ですか?――あ、タイナーさん!おはようございます」
「済まない」
顔見知りの看護婦に追い付き、乗せられた白装束の男の顔を確かめる。制服から染み込んだ鳥ガラスープの匂いが辺りに漂っていた。
「靭殿!?おい、しっかりしろ!!」
土気色の肌の彼は、信じられない事に呼吸も拍動も止まっていた。しかも、何故か幸せそうに微笑んでいる。
「一体彼はどうしたんだ?」
「分かりません。通報した商店街の人達の話では、明け方になっても屋台が閉まっていないのを不思議に思って覗いたら、既にこの状態で倒れていたそうです」
昨日は休日だ。一人切り盛りしていたせいで発見が遅れたのだろう。
「シルクさん~!!」
受付から妹の親友、デイシー・ミラー殿がこちらに駆け寄って来た。彼女の大祖父である副聖王も後に続いてやってくる。
「済まないシルク・タイナー、手を貸してくれ。今警察と政府員に協力要請しているんだが、とても手が足りない」
「今運ばれていった靭殿と関係あるのか?」
「彼もか……となると、デイシー。彼女と一緒にリュネの家を確認してきてくれ。僕は警官達と住宅街の方を見てくる」
「いいんですか大お爺様~?リュネさんを私達に任せて~?」
含みを持たせた孫娘の言葉に、しかし聡い彼には珍しく意味を察せられなかったようだ。
「?ああ、非常事態だ。恐らく内鍵が掛かっているだろうからタイナー、壊してでも中に入ってくれ」
「つまり……同じ状態になっているかもしれぬ、と?」
「飲み込みが早くて助かるよ。今現在ここに保護されているのは二十人。早急に残り約二百八十人の安否をはっきりさせなければならない」
「分かった。行こうデイシー殿」
「了解です~」
病院を出、はたと朝食の件を思い出した。新聞記者に断って一度家へ舞い戻る。
「おかえりなさいお姉ちゃん。あれ、デイシーちゃんおはよう。どうしたの慌てて?」
予期せぬ親友の来訪に唇を綻ばせる妹に対し、ごめんリサちゃん、しばらくシルクさん借りてくよ、心底済まなさそうに謝った。
「それは全然構わないけど、何かあったの?」
「公式発表はまだなんだけど、不死族の人達が皆……死んでいるみたいなの」間延びしない真剣な声で言った。
「え!?」
信じられないと言った声を上げたリサに、本当だよ、言葉を重ねる。
「今の所原因は全然不明。シャバムの外の人達もそうなっているのかさえ分からなくて……」
「聖者様も?お屋敷には行ったの?」
「まだ。何か異変があったら、一緒にいるルザちゃん達が連絡してくれるはず」
「そう……」
妹が彼を案じるのも無理はない。入院生活の長いリサにとって、定期的に病院を訪問し患者達に癒しと傾聴を行う聖者様は、主治医と同じく精神的に頼れる治療者だ。
「リサ。悪いが先に食べていてくれ。何時戻って来られるかは分からない。泊まりになるようなら早目に連絡する」
「うん」気丈に首を縦に振る。「頑張って来てね二人共」
私達は行ってきますと告げ、家を後にした。
「デイシー殿。休暇は終わったのか?」
妹の話では、彼女は新聞社に勤務して初めて有休を使い、ここ数日“蒼の星”へ行っていたらしい。
「ええ、昨日帰って来たばかりです~。あ!リサちゃんにお土産のチョコレート渡すの忘れてた~。今度行く時でもいいですよね~?」
「ああ、すぐ腐る物でもないしな。それより何処のリゾートへ行っていたんだ?プルーブルーか?」
蒼い海と白い砂浜。一年中新鮮な魚介類が豊富で、シャバム程ではないが一通り文化施設も揃っている。短期長期共、滞在するには良い所だ。
「宿はプルーブルーで取りましたけど~、寝る以外はボートを借りて近くの無人島に行ってました~。人がいる所だと修行になりませんから~」
新聞記者は強力な魔力抑制装置である黒縁眼鏡に手を掛け、無造作に外した。私が吃驚して息を詰めると、裸眼でニヤニヤ笑ってこちらを見る。
「心配いりませんよシルクさん~。ちゃんと制御してますから~」
「本当か?」
彼女の目に一週間前の狂気は見えないが、安心するにはまだ早い。
「そんなに警戒しなくて大丈夫ですよ~」眼鏡を掛け直す。「これでいいですか~?」
「あ、ああ。済まない。しかしどうして急に」幼い頃制御に失敗して以来、装置に頼り切りだと聞いていた。
するとデイシー殿は真剣な目付きで、取り合えず間に合って良かったです、と呟いた。
「何?」
「もし間に合わなかったら……リサちゃんや調査団の皆を守れない所でした。尤も、私の力だけで対処出来る脅威ではないかもしれませんけど」
「もしや、殺人現場で見た物の事を言っているのか?」
妹と共に口を閉ざし秘密にしている、恐怖を伴う『何か』。
「ええ……シルクさん、一つお願いしてもいいですか?」
「何だ?」
「もし私達に何かあったら……リサちゃんを連れて逃げて下さい。安全ならお父さんの所へでも。――彼をリサちゃんが怖がっているのは知っていますけど、背に腹はかえられません」
「何?」
あの男の元へ救護を求める程の危機、だと?まさか……『何か』の正体は“六魔”、つまり……彼、なのか?
