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イケメンになった俺、中学でフッた女の子が美少女になって隣の席から睨んでくるんだが!?  作者: なぐもん


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29話 私は神崎君の家に突撃する③

 キッチンの中に、焦げた匂いが立ちこめていた。


「おおっ!? ちょ、ちょっと焦げたかもしれん!」


 コンロの前で剛十郎さんが慌てて鍋を振っている。鍋の中では、なにかの肉が真っ黒になっていた。


「お、お父さん!? それ、もう煙出てます!」


「う、うむ……? 火力が強すぎたかもしれん」


「かもしれん、じゃないです!」


 思わず前に出る。このままじゃ火事になってしまう!


「えっと……私、代わってもいいですか?」


「君が?」


「はい。料理、少しだけ得意なんです」


 剛十郎さんは一瞬目を丸くしたが、すぐに穏やかに笑った。


「そうか。じゃあ、頼む」


 短くそう言って、剛十郎さんはすっと鍋から離れる。


「……ありがとうございます」


 私は深く息を吸って、袖をまくった。冷蔵庫には豚こま、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん――定番の材料が揃っている。


「肉じゃが、作りますね。これならすぐできます」


「おぉ。すまん!」


 剛十郎さんが、まるで子供のように静かに頷いた。


「神崎君、ご飯お願い。炊いてもらってもいい?」


「う、うん。わかった」


 神崎君がシンクで米を研ぎ始める音がする。私は包丁を手に取り、野菜をトントンと刻み始めた。


 台所に響く音。それを背後で聞いていた剛十郎さんが、ぽつりと呟いた。


「……いい音だな」


「え?」


「久しぶりに聞いたんだ。誰かが、家で料理してる音」


 私は手を止めかけた。けれど、剛十郎さんは穏やかな表情のまま続けた。


「昔は、沙苗さなえ――翼の母さんがよく台所に立っててな。

けど、あいつがいなくなってから……この家でこんなに小気味のいい包丁の音が鳴るの、初めてかもしれん」


「……そう、なんですね」


 胸の奥がきゅっと締めつけられる。だからあんなに優しい目で見てたんだ。


 私は小さく息を吸って、笑顔を作った。


「じゃあ、今日は久しぶりの“家庭の味”ですね」


「そうだな。楽しみだ」


 その一言が、まるで何よりのごちそうだと言わんばかりに聞こえた。


 鍋に油をひき、豚肉を炒め、野菜を加える。じゅわっと香ばしい音。しょうゆと砂糖、みりんの香りが重なり、部屋中がやさしい匂いで満たされる。


「いい匂いだな……」


「はい。あと少しでできあがります」


 私は鍋のふたを開け、軽く味見をする。ちょうどいい。少し甘めで、どこか懐かしい。


「できました!」


 三人で食卓を囲む。「いただきます」と手を合わせ、箸を取った。


 一口食べた瞬間、剛十郎さんと神崎君の表情がふっと和らいだ。


「美味しいっ!」


「……うまいな。やさしい味だ」


「本当ですか?」


「ああ。この肉じゃがには想いが詰まってる」


 その声は静かで、どこか懐かしさを含んでいた。私は何も言えず、ただ笑って頷いた。


 三人で箸を動かすと時折、剛十郎さんが私と神崎君を見て、柔らかく目を細めていた。


 ――その目は、どこまでもあたたかい父親の目だった。


 気づけば外はすっかり暗くなっていた。時計はもう七時を回っている。


「もう遅いな。車で送るぞ、月城さん」


 剛十郎さんが立ち上がる。断ろうとしたけれど、彼の言葉に逆らえる空気じゃなかった。


「い、いえ! 大丈夫です。歩いて――」


「こんな時間に女の子をひとりで歩かせられるか! 危険だぞ!」


 その一言に、私は思わず全身が震えた。


 玄関で靴を履くとき、神崎君が少しだけ名残惜しそうに見ていた。でも、剛十郎さんに「お前は皿洗いな」と言われて、しぶしぶキッチンへ戻っていった。


「じゃあ、行くか」


「お、お世話になりました」


 外に出ると、夜風が少し冷たかった。


 剛十郎さんの車は大きな白いバンで、まるで本人みたいにごつくて頼もしい。


 助手席に座ると、エンジンの音が静かに響いた。


 しばらくは無言だった。街灯が車の中を淡く照らし、窓の外を流れていく。


「月城さん、今日はすまなかったな。お客さんに料理を作らせて」


 ハンドルを握りながら、剛十郎さんが言う。低くて落ち着いた声だった。


