74話 隣のイケメンは私以外にも優しい
私――月城麗が砂浜に足を下ろした瞬間、海の匂いが一気に濃くなった。
潮風が、肌に張り付き熱をさらっていく。
「一緒に行こうよ」ってみんなが誘ってくれたのに――
私は動けなかった。
ビーチパラソルの影に腰を下ろし、巻きタオルの中に全身を入れたまま、海の方を眺める。
波打ち際では、愛が元気よく走り回り、澪ちゃんは浮き輪を抱えて静かに入水していた。
立花君の笑い声がよく聞こえて、少し遅れて、翼君の声も混じる。
楽しそうだな。
――なのに。
「……はぁ」
私は小さく息を吐いた。
巻きタオルの中は、少し息苦しい。
愛も澪ちゃんも自然体で、楽しそうだ。
二人とも、そこに立っているだけで周りの視線を集めている。
それに比べて私は、どうなんだろう。
タオルを外せない理由を、自分でちゃんと説明できないまま、ただ座っている。
海に来るのを楽しみにしていたはずなのに、恥ずかしい、という気持ちだけが、私をここに留めていた。
――そのとき。
遠くで、少し大きな声がした。
「あっ――!」
澪ちゃんが足を取られたらしく、体がぐらつく。
でも、次の瞬間には、翼君が素早く腕を伸ばして、彼女を支えていた。
「大丈夫?」
「……はい。ありがとうございます」
二人の距離は、一瞬だけ、近い。
分かってる。
助けただけだ。何も特別なことじゃない。
いつもの翼君だ。
それでも、私は二人を見ていられなかった。
その後も、似たようなことが続いた。
愛が転びそうになれば、翼君が声をかける。
駿君と一緒に砂を払ってあげたり、荷物を持ってあげたり……。
――優しい。
分かっているからこそ、余計に見ていられなかった。
「……飲み物、買ってくるね」
誰にともなく呟いて、私はてるてる坊主みたいな格好で立ち上がった。
――背後から翼君の声が聞こえたような気がした。
売店は、ビーチの端にある。
歩くたびに砂がうっとうしく絡みついた。
売店の前で、冷たいペットボトルを手に取った、そのとき。
「ねえ」
後ろから、知らない声がした。
振り向くと、大学生くらいの男の人が二人。
日焼けした腕にサングラス姿が特徴的だ。
そんな人たちが私との距離を無理矢理詰めてくる。
「君、かわいいね」
心臓が、どくんと音を立てた。
「俺たちさ、あっちで飲んでるんだけど。一緒に飲まない?」
一瞬、頭が真っ白になって、巻きタオルを思わず強く握った。
「おいおい、この子、高校生だろ」
隣の男が、そう言った。
助かった、と思ったのも束の間。
「いいじゃん別に。飲む飲まないは本人次第っしょ」
軽い口調。深く考えていない声。
「……あの」
声を出すまでに、少し時間がかかった。
「私、彼氏と友達と来てるので……無理です」
自分でも驚くくらい、小さな声だった。
それでも、ちゃんと断れたはず。
男の視線が、すぅーっと私の巻きタオルに落ちる。
「てか、それ暑くない? とってあげるよ」
ゲラゲラと下品に笑いながら、私の巻きタオルを掴む。
「や、やめてください!」
「えー、ノリ悪いな。暑いかなと思って、とってやろうとしただけじゃん?」
その瞬間、視界の端に、遠くの海が映る。
波しぶきと、笑い声。
――みんな、楽しそう。
でも。
翼君の姿は、見えなかった。
名前を呼びたいと思った。
助けてほしい、なんて言葉じゃなくていい。
ただ、側にいて欲しい。
けれど、恐怖で声は止まったまま、外に出なかった。
「わ、私、もう行きます」
「ちょっと、待ちなよ」
背後から、肩を掴まれた。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
次の瞬間、ぐっと引かれて、体が半歩前に出る。
「……っ!」
砂に足を取られそうになって、思わずバランスを崩した。
「離してください」
「大丈夫だって。ちょっとあっち行こうよ」
――怖い。
さっきまで感じていた海の熱も、夏の日差しも、全部どこかへ消えてしまった。
「こ、高校生なので、ほんとに無理です」
もう一度言った。今度は、さっきより少しだけ強く。
「だからさ、別に飲ませるって決まったわけじゃ――」
言葉の途中で、もう一人が私の進行方向を塞ぐ。
助けを呼ぶべきだと分かっているのに、やっぱり声が出ない。
周りには人がたくさんいるのに、世界が急に狭くなったみたいだった。
「……やだ」
翼君……さっきまで、あそこにいたのに……。
そして、私は理解してしまった。
これは、いつまでもビーチでウジウジしていた罰なんだと。
愛や澪ちゃんがせっかく誘ってくれて、水着まで一緒に選んでくれたのに。
それなのに私は、勝手に劣等感を抱いて、一人で意地を張っていた。
それでも、私は翼君に頼ってしまう……。
……わがままな彼女で、ごめんなさい。
ねぇ、なんでいないの?
……助けてよ。
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