27話 私は神崎君の家へ突撃する①
放課後の帰り道、並木道を吹き抜ける風が少し冷たく感じた。
陽が差し込むアスファルトの上に、私と神崎君の影が並んで伸びていた。
「……ほんとに、うちに来るの?」
神崎君が困ったように笑う。私は小さく首をすくめた。
「だ、だめ……だった?」
「いや、だめじゃないけどさ。うち、筋トレ器具くらいしかないよ?」
筋トレ。私の人生で一番縁のない単語だ。
「わ、わーい。私、実は筋トレに興味あるんだ。楽しみだなー」
笑顔でごまかしながら、心の中で土下座する。嘘である。
私は腕立て伏せすら一回もできない。いや、ほんとはできる。腕を曲げたらもう戻ってこられないだけだ。
でも――どうしても行きたかった。神崎君の普段の生活もわかるし、暴力の証拠もみつかるかもしれない。
青葉通りを抜け、少し歩くと、住宅街の奥に白い壁で黒い屋根の大きな家が見えてきた。
「ここだよ」
思っていたよりも新しくて、静かな場所だった。
広い庭は芝生がきれいに生えそろっている。そして、その真ん中に、一本の木があった。
「この木、立派だね」
私がそう言うと、神崎君は少し目を細めた。
「亡くなる前に母さんが植えたんだって」
「お母さんが?」
「うん。父さんからはそう聞いてる。なんで植えたのかは知らないけど……」
「そうなんだ……」
風に揺れる木の葉が、どこか誇らしげに見える。まるで、この家の人たちを守っているようにどっしりと根をはっていた。
「……じゃ、入る?」
「う、うんっ!」
緊張で声が裏返った。玄関の前で心臓がやけにうるさい。
――落ち着け私。ちょっと調べて、筋トレするだけだ。今は決戦のときではない!
――神崎君が扉を開けてくれた。
木の香りと、どこか懐かしい空気がふわりと流れ込んできた。私は小さく息を吸って、家の中へと足を踏み入れる。
玄関を抜けると、広いリビングが目に入った。
想像していたよりもずっと整っていて、無骨な感じはしなかった。
白い壁に木目調の家具。ソファの上にはきれいに畳まれたタオルが置いてあって、ガラス棚にはトロフィーと賞状が並んでいる。
「すごい! これ全部お父さんの?」
「うん。柔道やってたんだ。けっこう強かったみたいだよ。その一番大きなトロフィー見てごらん」
金色のプレートには「全日本柔道選手権」と書かれていた。
思わず息をのむ。だって、全日本って……それってつまり、全国一位ってこと!?
すごい……。でも、同時にちょっとだけ怖かった。
そんな人がもし本当に“あの青あざ”の原因だとしたら――。
「どうかした?」
「う、ううんっ! なんでもない!」
危ない危ない。心配してる顔を神崎君に見られるところだった。
そして、ふと視線を飛ばした先、部屋の奥の壁に、写真立てが飾られていた。近づいて見ると、小さな神崎君が笑顔でピースをしていて、その隣には――とてつもなく大きい男の人が立っている。
「……こ、この人が、お父さん?」
「うん。そうだよ。大きくてビックリするよね」
写真の中の彼は、腕の太さが太ももみたいで、笑顔も豪快だ。まるで熊さんみたいな迫力。私は思わず一歩引いた。
お、お父さん……絶対強い。怒らせたら消される……。
「で、その隣が母さん」
「わぁ……きれいな人」
柔らかい笑顔で、小さな神崎君の肩に手を置いている女性。やさしそうで、見てるだけで胸があたたかくなる。
「母さん、俺が四歳のときに亡くなったんだ。だから、あんまり覚えてないけどさ。でも、すごく優しかった記憶はなんとなく残ってる」
神崎君の声が少しだけ低くなった。その横顔を見て、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……そっか」
「でも、たぶん俺のこと、どこかで見てると思う。父さんも、そう言ってたし」
そう言って笑った神崎君の表情は、どこか懐かしさを含んでいて――その笑顔が、どうしようもなく好きだと思ってしまう。
私は写真の前で、静かに手を合わせた。
――神崎君のお母さん。私、あなたの息子のことが好きです。これからも、見守っててくださいね。
「……月城さん?」
「な、なんでもない! えっと、その、筋トレ見せてもらえるかなっ!」
「はは、わかった。じゃあ、こっち」
神崎君に案内されて、私は廊下の奥へ――そこには“筋肉部屋”と書かれた扉があった。
扉を開けた瞬間、金属とゴムの匂いが鼻をくすぐる。
そこには、ダンベル、バーベル、ベンチプレス、懸垂バー、見たこともない器具がずらり。
それはもう、学校のトレーニング室より本格的だった。
……え、ここ本当に家? ジムじゃなくて?
私はそんな現実逃避をしながら、軽く笑ってみせた。
「す、すごいね……。これ、全部使うの?」
「メニューは毎日父さんが決めてくれるんだ。今日は軽くでいい?」
「う、うんっ!」
――このあと地獄を見るとも知らずに。
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