「い、いえっ! そんな……とても楽しかったです」


「そうか。……あんなうまい飯を食ったのは、沙苗が生きてるとき以来だった」


「……沙苗さんってどんな人だったんですか?」


「沙苗はな……太陽みたいにあの家を照らしてくれる人間だった」


「……」


 “太陽”という言葉が、彼の口から出た瞬間、私は息をのんだ。あの大きな背中の人が、そんな表現をする人がいるなんて。


「……よかったら、聞きたいか? 沙苗の話」


「は、はい! 神崎君のお母さん、どんな人だったのか……すごく興味あります」


「そうか。――じゃあ、少し長くなるが、聞いてくれ」


 剛十郎さんは、夜道に視線を向けたまま、静かに語り始めた。

 


*     *     *



「結婚して下さい!」


 俺――神崎剛十郎は生まれて初めての一目惚れに興奮していた。一目見ただけで、俺の鍛えられたはずの心が乱されたのだ。


「ごめんなさい」


 断られた瞬間は絶望してしまった。でも沙苗は――。

 

「キミ、神崎剛十郎君だよね?」


 その声を聞いた瞬間、俺は固まった。


「知ってるのか?」


「柔道の日本選手権で優勝した人でしょ? それにその大きな体……大学で君を知らない人なんていないよ」


「お褒めに預かり光栄だ! 結婚してくれ!」


「ふふ。キミ、面白いね」


 その日から、俺は完全に心を奪われた。試合よりも、練習よりも、沙苗の笑顔が気になった。


 何度も求婚しては断られた。でも、俺は諦めなかった。何度も何度も、会いに行った。


 いつの間にか、笑いながら話すようになって、俺の求婚に「はい。よろしくお願いします」と言ってくれた。


 世界が輝いて見えた。翼が生まれて、家の中はいつも笑い声であふれていた。

 

 柔道も順調で、世界選手権で優勝したときは、沙苗が誰よりも喜んでくれた。


「次はオリンピックだね!」


 そう笑った顔を、今でも覚えてる。


 ――でも、幸せな時間は一瞬だった。


 沙苗の病気が見つかったのは、翼がまだ三歳のころだ。もう治らないと言われた。


 それでも俺は信じた。病院を探して、医者に頭を下げて、何度も何度も祈った。


 ……けれど、沙苗はどんどん痩せていった。


 ある日、庭に出た沙苗が一本の木を植えていたんだ。


「剛ちゃん、翼のことお願いね。私、死んだらこの木になって、二人を見守ってるから」


「なに言ってる! 沙苗は死なない!」


 でも、その目はもう、遠くを見てた。“さよなら”を覚悟した人の目だった。


 ――剛ちゃん、ごめんね。迷惑ばっかりかけて。見ていたかったな。翼が大きくなるの。


 それが最後の言葉だった。


 俺は、何もできなかった。力があるはずなのに、何ひとつ守れなかった。


 ……オリンピックの夢なんて、もうどうでもよくなった。


 泣きじゃくる翼を抱きしめながら、俺は決めたんだ。「もう、柔道じゃなくて、父親として強くなる」って。



*   *   *


 

「……だから、俺はずっと怖かった。あいつを正しく育てられたのか、間違ってないかって」


 剛十郎さんは信号で車を止め、静かに続けた。


「でも――君と出会って、あいつは変わったんだ。君の隣に立てるようにと、自分で“変わりたい”って言ったのは初めてだった。……あの顔、沙苗が生きてたら喜んだだろうな」


「そ、それって……」


「ああ。あいつは君のことが大事なんだ。こんな自分と一緒にいたらダメなんだって中学のときに言っていた」


 私は泣いていた。こぼれる涙を拭えず、ただ胸の前で両手をぎゅっと握る。神崎君が私のことをフッたのって……。


「月城さん。もし君が、あいつのことをまだ好きでいてくれるなら……」


 剛十郎さんは穏やかに笑った。


「――待ってやってくれ。あいつは、必ず自分で答えを出すと思う」


 私は震える声で、それでもはっきりと答えた。


「……はい。待ちます」


 自宅の前で降ろしてもらい、剛十郎さんの車が見えなくなるまで見送った。


 神崎君は、ちゃんと愛されて育ったんだ。


 だから、あんなにも優しいんだね――。

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自然な流れでお父さんの過去が語られて涙 息子がこんないい子連れてきてくれて嬉しかったろうなあ…… そしてさりげなく…いや直球で息子をアシストしてしまった これでお互い気持ちのすれ違いはなくなったから、…
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