第二章 第二節 第六話 目覚めた場所で
最初に感じたのは、天井の白さだった。
石でも木でもない、均一な色。
目を瞬かせるたびに、視界が滲む。
次に、匂い。
薬草と消毒用の酒。
鼻の奥が、つんとする。
「……生きてる、か」
声に出したつもりだったが、喉はほとんど鳴らなかった。
胸の奥が、焼けるように痛む。
息を吸うたび、鈍い衝撃が走る。
体を起こそうとして、無理だと悟った。
包帯。
胸から腹にかけて、きつく巻かれている。
腕も、脚も、重い。
「……」
視線を横にやる。
小さなベッド。
簡素な病室。
窓から差し込む光は、昼前のものらしい。
――戻ってきた。
坑道の冷えも、影の重さもない。
代わりにあるのは、
生き延びた者の身体だった。
「……起きた」
控えめな声。
ライナスは、そちらを見た。
ベッドの脇に置かれた椅子。
そこに、ドゥリアが座っていた。
両手を膝の上に置き、
背筋を伸ばしたまま、微動だにしていない。
だが、目の下に濃い影がある。
「……どれくらい、寝てた」
「……一日」
短い答え。
「……医者が、
命は助かったって……」
言葉を探すように、少し間が空く。
「……動くのは、しばらく無理」
「そうか」
それだけ言って、ライナスは天井に視線を戻した。
痛みは確かにある。
だが、それ以上に――
ドゥリアが、無事だ。
その事実が、胸の奥にゆっくりと広がる。
「……よかった」
小さく、そう言った。
ドゥリアが、びくりと肩を揺らした。
「……何が?」
「お前が、生きてる」
しばらく、沈黙。
やがて、ドゥリアが深く頭を下げた。
「……ごめんなさい」
声が、少し震えている。
「……私……
魔石、たくさん使った……」
顔を上げないまま、続ける。
「ゴーレム……
あんなふうに、使うつもりじゃなかった……」
ライナスは、ゆっくりと首を動かし、彼女を見た。
「……それで?」
ドゥリアが、はっとしたように顔を上げる。
「……え?」
「魔石を使った。
ゴーレムが消耗した。
それで……?」
ドゥリアの唇が、かすかに震える。
「……怒られる、って……」
ライナスは、一瞬だけ目を閉じた。
そして、言った。
「そのままでいい」
ドゥリアの動きが、止まる。
「……なに?」
「無理をしたことも、
謝ろうとするところも」
息を整えながら、続ける。
「お前は、そのままでいい」
病室の空気が、わずかに揺れた気がした。
ドゥリアの目が、ゆっくりと見開かれる。
「……それ……」
掠れた声。
「……昔……」
言葉が止まる。
ドゥリアは、一度唇を噛みしめてから、続けた。
「……優しかった頃の兄さんが……
失敗ばかりだった私に、
同じこと、言ってくれた……」
ライナスは、何も言わずに聞いていた。
「……みんなで、喧嘩別れした日……」
あの夜。
誰も引かず、
誰も譲らなかった。
「……私、ずっと分からなかった……」
ドゥリアは、自分の服の裾を、ぎゅっと掴む。
「……どうして、
ライナスを選んで……
服を引っ張ったのか……」
視線を上げる。
その目は、静かだった。
「……今なら、分かる……」
「……」
「……同じだった……」
ドゥリアは、ゆっくりと言った。
「……そのままでいい、って……
誰かに言われたの……
あの時以来、初めてだった……」
静かな沈黙。
窓の外で、鳥の鳴く声が聞こえる。
ライナスは、胸の痛みをこらえながら、息を吐いた。
――守れなかった過去。
――間に合わなかった選択。
それらが、完全に消えたわけじゃない。
だが。
目の前にいる仲間は、生きている。
それだけで、
過去の傷が、ほんの少し和らいだ。
「……ありがとう」
ドゥリアが、小さく言った。
ライナスは、わずかに口角を上げた。
「……礼を言うのは、俺の方だ」
ドゥリアは、驚いたように瞬きをする。
「……私、
足手まといだって……
思ってた……」
「思うな」
即答だった。
「お前がいなければ、
俺はここにいない」
その言葉が、
ドゥリアの胸に、静かに落ちた。
彼女は、深く息を吐く。
「……うん」
短い返事。
だが、それで十分だった。
二人の間にあった距離が、
目に見えない形で、縮まった。
完全に分かり合ったわけじゃない。
それでも――
同じ方向を向ける。
「……しばらく、動けない」
ライナスが言う。
「……知ってる」
「……面倒、かける」
「……いい」
ドゥリアは、少しだけ笑った。
「……そのままでいい、って……
もう一回、言って」
ライナスは、困ったように息を吐いた。
「……そのままでいい」
ドゥリアは、今度ははっきりと笑った。
病室の空気が、
少しだけ柔らいだ。
外には、まだ問題が山積みだ。
貴族の嘘も、金の話も。
だが今は。
ここに、戻ってこられた。
それだけで、十分だった。