「分かった。いよいよどうしようもなくなったら、な」
勿論妹が親友を置いていくなど了承するはずもない。私としても、奴に頼るのは己の誇りが赦さぬ。多分約束は反古されるだろう。
宇宙船にも応用される魔術機械の開発者、リュネ殿の家はシャバムの郊外。静かな森の小道を抜けた先だ。二百年前、政府所有の時計塔跡地を買い取って以来の住まいらしい。
「リュネさん~!入りますよ~!」
副聖王の想定通り、入口は施錠されていた。簡単な構造の物だ。私は懐の七つ道具が入った小袋から、折れ曲がった十数センチの針金を取り出した。
「シルクさん、錠前破りのスキルまで持っているんですか~?」
「一応な」
蹴り破った方が百倍早いのは事実だが、わざわざ後で請求書を書く手間を押し付ける事も無いだろう。
ガチャガチャ……カチャッ。「よし、開いたぞ」キィッ。「特に防犯装置も無いようだ」
顎に手を添え、玄関周辺を見回す。
「ふむ。一人暮らしの女性としては些か無用心だな。後で忠告しておくべきか。――まあいい、取り敢えず入るぞ」
「は~い」
女性にしては質素の一言に尽きる屋内。長時間仕事で政府館内の研究所に詰めているせいだろうか?唯一住人の個性を感じさせる本棚には、意外にも流行りの占い本や恋愛小説が並んでいた。私が勉強用に購入している月刊少女漫画雑誌、“花花キャンパス”連載の原作本もある。
「随分少女趣味な棚ですね~」
私が興味を示したのが珍しいのか、デイシー殿が隣にやってくる。
「私も余り人の事は言えないさ」
「そう言えばシルクさん~、毎号欠かさず”花花キャンパス”買ってるんですって~?」
「ああ、社会勉強にな」
そう答えると、新聞記者は何故か腹を抱えて笑った。
「?」
「何でもありません~――ああ、いた」
リュネ殿はリビング兼ダイニング、その二人掛けソファで猫のように丸まって眠っていた。手には読みかけの文庫本。
「今話題の推理物シリーズですね~私も大お爺様に勧められて読みました~」くすくす。「本当素直じゃないんですから~」
私は靭殿と同じく微笑んだままの口元に手を当て、続いて手首の脈を取る。
「駄目だ、死んでいる」
「でしょうね~。いつもなら玄関に誰か来た時点で出てきてくれます~」
「不思議だな。靭殿といい、何故笑んだまま亡くなっているんだ?」
問いに彼女は小さな肩を竦めてみせた。
「さ~?取り敢えずは病院へ運びましょうか~」
「そうだな。失礼」
死体に断って本を閉じテーブルに置いた後、ぐにゃりと力の抜けた身体を背負う。
「?変ですね、死んでから時間が経っているはずなのに、死後硬直が起こってません~。シルクさん~、ちょっと動かさないで下さいね~」
少女は靴を脱いでソファへ登り、死体のシャツの襟を捲って中の皮膚を観察する。
「おかしいな~?ずっと下を向いていたのに死斑が見当たりません~。瞳孔は……ちゃんと開いてますね~。体温も下がっています~」
下りてきたデイシー殿は首を傾げ、シルクさんの豊富な経験にはありますか、こう言う特徴の死体~?と尋ねてきた。
「いや。特に薬物臭も無いし、分からん。そうだデイシー殿、口唇と眼球は乾いているか?」
「えっと~……あれっ、変ですね~。まだ全然濡れてますよ~。確か死体になると、閉じていても粘膜は乾燥していくはずですけど~?もう夏とは言え、この家の湿度は極普通なのに~」触った指をハンカチで拭いながら言う。
考えていても埒が明かない。私達はテーブルにあった玄関の鍵を掛け直し、家を後にした。
病院前は先程よりも遥かに大勢の人々で溢れ返っていた。老若男女の不死族達が、警官や政府員だけでなく明らかな一般人にも担がれて次々入口へ消えていく。
「デイシー!!」
後ろを振り返ると、ルザ殿とクレオ殿がこちらに歩いてくる所だった。二人共肩から背負った者の頭を覗かせている。屋敷にいる子供と、一週間前の事で私達と多少因縁のある神父だ。
「そんな、リュネまで……!?しっかりしてよ!!」
若き死霊術師は死体の肩に触れ、軽く揺さ振った。リュネ殿とは同じ省、しかも魔術の師だ。信頼ある相手の異変に動揺を隠せないよう。
「そちらもか、クレオ殿。聖者様はどうした?」
「それが、屋敷には……昨夜まで意識不明だったのに、一体何処へ行ったのでしょう?」
彼の言葉に、隣のデイシー殿は僅かに眉を顰めた。
「?どうした?」
「……皆、急いで三人を運んで下さい。私は大お爺様を探してきます」
言うなり彼女はダッ!と来た道を駆け出していった。
「デイシーさん?」
唖然とするクレオ殿に、取り敢えずオリオール達を寝かせましょう、重くて仕方ないわ、ルザ殿は冷静さを取り繕いながら言った。
「え、ええ。シルクさん、行きましょう」
「ああ」