69話 隣の彼女と紡ぎたい
どれくらい寝ていたのだろうか。
気が付いたとき、俺の体はソファで横になっていた。
目を閉じながら、頭の後ろに神経を集中する。
この枕、気持ちいいな。
なんだか柔らかくて、温かい。
触ってみるとすべすべしていた。
「ひゃっ!!」
おまけに、変な声まで出る。
「か、神崎君、そんなに触ると……恥ずかしいよ……」
「えっ!?」
ゆっくり目を開けると、見事な双丘の奥から、月城さんが、顔を真っ赤にしながら俺の顔を覗いていた。
どうやらいつの間にか膝枕されていたようだ。
「あのね……太ももって意外と敏感なんだよ」
「ごめん。気持ちよくて、なにかな〜って思ってたら、月城さんの太ももだった」
俺はこの居心地の良いところから動きたくなくて、横になりながら言い訳する。
「ふふ。気持ち良かった? もっとビックリするかと思ってた」
「びっくりしたよ。でも、月城さんがいることに安心したんだ」
「た、大変だったんだよ。神崎君、どんどん私の方に倒れてくるんだもん……だからお膝貸してあげたんだよ?」
「ああ……それはごめん。でも、誰かさんが昨日寝かせてくれなかったからだよ?」
「うっ……じゃあ、これでおあいこね」
俺たちは顔を見合わせて笑い合う。
「神崎君が寝てるとこ初めて見た」
「そういえば、そうだね。よだれ垂らしてなかった?」
「垂らしてた」
「えっ!? 嘘っ!?」
「嘘だよ〜」
月城さんはクスクス笑って、もう一度俺を見る。
「これからも、色んな神崎君を見てたいな」
にこやかにそう言う月城さんに、内心ドキっとする。
昔、描けなかった未来を、今はこうして歩んでる。
「今、何時?」
「もう十八時。そのまま寝ててもいいんだよ?」
それは大変嬉しい申し出だ。
だけど、これ以上寝てると、夜眠れなくなりそうだし、そろそろ父さんも帰ってくる。
月城さんの太ももの感触も名残惜しいがそろそろ起きないと。
俺が上体を起こしたそのときだった。
――ピンポーン。
インターホンの音が、やけに大きく聞こえて。俺は思わず身構えてしまう。
月城さんの表情が、ほんの少しだけ強張ったのが分かった。
嫌な予感がした、なんて言葉じゃ足りない。
こんなに楽しい時間がいつまでも続くはずもない。
「……ちょっと出てくるね」
俺はソファから立ち上がり、玄関へ向かう。
背中に、月城さんの視線を感じたけど、振り返らなかった。
玄関扉を開けた先に立っていたのは――
案の定、和史さんだった。
月城さんの家の前で会ったときとは雰囲気が違う。
静かな目。
感情を押し殺した、大人の顔だ。
「スマホの位置情報を確認した。麗がここにいるはずだ」
俺は誤魔化すのも、嘘をつくのも嫌だった。
「……います」
和史さんの視線が、わずかに鋭くなる。
「昨日から連絡がない。迎えに来た」
和史さんが心配するのは当然だ。
大切な家族が家に帰ってこなければ誰だって心配する。
ただ……月城さんの気持ちもわかってあげて欲しい。
――もちろん、俺のことも。
だから俺は……和史さんにこう言った。
「麗さんとお付き合いさせていただいてます!
神崎翼です。よろしくお願いします」
「あぁ?」
俺の挨拶に腹を立てたのだろう、和史さんは露骨に不機嫌そうになる。
まるで、任侠映画のヤクザだ。
「少し、話をさせて下さい」
「君と話すことはない。とにかく麗を連れてきてくれないか?」
あっさりと拒否された。
分かってはいたけど心底、俺のことが嫌いなようだ。
「和史さん、俺の話を聞いてもらえないのは、気に入らないからですか?」
俺の問いかけに、和史さんは胸ぐらを掴みそうな勢いで近づく。
「大切に育ててきた娘が、ある日突然、泣いて帰ってきたんだぞ? その元凶たる君を、信用しろと言うのも無理だろ?」
「……確かに、俺は麗さんを泣かせました。でも、それで終わるつもりなら、ここに立ってません」
和史さんが、無言で俺を見る。
「麗さんから聞きました。和史さん、編集の仕事をされてますよね」
「……それがどうした」
「担当されていた作品の中に、『空色リフレイン』がありますよね」
ほんの一瞬。和史さんの眉が、わずかに動いた。
「俺、あの作品が大好きで、何度も読みました。本の後書きに『何度も書き直させてくれた担当編集に感謝します』って」
俺は、慎重に言葉を選ぶ。
「編集の仕事って、担当する作品を作者と一緒により良くするものだと思ってました。でも今は、途中で投げようとする作者を、そこに立たせ続けることなんじゃないかって、考えが変わりました」
俺はポケットからスマホを取り出す。
画面に映したのは、自分への戒めに残していた中学の頃の俺。
太って、俯いて、逃げ腰だった頃の姿。
「……それは?」
「月城さんの想いから、逃げてた頃の俺です」
「俺、こんな見た目だったから、麗さんの隣に立つ資格がないって、勝手に決めつけてたんです」
「でも、逃げたままじゃ終わりたくなかった。途中で放り投げるのが、一番かっこ悪いって思ったんです」
自分がやってしまったこと、後悔したこと、和史さんが俺のことを嫌いなのも、全部自分のせいだ。
それでも――。
「麗さんを泣かせたことは、消えません。謝って済むとも思ってません。それでも――俺たちはもう一度、自分の物語を書き直したいんです」
俺は深く、頭を下げた。
「俺はもう逃げたくない。途中で投げ出したりもしません。だから……麗さんの気持ちを、否定しないであげて下さい!」
「……神崎君」
いつのまにか、月城さんが俺の隣に寄り添ってくれていた。
「お父さん……私、この人と一緒に、続きを書きたいの。せっかく二人でここまで紡いだんだよ。もう途中でやめたくない!」
「麗ちゃん……」
和史さんは俺たちを交互に見ると、大きなため息をついた。
「君は……本当に剛十郎と似てるな」
「えっ!?」
今、和史さんから父さんの名前が出た。
気のせいじゃないよな……?
俺の疑問を無視して、和史さんは続ける。
「……あの作者な、一回……逃げたんだ。――あのときはまだ、学生だったかな。自分にはもう書けませんって」
和史さんは当時を懐かしむように天井を仰ぐ。
「それでも最後は戻ってきたな。『僕はこの作品が大好きなんです』って泣きながら」
和史さんは視線を俺に戻すと、キッと俺を睨みつけた。
「交際は認めてやる……ただ、麗ちゃんに手ぇ出したら、ぶっ殺すからな」
和史さんは、本気だと言わんばかりに胸の前で拳を握る。
「……っ!! ありがとうございます!」
「……お父さん、ありがとう」
月城さんも俺の隣で頭を下げた。
「いいんだよー。こいつがなにかしてきたら、お父さんに言うんだよ」
和史さんは表情筋が全て溶けてしまったように、デレデレだ。俺との態度が違いすぎる。
でも、良かった。手を出したら殺されるけど、俺たちはこれで、本当のカップルになれた気が――。
「おーい!」
なんだ? 今、声が……。
玄関先で俺たち三人が声をする方を一斉に見る。
誰かが、すごい勢いでこちらに向かって走ってきていた。
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