第二章 第三節 第三話 理想の絵本
図書館は、街の奥にあった。
商店通りから外れ、
人通りの少ない坂道を上った先。
古い石造りの建物で、
壁には長い年月の痕跡が残っている。
扉の取っ手は冷たく、
ゆっくりと押すと、
かすかな音を立てて開いた。
中は静かだった。
空気はひんやりとしていて、
紙と木の匂いが混ざり合っている。
外の喧騒が、
扉一枚で切り離されたようだった。
「ここ、しずかだね」
ドゥリアが、
いつもより小さな声で言う。
「ええ。
図書館は、好きなの」
フィリアはそう答えて、
中へ足を踏み入れた。
奥の机に、
司書らしき老人が一人いる。
三人を見ると、
本から目を上げて穏やかにうなずいた。
「静かにしてくれれば、
好きに見ていい」
フィリアは軽く頭を下げ、
ドゥリアの手を引いて進む。
棚は高く、
専門書や古い記録が並んでいる。
文字ばかりの背表紙に、
ドゥリアは少しだけ肩をすくめた。
「むずかしそう」
「大丈夫。
こっちよ」
フィリアは迷わず、
低い位置の棚へ向かった。
そこには、
色あせた背表紙の本が並んでいる。
子ども向けの絵本だった。
フィリアは、
その中の一冊を抜き取る。
「……これ」
「えほん?」
ドゥリアが、
少し驚いた声を出す。
「子ども向けだけど、
大事な話なの」
二人は小さな机に腰を下ろした。
フィリアが本を開くと、
色の薄くなった挿絵が現れる。
長い耳を持つ、
エルフの女性が描かれていた。
「初代エルフの長、よ」
フィリアの声は、
自然と落ち着いたものになる。
「この人はね、
種族を問わず、
困っている人を助けたって言われてる」
挿絵の中では、
人間やドワーフ、
魚人のそばに立っている。
皆、笑っていた。
「すごい人だね」
ドゥリアが、
素直に言う。
「ええ。
誰も見捨てなかった。
誰にも線を引かなかった」
フィリアはページをめくる。
争いを止めた話。
病に倒れた者を癒やした話。
行き場を失った子どもに、
居場所を与えた話。
どれも、
やさしい色で描かれていた。
「この人、
つかれなかったのかな」
ドゥリアが、
ぽつりとつぶやく。
「……さあ」
フィリアは即答しなかった。
絵本の中のエルフは、
いつも穏やかで、
迷っている様子はない。
「でも、
助けるのは当たり前だったんでしょうね」
フィリアはそう言って、
さらにページをめくった。
物語の終わりに近づくと、
挿絵の雰囲気が変わる。
空を見上げる、
エルフの後ろ姿。
「……この人、
最後はどうなったの?」
ドゥリアが、
挿絵を指差す。
フィリアは、
一瞬だけ視線を落とした。
「ある日、
姿を消したって書いてある」
「どこに行ったの?」
「分からないわ。
理由も、
生きているかどうかも」
絵本の最後のページには、
何も書かれていなかった。
「それでも、
たくさんの人を救ったから。
今も、
尊敬されてる」
フィリアは本を閉じた。
ドゥリアは、
しばらく黙っていた。
「ねえ」
「なに?」
「……全部、
助けたの?」
その問いに、
フィリアはすぐ答えなかった。
ほんの一瞬。
だが、確かに、
時間が流れた。
「……ええ」
最後は、
はっきりと答える。
「だから、
私もそうありたいと思ってる」
ドゥリアはうなずいた。
「フィリア、
やさしいもんね」
その言葉に、
フィリアは微笑んだ。
けれど、
その笑顔は、
どこか硬かった。
図書館を出ると、
外は夕方の光に包まれていた。
坂道を下りながら、
ドゥリアが言う。
「フィリアって、
あのエルフみたいになりたいんだね」
「……そうね」
否定はしなかった。
少し離れた後ろで、
ライナスは歩いていた。
会話には入らない。
だが、
聞いていないわけでもない。
理想は、
分かりやすい。
迷いがなく、
美しい。
だが、
絵本の中のエルフは、
最後まで迷っていなかった。
フィリアは、
本当にそうなれるのだろうか。
坂の下で、
街の灯りが一つ、
また一つと点る。
フィリアは歩きながら、
無意識に胸元を押さえた。
何かが、
引っかかっている。
けれど、
それが何なのかは、
まだ言葉にならなかった。




