第二章 第二節 第四話 旧坑道の異変
依頼主の屋敷は、鉱山の麓に建っていた。
質素だが手入れは行き届いており、
富を誇るというより、失うことを恐れている家の空気があった。
客間に通されると、若い貴族が一人、椅子に腰掛けていた。
装いは整っているが、目の下に薄く影がある。
「……来てくれて感謝する」
そう切り出した声には、わずかな疲労が混じっていた。
ライナスは形式的な挨拶を済ませ、要点を促す。
「依頼内容を聞こう。旧坑道の件だな」
貴族は頷き、指を組んだ。
「旧坑道は、数年前に新坑道へ切り替えた際に封鎖した。
今は使っていないが、完全に放置しているわけではない」
「理由は?」
「崩落だ」
即答だった。
「旧坑道が崩れれば、地盤が歪む。
新坑道に影響が出る可能性もある。
だから最低限の管理と、見張りは置いている」
ドゥリアが小さく首を傾げる。
「……見張りが、いるのに?」
貴族は一瞬だけ視線を逸らした。
「その見張りが、異変を報告してきた」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
「夜番が二人。
旧坑道の入口付近で、魔物を目撃したと言う」
「怪我は?」
ライナスが尋ねる。
「ない。襲われてもいない」
ドゥリアが静かに言葉を重ねる。
「……じゃあ、見間違いの可能性もある」
貴族は否定しなかった。
「そうだ。証拠もない。
だからこそ、問題なんだ」
貴族は椅子に深く腰掛け直した。
「獣型の魔物だったと言っている。
大きくはないが、坑道の奥へ入っていったと」
「……住み着く前に処理したい、と」
ライナスが言うと、貴族は強く頷いた。
「旧坑道に魔物が根付けば、
掘削の振動や崩落で新坑道に影響が出る。
そうなれば、鉱山そのものが終わる」
ドゥリアは黙って話を聞いていたが、
その表情はどこか硬い。
「……魔物の種類は?」
「獣型だ。
毛並みが暗く、目が光っていたと聞いている」
嘘だ。
ドゥリアは直感的にそう思った。
だが、口には出さない。
「だから、調査と排除を頼みたい」
貴族は続ける。
「魔物がいなければ、それでいい。
だが、もし入り込んでいるなら……」
言葉を切り、ライナスを見る。
「住み着く前に、確実に処理してほしい」
「報酬が金貨一枚なのは?」
ライナスの問いに、貴族は一瞬だけ間を置いた。
「危険手当だ。
旧坑道は狭く、逃げ場も少ない。
何もなければ安い依頼だが、
“何かあった場合”の責任は重い」
理屈は通っている。
だが、どこか過剰だった。
ライナスはそれ以上追及しなかった。
金がなかった。
ーーー
旧坑道の入口には、簡素な柵が組まれていた。
新しいものではない。
だが、定期的に手を入れているのは分かる。
「……見張り、本当にいたんだな」
ライナスが呟く。
「……気配、残ってる」
ドゥリアが小さく言う。
地面には、踏み固められた跡があった。
だが足跡は曖昧で、形が定まらない。
「獣にしては、整いすぎてる」
「……人にしては、違う」
二人は視線を交わす。
坑道に入ると、空気が変わった。
湿っているが、獣の臭いがしない。
血の匂いもない。
「……まだ、深く入り込んでない」
ドゥリアの声は低い。
壁際には、古い道具がまとめて置かれている。
つるはしを持ち上げると、柄が脆く崩れた。
「……錆びてないのに」
「魔力干渉だな」
ライナスが言う。
奥へ進むほど、冷気が増す。
「……魔物が住み着いたら、
確かに厄介だな」
ライナスは呟いた。
旧坑道は逃げ場が少ない。
崩落も起こしやすい。
新坑道に繋がる地盤に影響が出ても、おかしくない。
採掘場跡に辿り着いたが、
争った痕跡はない。
「……まだだ」
ドゥリアが言った。
「“来てる”けど、
“ここには、まだいない”」
ライナスは踵を返す。
「戻る。報告して――」
その瞬間。
ごご、と低い音が坑道に響いた。
「――ッ!」
天井が軋み、岩が崩れ落ちる。
ライナスは反射的にドゥリアを引き寄せた。
粉塵が舞い、視界が白くなる。
通ってきた道は、完全に塞がれていた。
「……崩落」
ドゥリアの声が震える。
「自然じゃない」
ライナスは即座に判断した。
「“住み着く前に”じゃない。
もう、ここを使うつもりだ」
ドゥリアが壁際を見て、指を差す。
「……遠回り」
旧い点検用の通路。
封鎖後は使われていない道だ。
二人は、そちらへ進む。
通路は狭く、天井が低い。
進むほど、冷気が濃くなる。
前方に、人影。
細身の男が、背を向けて立っていた。
「……獣型じゃない」
ドゥリアが、はっきり言った。
ライナスは剣に手をかける。
「……貴族は、嘘をついたな」
男が、ゆっくり振り返る。
人の姿。
だが、人ではない。
「獣だと思ったか?」
男は薄く笑った。
「見張りには、そう見えただろうな」
冷気が、坑道を満たす。
「ここは、もう俺の場所だ」
ライナスは一歩前に出た。
「……魔族か」
男は否定しなかった。
「住み着く前に処理する?
遅かったな」
旧坑道の闇が、静かに牙を剥いた。




