第一章 第五節 第一話 火と背中
ドワーフの工房都市は、夜になっても眠らない。
山をくり抜いた街の中心で、巨大な炉が赤く燃え続ける。
熱で揺らぐ空気、鉄の匂い、金槌の音。
火花が散るたび、街は生き物みたいに脈打った。
ドゥリアは、その片隅で小さく肩をすくめた。
「……また、曲がった」
手にしているのは、小さな金属板。
ただの補強材だ。
ゴーレムの足回りに使う部品で、精度が少しでも狂えば、歩行が不安定になる。
けれどドゥリアの作った板は、ほんのわずかに反っていた。
「ドゥリア!」
工房の奥から、父の怒鳴り声が飛ぶ。
「何度言えば分かる! 熱を読むのが遅い!
鉄は説明を待ってくれないんだぞ!」
「……ごめんなさい」
ドゥリアは反射的に頭を下げた。
分かっている。
分かっているのに、うまくいかない。
火を読む。
鉄の声を聞く。
ドワーフなら誰でもできるはずのことが、自分だけできない。
「役立たずになる気か」
父の言葉は鋭い。
母も眉をひそめた。
母は口数が少ない分、視線が痛い。
「……ごめん」
ドゥリアはもう一度言って、金属板を抱えたまま一歩下がった。
小さな体に、革の前掛けが少し大きい。
手袋もぶかぶかで、指先だけがやけに細く見える。
工房都市では、ドゥリアはいつもそうだった。
火の前で、ちいさくなる子。
―――――
「いい加減にしろ。邪魔だ。下がってろ」
父が吐き捨てるように言った時、
背後から、落ち着いた声がした。
「父さん」
声の主はドゥルガ――ドゥリアの兄であり、
工房都市が誇る天才鍛冶師だった。
工房にいる誰もが、一瞬で背筋を伸ばす。
鍛冶ともの作りの天才。
若くして名を上げ、街中の職人がその背中を見て育った存在。
「ドゥリアを怒鳴っても、鉄はまっすぐにはならない」
「……ドゥルガ、お前が甘やかすからだ」
父が言い返す。
ドゥルガは、にやりともせずに頷くだけだった。
「甘やかしてるわけじゃない。向き不向きがあるって話だ」
そう言ってドゥルガは、ドゥリアの手元を覗いた。
「……反りは、熱を入れる位置の問題だな。
端じゃなく中央に熱が溜まってる」
ドゥリアは小さく頷く。
「うん……わかるんだけど……」
「分かってるなら、次はできる」
ドゥルガは、ドゥリアの頭を軽く撫でた。
「大丈夫。お前は、焦りすぎると手が震えるだけだ」
その言葉だけで、ドゥリアの胸の中が少し軽くなった。
怒られるのは慣れている。
でも、兄がいると息ができる。
―――――
工房都市の奥――禁足に近い区画に、巨大な格納庫がある。
そこには、鍛冶の成果の中でも最も特殊なものが眠っていた。
ゴーレム。
巨人の形をした兵器。
鋼の骨格、魔石で駆動する関節、操縦席。
ドワーフが内部に乗り込み、意志で動かす。
それは、工房都市の誇りであり、同時に、戦争の影でもあった。
ドゥリアは格納庫の扉の前で、立ち止まった。
「また、来たのか」
背後からドゥルガの声がする。
ドゥリアは、ぱっと振り返った。
「うん……見てると、かわいいんだもん」
「かわいい、って言うやつは初めて見たな」
「だって、歩くんだよ? 大きいのに。
転んだら痛いだろうなって思って……」
ドゥルガは、一瞬だけ目を細めた。
「……お前は、変なところが優しい」
「優しいの、だめ?」
「だめじゃない」
ドゥルガは扉の鍵に手をかける。
「ただ、ゴーレムは優しさだけじゃ動かない」
格納庫の中には、未完成の巨人が鎮座していた。
胴体は組み上がっている。
腕も、脚も。
だが――どこか不自然に見える。
「……動かないの?」
ドゥリアが尋ねると、ドゥルガは少し黙った。
「……動かない」
答えは短かった。
「……俺が作ってるのに」
その言葉は、独り言のように落ちた。
ドゥルガが難航する。
その事実は、工房都市ではありえないに等しい。
「関節の反応が遅い。魔力の伝達が、理論通りに流れない」
「原因が分からないの?」
「分かるなら、もう動いてる」
ドゥルガの声は静かだった。
怒りでも苛立ちでもない。
ただ、深いところで何かを噛み締めているような音があった。
ドゥリアは、巨人の脚を見上げた。
「……歩くのに、一番大事なのはね」
ドゥルガが振り向く。
「転ばないこと」
「……当たり前だ」
「でも、転ばないためには、強いだけじゃだめなんだよ」
ドゥリアは巨人の足回りを指さした。
「ここ。硬すぎる。硬いから、衝撃が逃げない」
「衝撃が逃げないと、次の一歩が遅れる」
「遅れると、操縦する人が焦る」
「焦ると、もっと転ぶ」
ドゥルガは、一言も返さなかった。
ドゥリアは気づかない。
いま自分が何を言っているかを。
「……だから、ここに少しだけ“遊び”がほしい」
「ほんの少し。“ゆるさ”っていうか……余白」
ドゥルガの目が、わずかに揺れた。
「……それは、ただの勘か?」
ドゥリアは首をかしげる。
「ううん。転んだら痛いから、いやだなって思っただけ」
その言葉は、無邪気だった。
悪気も、勝負も、評価もない。
ただ、いいものを作りたいという気持ちだけ。
―――――
ドゥルガは、ゆっくり息を吐いた。
「……分かった。明日、そこを組み直す」
「え、ほんと?」
ドゥリアの顔がぱっと明るくなる。
「うん。お前の“余白”が、正しいなら……動く」
ドゥリアは嬉しそうに頷いた。
「歩いてほしいな。転ばないでね」
ドゥルガは、その言葉に笑わなかった。
笑えなかった。
ただ、巨人を見上げた。
初めて壁にぶつかっている。その壁に、妹が触れてしまった。
しかも――
触れただけじゃない。
当たり前のように、彼が越えられずにいた壁の答えを口にした。
周囲は、まだ誰も知らない。
けれどドゥルガだけは、分かってしまった。
それが“偶然”ではなく、“見えている答え”だということを。




