第二章 第二節 第七話 金貨の行き先
包帯が外れたのは、坑道から戻って八日目だった。
医師は最後の結び目を解きながら、淡々と告げる。
「命は助かった。だが“元通り”ではない。
胸はしばらく無理をするな。息が上がったら、そこで止まれ。死ぬ」
最後が妙に生々しい。
ライナスは寝台の縁に腰を下ろし、ゆっくりと呼吸を確かめた。
深く吸うと、まだ奥が軋む。だが、あの坑道の冷えと圧に比べれば――生きている痛みだ。
「……歩ける」
「歩けるようにしたのは俺だ。調子に乗るな」
医師は薬草の匂いのする布を畳み、振り返りもせず出ていった。
扉が閉まると、部屋に残ったのは二人だけだった。
ドゥリアは椅子に座ったまま、手を膝の上で握りしめている。
目の下に影。寝ていない目だ。
「……起きてから、ずっとそこにいるな」
ライナスが言うと、ドゥリアは小さく瞬きをした。
「……見てた」
「何を」
「……生きてるか」
その言い方が、胸の痛みとは別の場所に刺さった。
「生きてる」
ライナスは短く返す。
ドゥリアはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
だが、すぐに言葉を探すように視線を落とす。
「……調べてもらった」
テーブルの上に、布包みが置かれていた。
中身は、旧坑道で回収した黒ずんだ石片と、裂けた外套の端切れ。
どちらも、触れただけでぞわりとする。
「……ギルドの鑑定」
ドゥリアの指先が石片に触れる。触れた瞬間、彼女は僅かに顔をしかめた。
「……魔力が残ってる。薄いけど……消えない」
「で?」
「……魔族」
即答だった。
続けて、ドゥリアは言いづらそうに言葉を足す。
「……分類は、“でき損ない”」
ライナスが鼻で笑う。
「でき損ないで、あれか」
ドゥリアは頷いた。
「……魔族の中でも、格が低い。
血が薄い。力が安定しない。魔力の質も粗い」
「粗い?」
「……雑。坑道に残った痕が、下手」
言い方が妙に的確で、ライナスは一瞬だけ口元を歪めた。
だが、ドゥリアは表情を変えずに続ける。
「でも、でき損ないでも魔族は魔族。
普通の魔物とは、土台が違う」
石片を持ち上げ、光に透かす。
「……魔物は、群れ。
強くても、理屈がある。
でも魔族は、理屈を曲げる」
「坑道が“場”になってた」
「……うん。
旧坑道の構造、冷気、影の伸び、崩落の誘導……
全部、あれの都合に合わせてた」
ライナスは息を吐いた。
「だから貴族は、放置できなかった」
「……放置したら新坑道に影響。鉱山が止まる。
だから見張りを置いた。
でも見張りは、獣に見えたって言った」
「嘘をついた」
「……うん。
本当は、人型って分かってたか、気付いてた」
ドゥリアは封書をテーブルの端に置く。
「……呼び出し」
ライナスが封を切らずに言った。
「向こうから来いって?」
「……話がしたい、って」
「話なら、こっちがしたい」
ライナスは立ち上がり、胸を押さえた。痛みが走る。だが顔には出さない。
「行くぞ」
ドゥリアが頷く。
「……うん」
ーーー
屋敷の客間は、前と同じはずなのに違って見えた。
置かれた花瓶。磨かれた床。丁寧な茶器。
それら全部が、上辺だけの化粧に見える。
当主の貴族は、席に着くなり頭を下げた。
「……回復されたと聞いた。安堵している」
「嘘が下手だな」
ライナスの一言で、貴族の肩が僅かに揺れた。
ドゥリアが布包みを机に置く。
「……証拠」
「……それは」
「魔力の残滓。坑道の“異変”は見間違いじゃない。
あなたが出した依頼が、何だったか――否定できない」
貴族は、唇を噛んだ。
「……私は、選ばされた」
「誰に」
「魔族に」
言葉を絞り出すように続ける。
「半年前、旧坑道で作業に入った者が戻らなくなった。
捜索を出した。だが、出した者も戻らない。
夜に……入口の前に“人”が立っていた」
ドゥリアが小さく言う。
「……獣型じゃない」
「……そうだ。人型だった」
貴族は目を閉じた。
「だが、あれは“人”の形を借りているだけだ。
影が、地面を這っていた。
見張りは恐怖で、獣だと思い込んだのだろう」
ライナスは言った。
「思い込ませたんだろ。貴族のお前もな」
沈黙。
貴族の指が、指輪を強く弄る。
「……あれは言った。
『旧坑道が崩れれば新坑道に響く』と。
『鉱山が止まれば、お前の家は終わる』と」
「それで冒険者を送った」
「……私は、守りたかった」
「何を」
「家を。領を」
言い訳は理解できる。だが許せる話ではない。
ドゥリアが淡々と刺す。
「……冒険者を、獲物として」
貴族の顔色が一段落ちた。
「……否定できない。
あれは、冒険者を送れと言った。
“餌”だと……」
ライナスは息を吐く。
「報酬が金貨一枚だった理由も、分かる。
高額で釣る。死んでも事故。旧坑道は便利。――そう言ったか」
貴族は頷いた。
「……そうだ」
「で、俺たちは生きて帰った」
「……予想外だった」
