33話 隣の妹が俺を師匠と呼ぶ
月城さんがサーブ練習を始めて、すでに一時間が経過していた。
最初は笑っていた俺たちだったが、月城さんの真剣な表情に、徐々に言葉がなくなっていた。
彼女はとても頑張っていた。しかし、サーブは未だ一本も決まってはいない……。
「みんな、ごめんね……」
重い空気を察したのだろう。月城さんからの謝罪だった。
自分ができない事への焦り、もしくは貴重な休日にみんなの時間を無駄にしてしまっていると思っているのかもしれない……。
「気にしなくていいよ。今日は練習するために来てるんだ。できるまで頑張ろう」
俺が声をかけて励ました。
でも、バレーに関して技術的なことはよくわからない。ちゃんとした指導者がいれば、もっとわかりやすいんだろうな……。
そう思っていたとき――いつの間にか、審判台の下にひとりの少女が立っていた。
月城さんの練習に集中していたので、全く気づかなかったのだが、少女は高瀬と何か話している。
「おーい、みんなー! 紹介するね。この子がウチの可愛い可愛い妹の澪だよ!」
「姉様、可愛いは余計です。普通に紹介して下さい」
「え〜無理だよ。だってこんなに足長くて、胸大きくて、髪サラサラなんだよ!?」
少女は「はぁー」とため息をついてから、丁寧に挨拶してくれた。
「初めまして、妹の高瀬澪です。皆様、年上の方ばかりですので、私のことは気軽に澪とお呼び下さい」
澪と名乗ってくれたその少女は、銀髪のショートカット。
女の子にしては背が高く、高瀬や月城さんより頭一つ抜きん出ている。
けれど顔は小さく、モデルのようなバランスだ。切れ長の目元は、表情をほとんど動かさず、まるで氷のように静かだった。とても中学生とは思えない落ち着いた雰囲気だ。
「姉から話は聞きました。私でよろしければ、ご指導させていただきます」
「よ、よろしくお願いします……!」
月城さんは、どっちが年下かわからないほどオドオドしていて、少し緊張したように頭を下げた。
「さきほど拝見しましたが、月城さんのサーブは単純に――力み過ぎです」
「えっ! それだけ?」
「もちろん技術的な問題は多いですが、普段からバレーをやっていないのでそれは当然です。技術よりもメンタルの部分が大きいと判断しました」
澪ちゃんは表情を変えず、淡々と続けた。
「おそらく月城さんは、ものすごく頑張り屋さんなんだと思います。普段、“ちゃんとやらなきゃ”とか“私がなんとかしなきゃ”とか、考えて暴走気味ではないですか?」
「うっ……そうかも……です……」
「なので肩の力を抜いて下さい。周りは気にせず、もう一回やってみましょう。こちらへ」
澪ちゃんは月城さんをエンドラインへ誘導し、身振り手振りを交えて説明していた。
「もっとリラックスして。肘を先に出して、スナップで打つ感覚です」
月城さんは息をのんで頷く。
ボールを高く投げ、言われた通りに力を抜いて――スナップを効かせた。
パン、と乾いた音。
ボールは一直線にコートの奥へ突き刺さった。
「え……!」
月城さんが目を見開く。
「で、できた! 入ったよ神崎君!」
「ああ、ちゃんと見てたよ」
月城さんはまるで子どものように飛び跳ねて喜んでいる。なんて愛らしい姿なんだ。よほど嬉しかったのだろう。
澪ちゃんは一瞬だけまぶたを下げ、小さく言った。
「そうです。上手です」
「ありがとう澪ちゃん!」
「まだサーブ一本決めただけです。忘れないうちに身体に覚えさせましょう」
「は、はい!」
そこからの上達は早かった。レシーブ、トスと一通りのバレーの動きを澪ちゃんからマンツーマンで教わり、月城さんは“運動音痴”から“ちょっと下手な女子”くらいまで成長した。物凄い進歩である。
それを見ていた駿が、思い出したように俺へ声をかけてきた。
「俺たちやることなくなっちまったな。そうだ翼!」
「なんだよ」
「お前もサーブ打ってみろよ」
「いや、俺バレーもできないぞ」
「だからだよ。どれくらいできないのか興味ある」
駿のやつ、俺を笑い者にするつもりだな……。
鬼コーチ役を澪ちゃんに取られた高瀬まで悪ノリしてくる。
「面白そう! 翼、思いっきりね。大丈夫、失敗しても……わ、笑わないであげるから」
いや、もう笑ってるじゃん……。
半ば強引にエンドラインへ連れていかれた俺は、しぶしぶボールを受け取った。
正直、バレーなんて中学の体育以来だ。
頭の中では、汗ダルマ時代に投げつけられた酷い言葉たちがフラッシュバックする。
ボールを持つ手が少し震えた。
だけど駿と高瀬が「ほれほれ〜」と俺を煽る姿を見ていたら――不思議と笑えてきた。
「わかったよ。俺の運動音痴っぷりをよく見とけ」
確か、テレビで見るサーブってジャンプしながら打つやつだったよな。
よくわからんが、やってみるか。
俺はエンドラインの後ろに立ち、数歩助走してボールを宙に上げた。
肘を先に出して、スナップを効かせる――澪ちゃんが言ってた通りに。
「ふんっ!」
バンッ! ドオォン!
