第二章 第三節 第七話 育てる優しさ
目を覚ましたとき、
フィリアはしばらく状況が分からなかった。
体が重い。
喉が渇いている。
視界の端が、
少しだけぼやけていた。
「……」
声を出そうとして、
やめた。
無理に動くと、
また倒れる気がした。
隣で、
小さな寝息が聞こえる。
視線を向けると、
ドゥリアが椅子に座ったまま、
眠っていた。
目元は赤く、
涙の跡が残っている。
フィリアは、
胸が締めつけられるのを感じた。
「……ごめん」
小さくつぶやく。
それだけで、
ドゥリアは目を覚ました。
「フィリア……!」
勢いよく立ち上がり、
すぐに手を握ってくる。
「よかった……。
目、覚めた……」
「心配かけたわね」
声は弱かったが、
意識ははっきりしていた。
ドゥリアは、
何か言おうとして、
言葉を詰まらせる。
「……フィリアが、
いなくなるかと思った」
その言葉に、
フィリアは何も言えなかった。
否定できない。
そんな行動を、
自分はしていた。
しばらくして、
部屋の扉が静かに開く。
ライナスだった。
「起きたか」
「ええ」
短い返事。
ライナスは、
それ以上何も言わず、
壁にもたれて立つ。
責める様子も、
安心した様子もない。
ただ、
そこにいる。
「……私」
フィリアは、
言葉を探す。
「やりすぎたわ」
ライナスは、
すぐには答えなかった。
「助けたい気持ちは、
間違ってない」
そう前置きしてから、
続ける。
「でも、
自分が壊れたら、
意味がなくなる」
フィリアは、
視線を落とした。
「分かっていたはずなのに……」
「分かってたら、
こうはならない」
その言葉は、
突き放すものではなかった。
「考えすぎて、
動けなくなる前に、
今度は動きすぎただけだ」
フィリアは、
ゆっくりと息を吐く。
「……逃げてたのね」
「何から?」
「考えることから」
レミアの顔が浮かぶ。
セイラの声が重なる。
絵本の中の、
迷いのないエルフ。
「優しさは、
量じゃないのに」
フィリアは、
自分の手を見る。
回復魔法を使い続けた手。
誰かを支え続けた手。
「私は、
与えることばかり考えてた」
ドゥリアが、
そっと言う。
「フィリアが、
つらくなるの、
いや」
その一言が、
何より重かった。
「ドゥリアが、
悲しむことを、
忘れてた」
フィリアは、
目を閉じた。
助けることに夢中で、
すぐそばにいる存在を、
置き去りにしていた。
数日後、
体調が戻り始めた頃。
フィリアは、
街を歩いた。
以前ほど急がない。
以前ほど、
声をかけない。
通りの向こうで、
見覚えのある背中が見えた。
レミアだった。
以前よりも、
足取りがはっきりしている。
誰かと話しながら、
自分の意見を伝えている。
フィリアは、
声をかけなかった。
少し離れた場所で、
様子を見る。
それでいいと、
思えた。
別の日、
セイラが訪ねてきた。
「……あの」
少し緊張した様子だったが、
目は逃げていない。
「前より、
うまくできたわけじゃありません」
「ええ」
「でも、
自分で考えるの、
少し慣れました」
セイラは、
照れたように続ける。
「フィリアさんが、
答えをくれなかったから」
その言葉に、
フィリアは静かにうなずいた。
「それでいいの」
セイラは、
少し驚いた顔をする。
「正解じゃなくても、
立ち止まっても。
自分で選んだなら、
それでいい」
セイラは、
深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
依存のない、
まっすぐな感謝だった。
宿へ戻る途中、
フィリアは足を止める。
街路樹の根元。
小さな芽が、
石の隙間から伸びている。
「……植物はね」
誰に言うでもなく、
フィリアはつぶやく。
「水をあげすぎると、
根が腐るの」
ドゥリアが、
隣で聞いている。
「必要なのは、
全部じゃない」
「ちょうどいい、
くらい?」
「ええ」
フィリアは、
小さく笑った。
夜、
部屋で三人が揃ったとき。
フィリアは、
はっきりと言った。
「私は、
これからは違う助け方をする」
「どう違う?」
ライナスが尋ねる。
「全部は与えない。
でも、
見捨てもしない」
「育てる、
ってことか」
フィリアは、
うなずいた。
「自分で立てるように。
それでも迷ったら、
そばにいる」
ドゥリアが、
安心したように息を吐く。
「フィリア、
もう倒れない?」
「約束はできないけど……」
フィリアは、
ドゥリアの頭に手を置く。
「無理はしない」
ライナスは、
何も言わずにうなずいた。
その反応で、
十分だった。
優しさは、
与えるものじゃない。
選び、
育てるものだ。
その帰り道だった。
通りの向こうから、
騒がしい声が聞こえてくる。
笑い声。
乱暴な言葉遣い。
酒の匂いまで、
風に乗って流れてきた。
数人の冒険者らしい集団が、
がやがやと歩いている。
その中に、
見覚えのある姿があった。
青い髪。
水色の肌。
肩から伸びる槍。
ネレウスだった。
柄の悪そうな連中に囲まれながら、
ネレウスは歩いている。
笑ってはいない。
だが、
拒んでいる様子もない。
集団は、
そのまま通りの奥へ消えていった。
残ったのは、
言葉にできない違和感だけだった。




