第三章 第二節 第九話 間に合せの歯車
水のドラゴンの神殿へ続く回廊は、
昨日よりも確実に荒れていた。
床に刻まれた溝には、
本来なら澄んだ水が流れているはずだったが、
今は黒ずんだ水が溜まり、
動きが鈍くなっている。
足を踏み出すたび、
ぬるりとした感触が残った。
「……進行、早すぎる」
ドゥリアが、
声を潜めて言う。
壁際では、
魚人たちが倒れ伏していた。
意識のある者もいるが、
呼吸は浅く、
目は虚ろだ。
「水の濁りが、
体に直接影響してる」
リシアは、
その様子を一瞥し、
すぐに視線を水路へ戻した。
「この濃度だと、
水に適応している魚人ほど
影響が深い」
「……皮肉だね」
ドゥリアが唇を噛む。
神殿の奥、
水のドラゴンがいる方向から、
低く重い水音が響いていた。
それは、
呼吸のようでもあり、
苦悶のようでもあった。
「ドラゴン様が、
全部受け止めてる」
リシアは断言した。
「魚王の鱗があった頃は、
濁りを分散して、
浄化の流れを作れていた」
「でも今は、
受け皿がない」
「だから、
一点集中で抱え込んでる」
ドゥリアは、
拳を握りしめる。
「……それってさ」
「ドラゴン様が限界きたら、
この国……」
「終わるわ」
リシアは、
淡々と答えた。
だからこそ、
時間を稼ぐ必要がある。
リシアは、
神殿内部の構造図を広げた。
古い石板。
水路の配置。
浄化儀式の記録。
「魚王の鱗は、
浄化そのものを
行っていたわけじゃない」
「“流れを整える触媒”」
「水のドラゴンの力を、
水全体に行き渡らせるための
歯車みたいなもの」
ドゥリアが、
目を輝かせる。
「じゃあさ」
「歯車がないなら、
別の歯車を作ればいい?」
「……発想は合ってる」
リシアは、
少しだけ口角を上げた。
「完全な代用品は無理」
「でも、
流れを“偏らせない”装置なら
作れる」
「ドラゴンが正気に戻りさえすれば、
その力を水に回せる」
「浄化の精度は落ちるけど、
国を維持する程度なら可能」
「……それ、
間に合せ?」
「ええ」
リシアはうなずく。
「定期的な調整が必要」
「部品も消耗する」
「放置すれば、
また濁りは溜まる」
「でも今は、
それでいい」
二人は、
作業場へ移動した。
ドゥリアは倉庫から、
金属枠と魔力伝導用の石を引っ張り出す。
「これ、
水圧に耐えられる」
「加工すれば、
触媒の代わりになるかも」
リシアは、
即座に設計を組み替えた。
「……ここで流れを分岐」
「戻りを作って、
滞留を防ぐ」
「ドラゴンの力が入った瞬間、
全域に回る構造」
二人の会話は、
次第に減っていく。
手を動かす音だけが、
神殿に響いた。
やがて、
装置は形になった。
粗削りで、
無骨。
だが、
水路に組み込まれると、
確かに水が動き始める。
濁りが、
一点に溜まらず、
薄く広がっていく。
「……回ってる」
ドゥリアが、
息を呑んだ。
水盤の色が、
わずかにだが、
確実に軽くなる。
リシアは、
静かに息を吐いた。
「これで、
ドラゴンが正気に戻れば」
「水は、
自力で浄化を始める」
「魚王の鱗ほどじゃないけど、
国を保つ力はある」
「完全じゃない」
「でも、
終わりは止められる」
ドゥリアは、
神殿の奥を見た。
「……向こう、
大丈夫かな」
水のドラゴンがいる場所。
ライナスたちが向かった先。
リシアは、
工具を置き、
一瞬だけ目を閉じた。
「任せたわ」
「私たちは、
できることをやった」
装置は、
低く唸り続けている。
不完全な歯車。
だが、
それは確かに、
この国を
繋ぎ止めていた。




