67話 隣の彼女の誘惑には抗えない
父さんに追い立てられるようにして、俺は先に風呂に入った。
頭と体を洗って、湯船に浸かっても、まったく落ち着かない。
湯気の向こうに浮かぶのは、さっきの月城さんの笑顔ばかりだ。
父さんの無神経さ――いや、あの人なりの善意が、今は恨めしい。
早めに風呂を切り上げて、俺は自室に戻った。
部屋はいつも通りだ。
筋トレ用のダンベル、畳まれたジャージ、机の上のラノベ。
――ただひとつ違うのは、この部屋に月城さんが来るという事実だけ。
ベッドに腰掛けるが、すぐに立ち上がる。
落ち着かず、椅子に座ってみて、また立つ。
時計を見ると、月城さんが風呂に入ってまだ十分も経っていない。
心臓の音が、やけに大きい。
ドアの向こうの気配に、いちいち意識が持っていかれる。
あー、落ち着かない!
しばらくすると――コンコン、と扉に軽いノック音が響く。
「つ、月城さん?」
返事を待つ間が、やたらと長く感じた。
「……入っても、いい?」
「ど、どうぞ!」
こ、声が裏返った……最悪だ。
ドアが静かに開く。
そこに立っていた月城さんは、湯上がりで、髪が少しだけ湿っていた。
寝巻きを持っていなかった彼女は、俺のTシャツと短パンを着ている。
ブカブカのTシャツ姿が、おそろしく可愛い。
「お、おじゃまします……」
「う、うん。どうぞ」
目を合わせていいのか分からず、俺は無意味に机の端を見つめる。
月城さんはベッドの端にちょこんと座ると、ふうっと小さく息を吐いた。
「あ、あの……神崎君の家のお風呂大きいね!」
「と、父さんが普通のサイズのお風呂だと収まらないから、大きな浴槽にしたらしいよ!」
無駄に大きな声で会話する俺たち。
どうでもいい話で、お互い緊張しているのがよく分かる。
「そ、そうなんだー」
沈黙。
どうしよう……。な、なにか話題を……。
「あー、これ気になってたやつだー」
棒読みの月城さんが唐突に指差したのは机にあった一冊のラノベ。
タイトルは『幼馴染が俺の部屋に入り浸るのだが、ワンチャンある?』だ。
「はっ!」
月城さんは顔を真っ赤にして硬直する。
「ち、違う! 私、そんなつもりじゃ……」
うん、適当に選んだやつがやばめのタイトルだったんだよね。わかってる。
俺も迂闊だった……。
それでも――、やっぱり月城さんにはこの話題だよな。
「これとか面白かったよ」
本棚から適当に、月城さんが好きそうなのを二、三冊持ってくる。健全なタイトルをだ!
「その本、面白いよね!」
月城さんの言葉は中学のときに、図書室で聞いたものと同じだった。
だから俺はこう返す。
「うん、すごく面白い。君も読んでるの?」
月城さんも、はっと思い出したように笑う。
「一緒に読もうよ」
「もちろん」
ベッドに腰掛け、壁を背もたれにして二人で読む。
とても心地良い時間だ。
だが、隣の月城さんからはシャンプーのいい香りがして、ドキドキする。
どうして同じシャンプーなのに、女の子ってこんなにいい匂いがするんだろう。
ラノベの話題に花を咲かせた俺たちだったが、すっかり夜も更けてきた。月城さんの身体がゆっくりと前後に揺れている。
「そろそろ寝ようか」
「私……ウトウトしてた?」
「うん。俺は床で寝るから、月城さんはベッド使って」
俺の言葉に月城さんは夢見心地で答える。
「……だめだよ……急に押しかけたんだから……私が……床で寝るよ」
「いや、それはさすがに申し訳なさすぎて無理!」
月城さんが、俺の腕を掴んで、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
「じゃあ……一緒にベッドで寝よ?」
……ネボケテンノカ?
「だめだめ! 絶対だめ!」
「お願い……今夜だけ……」
うっ……。
彼女にそんなこと言われたら、断れないよな!?
「……今日だけだよ」
「やった〜」
そう言いながら月城さんはベッドにパタリと倒れる。
自分の意思の弱さにうんざりする。
でもさ、健全な高校生なら仕方ないよな?
「じゃあ、電気消すよ?」
「は〜い」
俺は月城さんが寝ている自分のベッドを見つめた。
俺、寝れるのか? ここで? り、理性が……。
「はやく〜」
月城さんが甘く囁く。
寝るだけ、寝るだけだ。横になって目を閉じる。
それだけだ――。
「い、いきます」
俺は月城さんの隣を這うように進む。
枕までが異様に遠く感じる。
これ、本当に俺のベッドなんだよな……?
月城さんの隣で横になると、彼女の小さい顔が目の前にある。
これやばい!! 近い!!
「かんじゃきくん……ありがとぉ……」
月城さんは寝ぼけながら、俺にぎゅっと抱きついてきた。彼女の柔らかい感触が全身を包み込んでくる。
ぬおおおおおおお!! 耐えろおおおおお!
月城さんは寝てるんだ!
ここで、手を出せば、俺はただの……クズだ。
煩悩に抗う俺の隣では、月城さんは安心したように寝息を立てている。
家出と聞いたときは心配したけど、気丈に振る舞ってたんだろうな。
「おやすみ、月城さん」
俺も……夢の中に……。
「ふみ〜」
俺の腕の中で、月城さんがもぞもぞと動いた。
「うっ!」
……無理だ、寝れない。
結局、その日はほとんど眠れず、朝がくるまでひたすら耐えた。
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