第一章 第三節 第一話 水の騎士
海の神殿は、年に一度の熱気に包まれていた。
神殿中央に広がる巨大な水盤。
水のドラゴンに捧げられたその場で、水の騎士を選ぶ大会が行われる。
魚人にとって、それは単なる武の競い合いではない。
信仰であり、誇りであり、未来を選ばれる儀式だった。
「……今年も、あの二人か」
観衆の誰かが呟く。
水盤の両端に立つのは、ネレウスとエイリオン。
この大会の決勝で、この二人が並ばなかった年はない。
ネレウスは静かに構え、呼吸を整える。
無駄な力は抜けている。
一方、エイリオンは穏やかな笑みを浮かべていた。
周囲に手を振り、場の空気を和ませる。
「また決勝だな、ネレウス」
「……ああ」
短い返答。
それでも、言葉に棘はない。
二人は敵ではない。
少なくとも、ネレウスはそう思っていた。
審判の声が響く。
「両者、構え!」
水盤の水が宙へと舞い上がる。
淡く光を帯び、二人の周囲を巡る。
エイリオンが先に動いた。
鋭く踏み込み、水を刃のように操る。
迷いのない攻撃。
ネレウスは最小限の動きでそれを捌き、距離を詰める。
派手さはない。
だが、確実だ。
二人の攻防に、神殿が静まり返る。
一瞬の隙。
ネレウスの一撃が、
エイリオンの構えを崩した。
「……勝者、ネレウス!」
歓声が湧き上がる。
水の騎士。
今年も、その称号はネレウスのものだった。
ネレウスは一歩下がり、深く頭を下げる。
「……いい試合だった」
手を差し出す。
エイリオンは一瞬だけ視線を落とし、すぐにいつもの笑顔でその手を握った。
「さすがだよ。やっぱり、選ばれるのは君だ」
その言葉は穏やかだった。
だが、どこか乾いていた。
大会が終わり、神殿に再び静けさが戻り始めた頃。
海が、ざわめいた。
「……何だ?」
神殿近くの海で、普段は人を避ける生き物たちが、異様に集まり始めている。
次の瞬間、水面が大きく割れた。
理性を失った海獣が、神殿へと襲いかかる。
「迎撃!」
ネレウスは迷わず前に出た。
水の騎士として選ばれた者。
守るのは当然だった。
戦いは激しかった。
本来、争う理由のない生き物たち。
だがその目は濁り、動きは荒い。
最後の一体を倒した時、
海は嘘のように静まった。
残ったのは、荒れた水面と、重い沈黙。
「……原因が分からない」
誰かが呟く。
穢れは残っていない。
闇の気配も感じられない。
まるで、最初から存在しなかったかのようだった。
ネレウスは海を見つめ、胸の奥に残る違和感を拭えずにいた。
「……偶然じゃない」
少し離れた場所で、エイリオンが一人、海を見ていた。
拳を強く握りしめ、すぐに力を抜く。
「……次は」
誰にも聞こえない声が、波音に溶けて消えた。
その言葉の意味を、知る者はいない。




