第二章 第三節 第二話 優しさが機能している日々
宿を拠点にする生活は、
思っていたよりも静かだった。
朝になると、
フィリアは誰よりも早く起きる。
窓を開け、
冷たい空気を部屋に通す。
その音で、
隣のベッドからドゥリアが
もぞもぞと身を起こした。
「おはよう、ドゥリア」
「……おはよう。まだ、ちょっと眠い」
そう言いながらも、ドゥリアの表情は穏やかだった。
目覚めてすぐに不安そうに
周囲を探すこともない。
フィリアがそこにいると
分かっているだけで、
安心しているのが伝わってくる。
朝食を終えると、
三人は街へ出る。
フィリアの生活品などを買うためだ。
しかしフィリアは歩いているときも、
困っていそうな人を見かけたら声をかける。
露店の前で立ち尽くしていた老女に、
フィリアは気づいた。
重そうな荷を抱え、
足をかばうように立っている。
フィリアは迷わず膝をつき、
そっと手を当てた。
淡い光が広がり、
老女は驚いたように息を呑む。
「……あら。痛みが……」
「今日は、無理をしないでください。
荷も、少し軽くした方がいい」
老女は何度も礼を言い、
周囲の人に支えられて帰っていった。
「フィリア、すごいね」
「すごくなんてないわ。
できることをしただけ」
フィリアはそう言って、
微笑んだ。
通りを進むと、
今度は店先で言い争いが起きていた。
代金の支払いを巡る口論らしい。
声を荒げる二人の間に、
フィリアは静かに入る。
「少し、話を聞かせてもらえますか」
片方ずつ話を聞き、
状況を整理する。
感情が先に立っているだけで、
問題自体は複雑ではなかった。
「……それなら」
短い沈黙のあと、
二人はうなずいた。
納得のいかない顔は残っていたが、
それでも争いは収まった。
少し離れた場所で、
ライナスはその様子を見ていた。
口を出すことはない。
剣に手を伸ばすこともない。
ただ、フィリアの立ち位置と、
周囲の反応を静かに見ている。
午後には、
体調を崩した子どもの家を訪ねた。
母親は不安そうにフィリアを迎え入れ、
何度も頭を下げる。
フィリアが魔力を流すと、
子どもの呼吸は少しずつ落ち着いた。
「今日は、もう大丈夫です」
「ありがとうございます……本当に」
母親は涙ぐみながら、
深く頭を下げた。
通りを歩くたび、
感謝の言葉が増えていく。
小さな問題は解決し、
不安は消え、
街の空気は穏やかになっていった。
ドゥリアは、
その様子を少し後ろから見ている。
フィリアの隣を歩きながら、
時折、誇らしそうに胸を張った。
「フィリアがいると、みんな安心するね」
「そうかしら」
「うん。ドゥリアも、安心する」
その言葉に、
フィリアは一瞬だけ言葉を失い、
すぐに微笑んだ。
夕方、宿へ戻る途中で、
ドゥリアがふと尋ねた。
「ねえ、フィリア」
「なに?」
「フィリアって……
ずっと、こうやって人を助けてきたの?」
フィリアは少しだけ考え、
歩みを緩めた。
「昔は、もっと必死だったわ。
誰かを助けないと、
自分が立っていられなかった。
でも今は……こうして役に立てるなら、
それでいいと思ってる」
「じゃあ、これからも?」
「ええ」
迷いのない返事だった。
ライナスは、
その会話を背中越しに聞いていた。
何も言わない。
今は、言う必要がないと判断した。
フィリアの優しさは、
確かに機能している。
助けられた人は笑い、
街は落ち着いている。
誰も傷ついていない。
だが、ライナスは気づいていた。
助けられた人たちは、
次に困ったとき、
またフィリアを探すだろう。
自分で考える前に、
答えを求めるようになるかもしれない。
それが悪いとは思わない。
今は、まだ。
夕焼けの中、三人は宿へ戻っていく。
並んで歩く背中は、同じ方向を向いていた。
その歩幅が、
いつまで揃っているのか。
それを考えているのは、
ライナスだけだった。




