65話 隣の彼女、家を出る
月城さんを送った後、彼女からの連絡はなかった。
俺はとりあえずメッセージを送る。
『今日はありがとう。お父さん、大丈夫だった?』
しかし、月城さんからの返事は一向にこなかった。
変だな……いつもはすぐに返事をくれるのに……。
気になるのは、月城さんのお父さんのことだ。
どう見ても俺のことを嫌っている。
初めて志保さんと会ったときから俺のことを知っていた以上、和史さんも――俺と月城さんの過去を知っていると考えるのが自然だ。
そう考えれば、あの態度にも理由はある。
大事な娘を泣かせたら、誰だって腹が立つ……よな。
自分でしでかしたことだ。俺がなんとかしないと。
ちゃんとお父さんには話をしないといけない。
鳴らないスマホを横に置いたまま、夜は更けていった。
――翌日。
目覚めてスマホを確認しても、やっぱり月城さんからの連絡はなかった。
「……月城さん」
やっぱりあの後、なにかあったんだ。
俺はトレーニングウェアに着替えると、日課のランニングに向かう。
会える保証なんかない。
それでも、気づけば俺の足は月城さんの家のほうへ向いていた。
月城さんの家に着くと、庭先から綺麗な声が聞こえてきた。
俺は外壁の門を通り過ぎて、庭の方へ回ってみる。
「〜〜♪」
志保さんが庭の花に水をやっていた。
まるで花と会話するように鼻歌を口ずさみ、その声色はどこか俺を落ち着かせてくれる。
昨日のお父さんの件もあって、一瞬、声をかけるか迷った。
それでも月城さんのことが気になってしまう。
「おはようございます」
振り返った志保さんはにこやかに微笑んでくれると、丁寧に挨拶してくれた。
「あら、神崎君、おはようございます。今日は早いのね」
「こんな時間にすいません。あの、麗さんの様子って変わりないですか? 昨日の夜から連絡がとれなくて」
「あの子ったら……」
志保さんは月城さんの部屋に視線を送ると、呆れたようにため息をつく。
「ごめんなさいね。心配したでしょう。実は昨日、麗ちゃんと和史さん――お父さんと、喧嘩しちゃってね。お部屋から出てこないのよ」
「喧嘩ですか……」
「神崎君、悪いけど、麗ちゃんのこと見てきてもらえないかな? 私も入れてくれないのよ」
「でも、入って良いんでしょうか。俺、和史さんからは嫌われているようですし……」
「和史さんはもう仕事でいないから。麗ちゃんのことお願いできる?」
「はい」
「あっ! 神崎君!」
「はい?」
「勘違いしないでほしいのだけれど、あの人は麗ちゃんが大好きなだけなのよ。いつまでも子どもじゃないんだから、見守ってあげられたらいいのだけれど……まだ子離れできてなくてね」
昨日のデレデレしていた和史さんを思い出す。確かに過保護な気もするけど、月城さんが大事だというのは伝わってきた。
「はい! わかっています」
月城さんの部屋の前に来ると、俺は扉をノックした。
「お母さん、なに……?」
扉越しに聞く月城さんの声はいつもより不機嫌そうに低い。それでも、声が聞けて安心できた。
「月城さん、俺だよ」
「神崎君!?」
中からドタドタとけたたましい音が聞こえ、扉が開く。
開いた瞬間、月城さんは申し訳なさそうに下を向く。
「神崎君……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「私、連絡しなかったから……神崎君からのメッセージにも、なんて返事したらいいか分からなくて……」
「気にしなくていいよ。それより、お父さんと喧嘩したって、さっき志保さんから聞いたけど……」
「うん。あのね、気を悪くしないで欲しいんだけど……」
そう前置きしてから、月城さんはこれまでのお父さんの経緯を教えてくれた。
予想通り、和史さんは俺が月城さんをフッたことも知っていたし、彼女が付き合ってるって言ったらダメだと言われたということも――。
「お父さんが私のことを心配するのは分かるんだけど、ちゃんと話を聞いて欲しかった。ちゃんと今の神崎君を見て欲しかった」
「ごめん。俺のせいだ」
「違う! 神崎君は悪くない!」
月城さんの力強い言葉に、俺は目を丸くする。
「でも、和史さんの言うとおり、一度逃げたのは事実だから」
「でも、神崎君は戻ってきてくれた。ちゃんと私のこと好きって言ってくれたもん」
月城さんが必死にくらいついてくる。
俺にとっては月城さんがわかってくれているなら、それで十分だ。でも、それでは彼女が納得できないのだろう。
「あれが逃げだとしても、神崎君も、私も、諦めなかった! お父さんは『一度逃げた人間は、また逃げる』って言ってたけど、そんなことない!」
月城さんの言葉は強く、切実でためらいがない。
俺はやっぱりこの人が好きだ。
こんなにも自分を想ってくれる人なんか、他にいない。
「俺がお父さんと話してもいいかな?」
月城さんを守りたいという俺の願いだった。
「ダメだよ」
「えっ!?」
「私、決めた。これは、私たち家族の問題だから。神崎君は出てきちゃダメ。私がお父さんとちゃんと話をするね」
月城さんが優しく笑ってくれる。
もう、大丈夫だな。
「わかった。でも、困ったことがあったら必ず頼って欲しい」
「うん。ありがとう」
俺が変わったように、月城さんだって変わったのだ。
もう泣いているだけの女の子ではない。
――その日の夜。
俺は月城さんからの連絡を待ちながら、父さんと『筋肉部屋』で筋トレをしていた。
今日のメニューは父さん補助付きのベンチプレス。
実はこれが地味にきつい。
「父さん……もう……無理……」
「翼ー! 諦めるな! まだいける!」
限界を超えた筋トレ。
俺がもう無理だと思っても、父さんのさじ加減で終了が決まる。
筋繊維をズタズタに引き裂き、己をワンランク上のステージ、のし上げる地獄のトレーニングだ。
「ほらいけぇぇぇ!!!」
父さんの掛け声が俺の気合いとなってぶち込まれる。
頭に酸素が回らない、ただの負けん気だけで、このバーベルをあげる
「ぬおおおおおお!!!」
ガシャン。
「よし、終了だ!」
「き、きつい」
「翼! 筋トレとは限界を超えたその先にある! そんなんじゃ俺を超えられないぞ!」
「はぁ、はぁ、いや、父さんを超えるなんて、絶対、無理だろ」
「そんなことはない! 諦めなければ、絶対なんてことはない。お前だってよくわかってるはずだ」
父さんの意見はもっともだが、父さんを上回る自分を全く想像できない。なんかもう、この人は生まれたときから別な生き物な気がする。
そのとき、ベンチ台に置いていたスマホが鳴った。
――電話だ。画面には月城さんの文字。
俺は慌てて画面の応答をタップし、耳に当てた。
「もしもし、月城さん? どうだった!?」
「……神崎君、今、家にいる?」
「いるけど、どうしたの?」
――ピンポーン。
家のインターホンが鳴った。
こんな時間に誰だ? いや、今はそれどころじゃない!
「よし、俺が出よう」
父さんがデカい体を揺らしながら部屋を出ていく。
「お家に入れて下さい」
「えっ!?」
まさか……今のインターホンって……。
「おーい! 翼! 月城さんだぞぉ!」
玄関から父さんの声が響く。
急いで向かうと、月城さんがムスっとした顔で立っている。
「私、家出してきました!」
な、なぜ、そうなった……。
会社員のため、執筆・投稿は週末が中心となります。感想・ブックマーク・評価が大きな励みになりますので、応援いただけますと幸いです。




