68話 隣の彼女は理不尽だ!
羊を数えていたら眠くなるというのは嘘だ。
いや、本当のことは分からないが、俺はこんなの無駄だと思って五百匹あたりで数えるのをやめた。
ベッドの上で、ふと目を開けると、月城さんの鼻先が俺の頬にあたりそうなくらい近い。
身体は彼女にがっしりホールドされていて、離れる気配が全くない。
起こさないようにそっと視線だけ上を向けると、窓の外が少し明るくなっていることに気がついた。
やばい、もう朝だ……。
今何時だ? そろそろランニングの時間か? ベッドのヘッドボードに置いてあるスマホには少し手が届かない。
仕方なく月城さんを片手で抱えながら、もう片方の手をスマホに伸ばす。
お、届いた。
時刻を確認すると六時だ。
いくら寝不足とはいえ、一年以上やってる日課はサボれないな。
なんとかここから脱出しようと思って、隣を見ると月城さんと目が合ってしまった。
「お、おはよう」
俺がそう挨拶すると、月城さんが目を丸くして固まっていた。
もちろん俺に抱きついたままだ。
「私たち、なんで一緒に寝てるの?」
えっ!? もしかして昨日のこと忘れてるのか?
「つ、月城さんが一緒に寝ようって……覚えてないの?」
「ふーん。私、なんで神崎君にくっついてるの?」
んー。それは俺が聞きたい。
俺は答えることができず、気まずい沈黙が流れる。
「なんだ夢か〜」
そう言って月城さんはまた目を閉じる。
「あ〜神崎君の体、おっきいな〜」
月城さんは、顔を俺の胸にぐりぐり擦り寄せると、幸せそうな表情でぐへ〜としている。
「月城さん……あの……起きてもらえませんか?」
「えへへ〜、この夢、最高だから、もうちょっとしたら起きるよ〜」
だめだ。完全に夢だと思い込んでる。
「月城さん、起きて! 夢じゃないよ!」
「ん〜?」
「あの、こんなにくっつかれると、正直、嬉しいけど……照れるっていうか……」
「――っ!!」
あ、起きた。
月城さんは勢いよく俺から離れると、ベッドに座り、胸の辺りを両腕で隠した。
「な、なななな何かした?」
「俺はなにもしてないよ!」
「そ、それはそれでどうなの!?」
怒るとこそこなの!?
理不尽だ!
俺はあんなにも耐えていたというのに……。
「……起こさないようにしてただけだよ」
月城さんは一瞬きょとんとして、それから一気に顔を赤くした。
「月城さんって、寝るとき、抱き癖があるんだね。全然離してくれなかったよ」
「うっ……」
「あー、かわいかったな。俺の胸に顔をうずめる月城さん」
俺が調子に乗ってからかっていたら、月城さんが目尻を吊り上げ、キッと睨んでくる。
「……もう言わないで……」
あ、これ以上は本気で怒らせるやつだ。
「ご、ごめんなさい」
俺が謝ると、月城さんは勝ち誇ったように胸を張る。
「わ、私にぎゅってしてもらえて、う、嬉しかったよね? ね?」
当然です。ただ、ちょっと疲れたけど……。
「……うん。すごく嬉しいです」
やっぱり理不尽だ……。
なぜ、俺が悪いみたいになっているんだ……。
これも、惚れた弱みなのだろうか。
でもまぁ、月城さん色々、柔らかかったからいいか……。
「月城さん……俺、そろそろランニング行ってくる」
「あ、そっか、日課だったね」
「うん。だから、まだ寝てていいよ」
「ううん。もう起きるよ。朝ごはん作って待ってるね」
「そんなに気を使わなくていいんだよ? お父さんのこともあるし疲れてない?」
「大丈夫。動いてる方が気が晴れるし、私に任せて」
「そっか。無理しないでね」
「うん。神崎君も気をつけてね」
小さくそう言われて、俺は一度だけ頷いた。
「なるべく早く戻るよ。行ってきます」
リビングでトレーニングウェアに着替えた俺は、顔を洗って家を出た。
走り出すと、寝不足のはずなのに足が軽い。
帰ったら月城さんが待ってる。はやく帰らないとな――。
俺はその日、過去最速タイムで日課のランニングを終えた。
家に戻って玄関の扉を開けると、スリッパのパタパタする音が近づいてきた。
「おかえりなさい」
そこにはエプロンをつけた月城さんがいた。
「た、ただいま」
月城さんの白いエプロンに玄関扉から朝日が差し込み、輝いて見える。
月城さんの笑顔が眩しい。
結婚とかしたら毎日、こんな感じなんだろうか。
いや、いくらなんでも気が早い!
ダイニングテーブルには月城さんが用意してくれた鶏むね、ブロッコリーが皿に山盛りだった。
「はい、プロテインだよ」
月城さんがプロテインをシェイカーごと渡してくれる。
「作ってくれたの?」
「うん。朝ごはんのメニューは昨日、剛十郎さんから聞いておいたの。プロテインも袋に作り方、書いてあったからやってみたよ」
なにこの子? めっちゃええ子やん。
俺は受け取ったプロテインを一気に飲み干す。
普段飲んでいるものと同じはずなのに、月城さんが作ったというだけで涙が出そうだ。
「そういえば、父さんは?」
「剛十郎さんなら、さっきプロテイン作ってるときに挨拶したよ」
「なんか言われてない? 大丈夫だった?」
「えっとね、『剛十郎さんもプロテインいりますか?』って聞いたらすごいスピードで『筋トレしてくる!』って行っちゃった」
父さんも、月城さんのプロテイン目当てか……。
父さんは筋トレした後、月城さんのプロテインを飲んだら元気に仕事に向かった。
俺たちはというと、朝ごはんを食べたあと、二人で夏休みの課題をやった。
さらに、俺が『筋肉部屋』で筋トレを始めると、月城さんは近くに座って、よく分からない声援を送ってきた。
「がんばれ〜。えっと……マッスル〜」
昼を過ぎる頃には、さすがに体も頭も寝不足で重くなる。
テレビをつけっぱなしにして、二人で並んで座っていた。
内容はほとんど覚えていない。
サブスクでなにかアニメを見ていた気がする。
気がついたら、俺はソファでうとうとしていた。
目を閉じる直前、肩に触れる温もりがあって、
俺はそのまま身を預ける。
「ふふ。おやすみ」
月城さんの声が耳元で聞こえて、このまま、何事も起きなければいいのに。
そう思いながら、俺は眠りに落ちた。
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