第9話
立てこもり三日目、午後零時十五分。
昼食を終えた機動隊員たちが、再び鉄の盾を並べ、冷徹な隊列へと戻った。雪原に散らばっていたカップヌードルの空き容器は、まるでもう一つの死体のように、無造作に雪へ埋められていく。
「……もう、終わりだ」
山荘の二階。成瀬が、ふらふらとした足取りでバルコニーへと歩み出た。
三日間の不眠と、昨日自ら手を染めた殺人の記憶。彼の瞳からは理性の光が消え、代わりに肥大化した自己愛と狂信が、その表情を歪ませていた。
「見ろ、杉本! 国家の番犬どもが、腹を満たして満足げな面をしているぞ!」
成瀬は、吊るされたままのミチルの横に立ち、雪原に向かって両腕を広げた。その手には、もう銃は握られていない。彼は「言葉」というかつての武器を取り戻そうとしていた。
「我々の勝利だ! お前たちがどれだけ麺を啜り、腹を満たそうとも、この雪原に流れた血は消えない! 我々が刻んだ恐怖は、お前たちの平穏な日常を――」
『……成瀬。黙れ』
和也の声が、スピーカーを通さず、張り詰めた空気の中を直接届いた。
包囲網の中央、島田和也が狙撃銃(PSG-1)を構え、微塵の揺らぎもなく成瀬の眉間に照準を合わせていた。
「島田君! 君もかつては同志だった! 音楽を愛し、理想を語ったはずだ! 今からでも遅くない、その銃を捨て――」
乾いた、短い破裂音。
成瀬の言葉は、赤い飛沫となって冬空に霧散した。
弾丸は正確に彼の開いた口を貫き、後頭部を粉砕した。成瀬の身体は糸の切れた人形のように、ゆっくりと後ろにのけ反る。
「…………成瀬さん?」
杉本の目の前で、リーダーだった男が、言葉の代わりに真っ黒な血を吐き出しながら床に崩れ落ちた。
かつて大学のサークル棟で、熱っぽく「万人の自由」を語っていたあの口から、今はただ、無機質な死の臭いが立ち昇っている。
『……一号、排除完了』
和也の、機械のような報告が無線に流れる。
彼にとって、成瀬を殺したことは「対話」ではなく、単なる「障害物の撤去」に過ぎなかった。
「ハッ……。案外、呆気ねえ幕切れだな」
奥から真壁が、冷ややかな笑みを浮かべて現れた。
彼は成瀬の死体に見向きもせず、吊るされたザイルを、ナイフで一気に切り裂いた。
「きゃっ……!」
ミチルの身体が、一気に数メートル落下し、ベランダの手すり際で辛うじて止まる。
「リーダーがいなきゃ、ここはただの死に場所だ。……おい、杉本。最後の手札を切るぞ。……あいつ(和也)が一番見たくないものを見せてやる」
真壁は、気絶しかけているミチルの腰に、数個のプラスチック爆弾(C4)を巻き付け始めた。
成瀬という「理想」が死んだ場所に、真壁という「剥き出しの悪意」が牙を剥く。
「……和也、お前が殺したんだ。成瀬さんを……僕たちの過去を」
杉本は、血に濡れた床に膝をつき、自分の指先を見つめた。
もう、言葉は届かない。音楽も聞こえない。
残っているのは、爆弾を背負わされた少女と、自分を殺しに来る親友だけだ。




