第三章 第二節 第六話 神殿へ至る、静かな許可
朝。
宿の外に出ると、
空気がひんやりと湿っていた。
海の匂いは変わらない。
だが、
水の気配が重い。
「……今日は、
静かだね」
ドゥリアが、
空を見上げて言った。
魚人の街は、
朝になると活気づく。
漁の準備、
市場の開店、
子どもたちの声。
それらが、
今日は控えめだった。
「静かというより、
息を潜めている感じね」
リシアが、
周囲を見渡す。
通りを歩く魚人たちは、
こちらを一瞬だけ見て、
すぐに視線を逸らす。
敵意ではない。
警戒と戸惑い。
「……他種族が
五人もいれば、
当然か」
ネレウスが、
低く言った。
「それでも、
今日は通される」
ライナスは、
短く返す。
「長老が、
そう決めた」
ーーー
長老の広間。
昨日と同じ場所。
同じ石の床。
同じ水灯。
だが、
空気は違っていた。
長老は、
すでに席についていた。
その背後には、
数名の魚人。
護衛とも、
評議とも取れる立ち位置。
「……来たか」
長老の声は、
落ち着いている。
だが、
視線は鋭い。
ネレウスが、
一歩前に出た。
「長老」
「神殿への立ち入り、
許可を願います」
即答ではなかった。
長老は、
ネレウスだけでなく、
他の四人を順に見た。
リシア。
フィリア。
ドゥリア。
ライナス。
「……本来なら」
長老が、
静かに言う。
「外の者は、
神殿に入れぬ」
「水の中心は、
魚人のものだ」
リシアが、
一歩も引かずに言う。
「それは理解しています」
「だからこそ、
確認だけさせてください」
「私たちは、
解決策を持ってきたとは
言いません」
「ただ、
“何が起きているか”を
見たい」
長老の眉が、
わずかに動く。
「……見て、
どうする」
ライナスが、
代わりに答えた。
「見た上で、
引き返すこともある」
「だが、
見ずに引き返すことは
できない」
ドゥリアが、
小さく付け足す。
「こわいまま、
かえりたくない」
その言葉に、
背後の魚人たちが
わずかにざわめいた。
フィリアは、
静かに言う。
「水の乱れは、
魚人だけの問題ではありません」
「下流は、
他の国にも繋がっている」
「ここで起きていることは、
外にも届く」
長老は、
しばらく黙っていた。
水灯の揺れが、
その沈黙を引き延ばす。
「……ネレウス」
長老が、
低く呼んだ。
「お前は、
この者たちを
信じるのか」
ネレウスは、
一瞬だけ目を閉じ、
そして答えた。
「信じます」
「彼らは、
誇りを捨てて
ここに来た」
「水の騎士が
他種族の力を借りるのは
恥だと、
言われるでしょう」
「それでも」
視線を上げる。
「水が壊れるほうが、
もっと恥です」
広間が、
静まり返った。
長老は、
ゆっくりと立ち上がる。
「……よかろう」
その一言で、
空気が変わった。
「神殿へ通す」
「ただし、
条件がある」
リシアが、
即座に聞く。
「条件とは?」
「神殿の奥へ入るのは、
必要最低限だ」
「勝手な行動は許さぬ」
「そして――」
長老は、
五人を見渡した。
「責任は、
魚人の国が負う」
「何か起きれば、
外の者のせいにはせぬ」
その意味を、
全員が理解した。
これは、
最後の防波堤だ。
長老は、
国の誇りを賭けている。
「……感謝します」
ネレウスが、
深く頭を下げた。
ーーー
神殿へ向かう道。
街の中心から離れ、
岩場の多い区域へ進む。
人影は、
ほとんどない。
水音だけが、
次第に大きくなる。
「……空気が、
違う」
フィリアが、
小さく言った。
「水の圧が、
増してる」
ドゥリアが、
思わず服の裾を掴む。
「なんか……
息がしづらい」
リシアが、
即座に判断する。
「無理しないで」
「異変の中心に
近づいてる」
ネレウスは、
前を歩きながら言う。
「神殿は、
水脈の要だ」
「ここが乱れれば、
街全体に影響が出る」
「……つまり」
ライナスが、
低く言う。
「一番、
見ないふりができない場所」
ネレウスは、
否定しなかった。
ーーー
神殿の外壁が、
見えてきた。
巨大な岩をくり抜いたような造り。
水が、
壁を伝って流れている。
だが、
その流れは均一ではない。
場所によって、
速度が違う。
「……明らかに、
おかしい」
リシアが、
即座に言った。
「水が、
噛み合ってない」
フィリアは、
壁に手を触れずに、
距離を取ったまま感じ取る。
「……澄んでいるように
見せているだけ」
「内側で、
歪みが溜まってる」
ドゥリアが、
小さく息を飲む。
「ここ、
こわい」
ライナスは、
神殿の入口を見つめた。
扉は、
閉じている。
だが、
完全に閉ざす意志は感じられない。
「……中で、
何かが起きている」
ネレウスが、
低く言う。
「だからこそ、
長老は俺たちを通した」
リシアが、
小さく頷いた。
「魚人だけでは、
抱えきれなくなった」
「それを、
認めたくなかっただけ」
フィリアが、
一歩前に出る。
「……行きましょう」
「ここまで来て、
引き返す理由はない」
ドゥリアが、
拳を握る。
「みんなで、
いこ」
ライナスは、
最後に一度だけ
振り返った。
街の方向。
そこには、
誇り高く、
そして不安を抱えた国がある。
「……終わらせに来たわけじゃない」
「壊れる前に、
確かめに来ただけだ」
誰に言うでもなく、
そう呟いて、
扉に向き直った。
水の音が、
さらに大きくなる。
神殿の中で、
何かが待っている。
それは、
答えかもしれないし、
新たな問題かもしれない。
だが――
見なければ、
始まらない。
五人は、
神殿の中へと
足を踏み入れた。




