63話 隣の彼女はパンケーキを叫んだ
「月城さん、大丈夫?」
映画が終わり、俺たちは明るいロビーまで戻ってきた。
「うぅ……。結花ちゃんよかったね……よかったね……」
月城さんは、映画の中盤くらいからずっと泣いている。
俺のシャツの袖を摘んで、なんとか後をついてきていた。
ここが映画館で助かった。
路上でこの状態なら俺はやばい男認定されるだろう。
「月城さん、ほら。行こうか」
「うぅ……。パンケーキ、食べよ」
今っ!? なぜパンケーキ!?
やっぱ甘いの好きじゃん!?
戸惑う俺だったが、月城さんが言うのなら叶えてあげたい……。
確かレストラン街にパンケーキの専門店があったような。
「パンケーキ!」
「わかったから……ほら、行くよ」
俺は月城さんの手をとった。
彼女がどこかに飛んでいかないようにぎゅっと握る。
「うぅ……ありがとう」
俺は泣きじゃくる月城さんを引き連れてフロアを進む。
すれ違う人々の視線が痛い……。
俺は一緒に映画を見ただけなんだ。
だから俺は「映画! 映画がよかったね!」と、
必死に言い訳みたいな励ましを繰り返しながら進むしかなかった。
レストラン街の一角にあるパンケーキ専門店は、甘い香りと女性客でいっぱいになっていた。
案内された二人席に座ると、月城さんはようやく俺の袖から手を離し、椅子にぺたりと座り込む。
「……落ち着いた?」
「うん……ごめんね……」
目元はまだ赤いし、鼻も少し詰まっている。
それでも、メニューを開いた月城さんは、さっきまでの涙が嘘みたいに目を輝かせた。
「ねえ神崎君、これ見て。期間限定のやつ。桃と紅茶のパンケーキだって」
――早い。
完全に切り替わってる。
「さっきまで泣いてたよね?」
「泣いてたからこそ、甘いものが必要なの」
突然飛び出す謎理論。
月城さんは迷うことなく期間限定を注文し、俺は無難そうなプレーンにした。
数分後、運ばれてきたパンケーキから、湯気と一緒に桃の甘い匂いが立ち上る。
「……おいしそう」
月城さんは、フォークを手に取ったまま、しばらくじっと見つめていた。
「――あのね」
「どうしたの?」
「神崎君、映画……どうだった?」
「面白かったよ。やっぱり原作よりキャラの細かい心情は語られないけど、表情とか、仕草とか映像で上手く表現していたと思う」
「私はね……」
「まず結花ちゃんがヒロインに選ばれたところ! あそこ偶然みたいに描かれてたけど実はずっと努力してたのが分かる演出でね背景の――」
き、きた! オタクモードの月城さんだ!
語尾が早くなり、息継ぎもほとんどない。
「それに最初の頃の結花ちゃんって周りの目を気にしすぎてて言いたいこと全部飲み込んじゃうでしょ? でも文化祭の準備のシーンで――」
フォークが空を切り、ジェスチャーが増え、完全にパンケーキを忘れている。
俺は、黙ってそれを聞きながら、内心で少し笑っていた。
――楽しそうだな。
この、好きなことを話して止まらなくなる月城さん。
「……結花ってさ」
「うん?」
「月城さんに、似てると思う」
月城さんは目を丸くして、ぴたりと動きを止めた。
「自分に自信がなくてさ。でも、諦めないところとか、変わりたいって思って、ちゃんと努力するところとか」
視線を合わせるのが少し気恥ずかしくて、俺はパンケーキに目を落とした。
「そういうところが、似てるって思った」
月城さんはフォークを置き、膝の上でそっと手を重ねた。
「……ねえ、神崎君」
「なに?」
「私ね……神崎君にフラれたとき、この本が目に入ったの……」
針に刺されたように心臓がちくりと痛んだ。
「結花ちゃんみたいに、変わりたかった。このままじゃ嫌だって思って、悔しくて……でも、どうしていいか分からなくて」
月城さんは、少し照れたように笑う。
「だから、結花ちゃんみたいに頑張ろうって決めたんだよ……外見も、考え方も、全部一気には無理だったけど、少しずつでも変わろうって」
そう言って、まっすぐに俺を見る。
「だからね……神崎君に……結花に似てるって言ってもらえたのが、嬉しい。私が、頑張ってきたところを、ちゃんと見てもらえた気がして」
「……そっか」
俺は……それだけ答えるのが精一杯だった。
結花に憧れていた月城さんは、もうとっくに、自分自身の物語を、ちゃんと歩いている。
「それにね」
月城さんが、少しいたずらっぽく笑う。
「今日、神崎君と一緒に映画を見れたことが本当に嬉しくて……だから、いっぱい泣いちゃったんだ」
「……俺も」
「えっ?」
「……俺も、月城さんと一緒に見れて良かった」
パンケーキの甘い匂いの中で、心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。
「これからも、一緒に映画を見に行こう! あ、いや、映画だけじゃなくて……色んなもの二人で見れたらなって……」
言い淀む俺。それでも月城さんは嬉しそうに笑ってくれる。
「うん! もちろん」
それだけで十分だ。
「はい、この話はここまで!」
「……切り替え早くない?」
「感想会は終わり。次はパンケーキ会〜」
そう言いながら、楽しそうにパンケーキに向き直る。
俺もようやく一口、パンケーキを口に運んで、静かに思う。
この感想会は、映画の話をしているようで――きっと、俺たち自身の話でもある。
お互い、必死になって努力した。
相手の隣に立てるようになれた今、目一杯楽しめている。
――変わって、良かった。
勇気を出して、本当に良かった。
ずっとこんな時間が続いて欲しい――。
それから俺たちは夢中になって話した。
――夏休みの予定。
――行きたいところ。
――やりたいこと。
一時間くらい話していただろうか。時刻は十七時をまわっている。
ふいに月城さんのスマホが震えた。
「お母さんだ」
月城さんはスマホのメッセージを確認していた。
「あっ! ごめん神崎君、私……そろそろ帰らないと……」
「なにかあった?」
「ううん。お父さんが今日は早く帰ってくるみたいで……」
月城さんは、なにか気まずそうに、視線を泳がせた。
なんだろう? なにかまずいことでもあるのだろうか?
まぁ、遅くなったら申し訳ないし。
そろそろお開きにしよう。
「じゃあ、送るよ」
「えっ!?」
月城さんがぎょっとして俺を見る。
えっ!? なんでそんな驚くの?
「どうしたの? なにか問題ある?」
「えぇ……っと、もしかしたら……お父さん、家にいるかも」
ゴモゴモ話す月城さんから、なんとなく、俺と会わせたくないんだろうなというのは伝わってきた。
「もしかして、お父さんって厳しい人?」
「えっと……あの……厳しいというか。圧がすごいというか……」
なんだそれ? 圧ならうちの父さんも相当だと思うけど……。
以前の俺なら、きっとビビっていただろう。
でも今は、不思議と一歩も引く気にならなかった。
志保さんからは、月城さんをよろしくお願いしますと言われているし、ちゃんと、家まで送り届けたい。
「大丈夫だよ。送るよ」
「う、うん。じゃあ、お願いします……」
月城さんがなにを怖がっているのか分からない。
ただ、不安を抱えているのなら、彼女を放って帰ることなんかできない。
だから、俺は離れないと決めた。
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