まるでミサイルのような轟音とともに、ボールはコートの奥へ突き刺さった。
おっ、意外と上手く出来た。……と思ったのだが――。
沈黙。
あ、あれ? 変だったか? みんなやけに静かだ。
誰も何も言わないので、だんだん恥ずかしくなってくる。月城さんもさっき、こんな気持ちだったのだろうか。
しかし、周りの反応は想像していたのとまったく違った。
「は、速っっっ!?」
駿が叫び、高瀬は顔を青ざめさせて震えている。
「翼くん……舐めた態度とってすいませんでした……」
そして月城さんは怒ったように俺を睨み――。
「神崎君の、嘘つき……!」
……え、なんで!?
訳がわからないまま周りを見回していると、すごい勢いで澪ちゃんが駆け寄ってきた。
「今の……ジャンプサーブ、ですよね!?」
澪ちゃんの銀髪がふわりと揺れ、さっきまでの無表情がかすかに崩れている。
「あ、ああ……たぶん、そう……だと思うけど……」
「すごいサーブでした! 神崎さん、もしかしてプロの方なんですか!?」
ほっと胸をなで下ろす。どうやら変な打ち方ではなかったらしい。
「いやいや、俺はただの素人だよ。澪ちゃんが言ってたこと思い出して打っただけなんだ」
「素人が、あんなサーブを打てるはずありません。ぜひ教えて下さい。お願いします!」
さっきまでのクールさが嘘のように、澪ちゃんは両手をぶんぶん振って迫ってくる。
その必死な姿は年相応の中学生らしくて――正直、少し可愛かった。
「い、いや、無理だって! 俺、本当に――」
「なるほど。つまり“技術は見て盗め”ということですね」
「いや、そうは言ってない!」
俺の抗議なんて聞く耳も持たず、澪ちゃんは目を輝かせて一歩前へ出る。
「もう一回、打ってもらってもいいですか?」
「え? いや、俺ほんとに偶然――」
「お願いします。今度は後ろでフォームを見たいんです」
気づけば、澪ちゃんが真っ直ぐな瞳で見上げていた。その目に押されて、俺はしぶしぶ頷くしかなかった。
……結局、そこから数十本サーブを打たされる羽目になった。
もう夕方になっていたので帰ろうとしたのだが、「師匠、私もお供いたします」と迫られて断るのが大変だった。
駿とは駅で別れ、俺は月城さんと帰路についていた。
「神崎君、すごい懐かれてたね」
「いや、懐かれたっていうか……勝手に“師匠”にされたというか……」
俺は苦笑いしながら、月城さんと並んで歩いていた。
夕方の風が少し冷たくて、汗をかいた首筋に心地いい。
「でも、澪ちゃん、本当に楽しそうだったよ。神崎君の教え方、上手だったんじゃない?」
「教えてないって。見て盗むとか言い出したのはあっちだし」
月城さんが小さく笑う。
その笑顔を見ているうちに、今日のドタバタも――まぁ、悪くなかった気がしてくる。
「……あ」
「どうしたの?」
「今日、バスケの練習してない」
月城さんが一瞬きょとんとして――ふっと笑った。
「忘れてたね……」
その言葉に、俺もつられて笑う。
空には、オレンジと群青が溶け合うような夕焼けが広がっていた。
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