「予想外の代償を払え」
ライナスは椅子に腰を下ろし、指を組んだ。
「報酬の話だ。契約は金貨一枚。だが、条件が違う。
魔物退治じゃない。魔族だ。しかも坑道を“場”にしていた。
でき損ないでも、普通の魔物の比じゃない」
ドゥリアが補足する。
「……鑑定でも言われた。
普通の魔物十体ぶん、じゃ足りないかも」
貴族の喉が鳴った。
「……金貨三枚。加えて、鉱山の在庫から装備、薬、食料を融通する。
それ以上は……」
「十枚」
ライナスは即答した。
貴族の目が見開かれる。
「五……!」
「命二つ分。治療費。口止め。危険手当。精神的慰謝料」
「最後は聞いたことがない……」
「今作った」
ドゥリアが小さく言う。
「……私、魔石も減った」
貴族が顔を歪める。
「……分かった。十枚。出す」
「あと」
ライナスは続けた。
「今後、同じ依頼を出すな。
見張りも撤収しろ。巻き込むな。
旧坑道は封鎖を強化して、誰も入れないようにしろ」
貴族は深く頷いた。
「……誓う」
誓いが守られるかは分からない。
だが今は、それでいい。
革袋が二つ、机に置かれた。
金貨の重さが、音で分かる。
ライナスは受け取った。
「交渉成立だ」
ーーー
街に戻った瞬間、空気が軽くなった。
「……肉」
ドゥリアが言った。
「交渉の余韻ゼロか」
「……報酬は食べ物に変換されるべき」
「新しい法律作るな」
食堂の扉を開けた瞬間、香りが襲ってくる。
焼いた肉、煮込んだ香草、揚げ物の油。
ドゥリアの目が露骨に輝いた。
「……ここ、すごい」
「金があるからな」
「……じゃあ今日は、強い日」
「なんだ、それ」
席に着くなり、ドゥリアはメニューを真剣に読む。
真剣すぎて、眉間に皺が寄っている。
「……読めるのか」
「……絵がある」
「絵で選んでるのか」
「……肉は裏切らない」
注文が運ばれてきた瞬間、ドゥリアは一口食べて、目を細めた。
「……おいしい」
「そうだな」
「……生きててよかった」
その言葉がさらっと出て、ライナスは返す言葉を失った。
ドゥリアは気付かないまま、二口目を食べる。
「……追加」
「早い」
「……金がある」
「万能じゃない」
食後、買い物だ。
市場に入った瞬間、ドゥリアが目を忙しなく動かし始める。
「……あれ、魔石袋」
「お前、袋好きだな」
「……大事。なくす」
「なくす前提か」
武具屋で剣を見たとき、店主がにやりと笑った。
「兄ちゃん、いい傷してるな。修羅場帰りだろ」
「黙って売れ」
「愛想がないねぇ。じゃあ割増で――」
ドゥリアが横から小声で言う。
「……金、ある」
ライナスが即座に返す。
「交渉に使うな」
「……じゃあ、睨む?」
「それもやめろ」
結局、店主はドゥリアの無表情に負けて値引いた。
「目が怖いんだよ……」
「……普通」
「普通じゃないって顔してるだろ!」
薬屋ではドゥリアが真顔で瓶を並べる。
「……包帯。消毒。胃薬」
「胃薬?」
「……いっぱい食べる」
「計画的に食え」
ローブ屋では試着室からドゥリアが顔だけ出した。
「……これ、変?」
「変じゃない」
「……動きやすい?」
「動きやすそうだ」
「……じゃあ買う」
「即決か」
「……迷うと疲れる」
「それは分かる」
最後に菓子屋。
ドゥリアが焼き菓子を持ち上げ、真剣な顔で言った。
「……これ、守る」
「食え」
「……守ってから食べる」
「守ってる間に固くなるぞ」
「……じゃあ急いで守る」
「意味が分からん!」
久しぶりに、声を出して笑った気がした。
日が落ちたころ、二人は“いい宿屋”の前に立っていた。
入口の扉が分厚い。照明が明るい。床がきれい。
ドゥリアは少し誇らしげに胸を張る。
「……強い日」
「それはもう分かった」
受付で告げられる。
「お部屋は男女別になります」
当然の説明。
ライナスは頷いた。
だが横を見ると、ドゥリアの顔が固まっている。
「……別?」
「別だ」
「……一人?」
声が急に小さくなる。
「……無理」
ライナスは息を吐いた。
「……お前な。さっきまで目を睨んで値引きしてたくせに」
「……それとこれは別」
「理不尽が続くな」
ドゥリアはフードの端を握りしめたまま動かない。
「……外、行く」
「何しに」
「……考える」
宿の外へ出ると、夜風がひんやりと頬を撫でた。
「……どうする」
「……考えてる」
同じ言葉なのに、さっきより頼りない。
そのとき、路地の端に人影が見えた。
フードを深く被り、壁にもたれて座り込んでいる。
動かない。けれど呼吸はしている。
「……誰か、いる」
ドゥリアが小さく言った。
近づくと、布の下から微かな震えが伝わってくる。
弱っている。放っておけば朝まで持たないかもしれない。
ライナスは、嫌な予感を覚えた。
この感じには、覚えがある。
「……おい」
返事はない。
フードの奥を、そっと覗いた。
白い肌。見覚えのある輪郭。
喉が小さく鳴った。
「……フィリア……?」
その名前に、影がわずかに動いた。




