56話 隣の師匠は、私よりずっと大きな人でした
目の前に迫る車。
私はそっと目を閉じた。
あれが当たったら痛いんでしょうね。
いや、痛いって感じるくらいならまだマシなのかもしれない。
妙に達観した中学生だなとは自分でも思ったのですが、それが私なので、致し方ない。
姉様、楽しい日々をありがとう。
大好きです。
月城さん、女の子としてあなたに勝てる要素が何一つ思い浮かびませんでした。
可愛くて、憧れています。
さっきは勇気づけてくれてありがとうございました。
そして、師匠……。
私が初めて好きになった人……。
生まれ変わったら絶対にまた会いにきます。
そのときはちゃんと好きだと言います……。
――どうか、月城さんとお幸せに。
心の中で大好きな人たちに別れを告げたとき、誰かの必死な叫びが聞こえた。
「神崎君、だめぇ!!」
次の瞬間、私の身体にものすごい衝撃がぶつかってきた。
怖くて目なんか開けられない。
私の身体は地面を離れて、宙を舞うようにふわりと飛んでいる。
あぁ――痛い怖い痛い怖い……痛い……怖い?
あれ?
車に轢かれるのってあまり痛くないのですね。
それとも、魂がもう肉体から抜けてしまったのだろうか……。
私にぶつかった物は妙に弾力があって、温かくて、包み込むような優しさがあった。
まるでお姫様抱っこをされてるみたい。
いや、こんなデカ女、お姫様抱っこなんて無理でしょうね。
このまま天国まで連れて行ってもらいたいです。
「澪ちゃん! 大丈夫!? 目を開けて!」
おお。
どうやら天国に着いたようです。
天使の声は師匠に似てますね。
どんな綺麗な景色が待っているのだろうか、と私は目を開けた。
でも、見えたのは綺麗なお花畑でも、三途の川でも、可愛い天使の姿でもない。
私の目の前にあるのは、あまりにも近すぎる師匠の整い過ぎた顔だった。
「っ!! し、師匠!?」
「ケガは!? どこか痛い!?」
周りをキョロキョロ見回すと、さっき私がいた歩道の反対側にいた。
師匠にお姫様抱っこされながら……。
「はい……多分、大丈夫です……」
近い、とにかく近い! あ、嫌ではないのです。
「よかったぁぁぁぁ」
師匠は私を地面に立たせると、その場にヘナヘナと座り込んでしまった。
慌てて近寄ると、師匠は片手を地面について身体を支えている。
でも、支えている腕の肘の辺りが赤い。
皮膚が削れて、血がじわじわ滲んでいる。
「し、師匠! 血が……!」
「えっ!? どこ!?」
「肘のところです!」
「あっ、ほんとだ。道路で擦っちゃったのかな……。大丈夫だから」
師匠はそう言って、手のひらをヒラヒラと振った。
「でも……!」
よく見ると、肘だけじゃなくて、シャツの袖も、膝も、アスファルトで擦った跡がはっきり残っていて、道路にも血が垂れていた。
「澪ちゃんがケガしなくて、本当によかったよ」
「っ……!!」
師匠が優しく微笑んでくれる。その顔を見たら、なんだか私も安心したのか、力が抜けて座り込んでしまった。
そんなの……かっこよすぎじゃないですか……。
「澪!!」
聞き慣れた、張り裂けそうな声。
顔を上げると、歩道の向こうから姉様が全力で走ってくるのが見えた。
髪は乱れて、いつもの余裕なんて一欠片もない。
そのすぐ後ろに、月城さんがいる。
肩で息をしながら、真っ青な顔で師匠を見ている。
「澪、大丈夫!? どこか痛くない!?」
姉様は私の前にしゃがみ込むと、私の肩を強く掴んだ。
手が震えている。
「……だ、大丈夫です……」
「うぅ……よがっだあぁあああ」
姉様とそんなやりとりをしていても、私の視線は師匠から離れなかった。
月城さんは、真っ先に師匠の方へ駆け寄る。
「神崎君……!」
その声は、明らかに泣きそうだった。
地面に座り込んだ師匠の前に膝をついて、血の滲んだ腕を見て、息を呑んでいる。
「血……いや! 神崎君! 死なないで!」
「道路で擦りむいただけだよ。死なないから安心して」
「へっ!? あ……良かった」
月城さんも安心したようにその場座り込む。
でも、すぐに師匠を睨みつけたかと思うと……涙をポロポロ流しながら師匠の胸に頭を押し付けていた。
「……私、だめって言ったよね。こんなにケガして……無茶しないでよ……」
「ごめん。気がついたら飛び出してて……澪ちゃんが危なかったから……」
二人の間には少しの沈黙が落ちた。
「わかってる……わかってるけど……私、すっごい心配したんだよ。神崎君になにかあったらって思ったら……怖かった……」
私は、何も言えずにその光景を見ていた。
月城さんは、師匠の胸に顔を埋めて泣いている。
師匠は困ったように、それでも優しく、彼女の背中に手を回していた。
――ああ。
あれが恋人同士の……師匠と月城さんの距離、なんでしょうね。
師匠が月城さんへぽつりと呟く。
「……ごめんね。もう、泣かせるつもりなかったのに……」
その言葉は、月城さんだけに向けられた声だった。
それが痛いほど分かったけど、でも、不思議と涙は出なかった。
私が好きになった人は、こんなふうに人を守れる人だったんだ。
どこか自信がなさそうで、でも、すごく頼りになって……あの死にそうな状況になっても、諦めずに自然に助けに来てくれる。
……言いたい。
たとえ、好きな人に彼女がいても。
たとえ、私が入る隙間なんて、どこにもなくても。
この気持ちは、私だけのものだから。
これは、『言わなかった自分』を作らないためなんだ。
「し、師匠……あの……」
口から出そうになった私の想いは……姉様に邪魔された。
「翼ー!! ありがとう! 澪を助けてくれて」
姉様は抱き合っている師匠と月城さんの中に飛び込んでいってしまった。
「痛い痛い! 離れろ高瀬ー」
「ちょっと愛! 離れてー」
「ありがどぉー! ありがどぉー!」
もみくちゃになる三人を見て、私は一つ思いついたことがある。
なるほど……ああやって、むりやり隙間に入るのもありなんですね。
そんな私たちの元に、私が助けた男の子とお母さんがやってきた。
お母さんが推しているベビーカーには産まれて間もないような赤ちゃんが乗っている。
「あの……うちの子を助けてくれて、ありがとうございました!」
「おねーさん、あいがとう」
男の子がたどたどしい言葉で、私にお礼を言ってくれた。
か、かわいいですね……。
「い、いいえ! あの……私……君のこと押しちゃったんですけどケガしてないですか?」
「うん。いたくないよ」
よかった。これでケガさせてたら締まりませんからね。
すると、いつの間にか私の背後にやってきた師匠が、私の頭の上に手をぽんと置いた。
「よかったね。澪ちゃん」
「なっ……!」
私のようなデカ女の頭に手を置くなんて……。
……そうでした。
この人は私よりも、ずっと『大きな人』でしたね。
「はい」
私は、初めて男の人に――心の底から笑えました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
12/22付けで、本作の累計PVが15万になりました。
いや、大したことないだろ? って思ってる方、違うんですよ。
やっぱりね、書籍とか出したことない私からすると、こういう節目の数字は嬉しいものなのですよ。
処女作なんて最近やっと1万PVですからね……
ここまで読んでくれてる方々は、私にとっての神崎君(大好き)です。いつも誤字報告とか……感想とかありがとうございます!
これからも更新頑張ります泣




