76話 隣の彼女は見栄っ張り
ナンパ騒ぎが一段落したあと、俺――神崎翼と麗は、ビーチの端に並んで腰を下ろしていた。
海は相変わらず騒がしく、楽しげな声と波音が途切れなく流れている。
正確には、それを眺めているのは、俺だけだった。
麗は、さっきから巻きタオルを頭まで引き上げて、完全に中に閉じこもっている。
砂浜にちょこんと置かれたその姿は、まるで巻き貝――いや、動かない様子はフジツボか……。
って、そんな呑気なことを考えてる場合じゃない。
今はこの状況をなんとかしないといけないのだ。
着替えた直後から、麗は様子がおかしかった。
笑顔はあった。でも、どこか無理をしていて、俺の視線を避けるみたいに早足で歩いていた。
麗の水着姿が見られるかもしれないと、はしゃいでいた自分を全力でぶん殴ってやりたい。
……情けないな。
何か言わなきゃ、と思うのに、言葉が喉で引っかかる。
俺たちは恋人なのに、こういう時ほど、何を言えばいいのか分からなくなる。
「……翼君」
タオルの中から、麗のかすれた声が聞こえた。
「そこにいる?」
「いるよ」
「……さっきはごめんね」
「麗が謝ることなんか――」
「違うの」
麗はタオルから顔だけだして、俺の言葉を遮った。
「……私さ……水着……翼君に見せるの、恥ずかしくて……だから、ずっとタオル巻いてたの」
「それは、高瀬や澪ちゃんと一緒だったから?」
「うん。だって、愛も澪ちゃんも……すごく素敵だし……胸だって、びっくりするくらい大きいんだよ……どうしても比べちゃって……」
なんとも、思った通りの女子的な悩みである。
でも、麗だって素晴らしいものを持ってる。
およそ、平均以上の立派なものを……。
「翼君がさ、二人のことをさらっとフォローしてるの見てたら……私、なにやってるんだろって……せっかく海まで来たのに、一人で座ってるのが、急につらくなっちゃって……」
麗の声は波の音に負けそうなくらい、小さくて弱々しい。
だから俺は、はっきりと届くように、しっかりと麗の目を見る。
「麗は、そんなこと気にしなくていいんだよ」
「でも……」
「俺……麗がタオルを外さない理由は、なんとなく分かってたんだ」
「へっ?」
麗は間の抜けた声を出すと、目を丸くした。
「俺にとって、麗は誰かと比べることができないくらい、特別な存在なんだ」
「……特別?」
「う、うん」
面と向かって言葉にするのは、どうしてこうも難しいのだろう。
だから俺は一度、視線を外して、海を見ながら言った。
「誰かと比べる必要なんか全くないし、見栄なんか張らなくていいんだよ」
俺は、勢いに任せて続けた。
「俺にとっては、麗が……その……一番、魅力的だから」
なんでこんな簡単なことが、こんなにも恥ずかしいんだ。
それでも、俺は最後まで言わなければならない。
隣の彼女のために――。
「麗が一番かわいいって、本気で思ってる」
言い切ったあと、心臓がやたらとうるさい。
自分の鼓動しか聞こえないんじゃないかってくらい。
しばらく、波の音だけが流れた。
「……翼君は」
麗が、ぽつりと言った。
「どんどん変わっていくね」
「えっ?」
「クラスでも、学校でも……みんなが気づき始めてる。翼君の周りにはどんどん人が集まってくる……」
タオルの影から覗いた麗の瞳が、揺れている。
次の瞬間、ぽたっと雫が落ちて、砂に吸い込まれた。
「私みたいなのが……隣にいていいのかな……」
胸が、強く殴られたみたいに痛んだ。
「私はいつも、翼君に頼ってばっかりで……泣いてばっかりで……」
声が震え、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「ナンパされてるときも、怖くて何も言えなかった……」
「……」
「そんな私が、翼君の隣に立つ資格、あるのかな……」
泣きながら絞り出したその言葉に、迷いはなかった。
ずっと抱えてきた疑問なんだと、分かってしまう。
でも、その問いにだけは、俺は即答できた。
「麗が変えてくれたんだよ」
「……私が?」
「中学のあの日から、ずっと思ってた。麗の隣に立てる自分になりたいって……。いっぱい頑張ったつもりだし、色んな人にも助けてもらった」
俺は、少しだけ隣の麗に近づいた。
「でも、まだ足りないんだ。今だって、麗を安心させたかったのに……泣かせてる」
拳が、自然と握りしめられる。
守るつもりでいたくせに、何ひとつ守れていない感覚が、指先に残っていた。
「だから俺は、もっと強くなりたい。麗が、何も不安にならずに、隣で笑っていられるように」
それは決意というより、今の自分に言い聞かせる言葉だった。
「そ、そんなの……」
そう言って麗は立ち上がった。
隣で俯きながら見せる、表情に、俺は一瞬ドキリとする。
「私もだよー!」
麗は完全に号泣していた。
やばい。本気で泣かせてしまった。
「私だって、……翼君の隣にいられるように、強くなりたい」
涙を拭いもせず、麗は続ける。
「……私、すぐ見栄張っちゃうし、やきもち焼くし、めんどくさい女だけど……」
「れ、麗はそのままでも十分――」
「このままじゃダメなんだよ!」
顔を上げて、涙だらけのまま叫んだ。
「だって私、翼君の恋人なんだよ? 好きだから、やきもちも焼いちゃうし、好きでいてもらいたいから、見栄だって張っちゃうんだもん!」
麗の言葉と一緒に潮の匂いが混ざった風がブワッと吹いた。
まさかの逆ギレに俺は言葉をなくすが、同時に麗の強さを感じた。
麗は、深く息を吸って、意を決したように、巻きタオルに手をかける。
「み、みみみみ見てて、タオルとるから」
「そ、そんなに無理しなくても……」
「してないもん!」
ためらいは、一瞬だけ。
タオルが外れ、砂の上に落ちた。
水着姿の麗は、顔を真っ赤にして、俺を睨んでいる。
無理しているのが、一発でわかるくらいに小刻みに震えていた。
これが麗の見せる精一杯の勇気……。
俺は感想を伝えることを忘れ、目の前にいる彼女に対して、思わず手を合わせてしまいそうになる。
だが、グッとこらえて、息を呑んだ。
「ど、どう? 惚れ直しちゃった?」
麗は俺のことを睨み続けながら、小さく胸を張る。
だから、俺は――、
「めちゃくちゃ可愛い……」
と、なんとか言葉を発した。
「エッチ……」
えぇ……。それは理不尽だろ……。
「私、決めたよ」
「な、なにを?」
「たとえこれから先、どんなに美人で素敵な人が現れても」
麗は一歩、こちらに近づいて俺の胸の辺りをトンと指をさす。
「翼君のこと、放さないからね」
イタズラっぽく笑う麗の笑顔は、さっきまでの不安なんて、嘘みたいに晴れていた。
「翼君! 海、行くよ!」
「う、うん」
――麗に手を引かれながら、俺は思った。
ああ。
この人の隣に立ち続けるためなら、俺はまだまだ、いくらでも強くなれる。
「みんなー! 私も海に入るー」
麗の元気な言葉が夏のビーチに響き渡った。
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