25話 隣の美少女が好きなのは……
階段を登る最中、どんな顔をして月城さんに会ったらいいのかわからなかった。
月城さんがずっと俺のことを想っていると、志保さんは教えてくれた。俺が自分の気持ちを隠して、彼女の想いを踏みにじったあの日から、そんなこと考えたことなかった。
美少女になって……誰かを好きになって……幸せになっていく。彼女にはきっとそんな未来があるのだと思っていたからだ。
でも、違った。月城さんは告白してくれたときからずっと俺のこと諦めてなかったのか?
俺、月城さんを泣かせたんだぞ……。あんなにまっすぐな気持ちをぶつけてくれたのに……。
それでも信じてみたい自分がいた。月城さんに会いたい。会って、確かめたくなった――。
二階に上がると部屋が三つあった。どれが月城さんの部屋なのか……すぐにわかった。部屋のドアに『麗ちゃんの部屋』と書かれた札があったからだ。
部屋からは鼻をすするような音と、シクシクと泣いている声が聞こえている。
月城さん、やっぱり泣いてるな。目の前にあるはずのドアが、やけ遠くにある気がした。
「か、かんじゃき……君、そこにいるの?」
震える声だった。聞き慣れた月城さんの落ち着いた声とは違って、弱くて、掠れていて――胸が刺されたように痛かった。
「……いるよ」
「なんで神崎君が家にいるの?」
「ごめんね。ビックリしたよね……。先生にプリント頼まれて、届けに来たんだ」
「そう、なんだ……。わざわざ、ごめんね」
月城さんの声が弱々しい。そのあと、かすかに鼻をすする音がした。
「……もう帰っちゃうの?」
「志保さんに頼まれたから、まだいるよ。でも、帰ったほうがいいなら」
「やだ……」
ドアが開いて、中から毛布を頭からすっぽり被った月城さんが現れる。まるで着ぐるみみたいで息を呑むほど可愛かった。
「……入って」
「……いいの?」
彼女は俺と視線を合わせず、ほんの少し頷いた。
中に入った瞬間、ふわっと甘い香りが鼻をくすぐった。紅茶みたいな香りに、ほんの少しだけインクの匂いが混じっている。
白とピンクを基調にした、清潔感のある部屋だった。カーテンはレースつきの淡いピンク。窓からの光が柔らかく広がって、空気の粒がきらめいて見える。壁際には木目の本棚があって、教科書と整理されたラノベたち。『となりのヒロイン計画』の背表紙も見える。
机の上には整頓されたノートとペン立て。だけど、ペン立ての影にアニメキャラのキーホルダーが半分隠れるようにぶら下がっていた。普段、みんなから慕われる学年一の美少女の部屋に見えて、ほんの少しだけ“昔の月城さん”の名残を感じた。
ベッドは白いフレームのシングル。淡いベージュの布団カバーが掛けられていて、枕元に可愛らしいうさぎのぬいぐるみが一つあった。
身体を冷やさないためか、暖房がついていて部屋はかなり温かい。俺はブレザーを脱いでシャツの袖をまくった。
月城さんは部屋に入った瞬間からベッドに飛び乗り、頭まで毛布をかぶって全身を隠してしまった。布団の中からはまたすすり泣くような声が聞こえてくる。
「私のことは見ないで」
「やっぱり帰ろうか?」
「嫌、帰ったらダメ」
布団の中で声が震える。
泣きはらした頬を見せたくないのかもしれない。
でも――それでも俺は、彼女と向き合いたかった。
また、あの声。泣きそうなのに、どこか甘えてるようで響いてくる。
「……わかったよ。帰らないから安心して」
俺はベッドの端に腰を下ろした。月城さんは、毛布の中で肩をすくめたまま、かすかに言った。
「びっくりしたんだよ……急に来るから……連絡くらいしてよ」
「ごめん。考えが足りなかった」
「……うん。でも、来てくれて……嬉しかった」
少しの間、静寂が流れた。部屋の時計の音と、月城さんの小さな呼吸だけが聞こえて、ずっとこうしていたいと思った。
「ねえ……神崎君」
「うん?」
「失望した……よね……学校じゃ頑張って優等生っぽく振る舞ってるけど、家じゃほんとはだらしないただの眼鏡オタクなんだって……」
布団の隙間から、少しだけ目だけが覗く。その目は、泣いたあとで赤く腫れていた。
「俺は、安心したよ」
「え……?」
「頑張って無理してるんじゃないかって思ってた。でも、今日の月城さん見て……なんか、“あの頃のまま”って感じがして。……ちょっと嬉しかった」
月城さんを見ると、ほんのりと頬が赤く染まっていた。
「月城さん、本当に可愛くなっちゃったから、俺ビックリして隣の席にいるのに最初、声掛けられなかったんだ」
「私が……可愛い?」
「うん、とっても。中学のときからずっと……頑張ってたんだね」
月城さんは、膝の上で両手をぎゅっと握りしめながら、視線を落とした。
そして、瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれていた。
えっ……。また泣かせちゃったか!?
「ご、ごめん! なにか気に障った?」
「ううん。違うの……神崎君に褒めてもらえたのが……嬉しくて」
彼女はそう言うと、わあーっと泣き出してしまった。
彼女が泣いてる姿を見て、俺はようやく理解した。やっぱり月城さんが変わったのって俺に認めて欲しかったからなんだ。中学のときから見た目はすっかり変わったけど、想いは全然変わらなかったんだね。
俺も覚悟を決めなければならない。ちゃんと月城さんに言わないと、伝わらないよな。
月城さんはしばらく泣いた後、ようやく落ち着いたようだった。
「ごめんなさい神崎君」
「えっ……な、なんで謝るの?」
「だって……変なところ見せちゃったから。子どもみたいに泣いたり、わがまま言ったり……恥ずかしいよ」
「そ、そんなことないよ。誰だって具合悪いときは弱るし、普段見られない月城さんが見れて良かったよ」
「むぅ……。それが恥ずかしいんだよ」
月城さんがぷくっと頬を膨らませる。けど、その表情は怒っているというより、どうしようもなく照れ隠しみたいに見えた。
「もう身体は大丈夫?」
「うん。明日はちゃんと学校に行けそう。お弁当もちゃんと作るね」
「無理しなくていいよ。明日は学食でもいいんだよ?」
「ダメ! 私、決めてるの……ちゃんと作るから一緒に食べよ」
「わかった。楽しみにしてるね」
そのとき、玄関から志保さんの「ただいまー」という声が聞こえた。
「じゃあ、俺そろそろ帰るよ」
「うん。今日はありがとう。また明日……って、えぇっ!?」
帰ろうと背中を向けた瞬間、月城さんが俺の腕を指さして顔を青ざめさせていた。
「どうしたの?」
「神崎君、その腕……ケガしてるよ」
「ああ。昨日トレーニングしてたらぶつけちゃったんだ。すぐ治るから大丈夫だよ」
「そ、そう……。ほんとにぶつけただけ? なにも隠してない?」
「うん? なにも隠してないよ。ごめんね。体調悪いのに変なもの見せて。じゃあ、またね」
「う、うん。気をつけてね」
月城さんがなにか言いたげだったけど、なんだったんだろう? なにか違和感みたいなものを感じたけど、大丈夫だったかな?
月城さんの家を出ると、夜風が頬を撫でた。少し冷たいのに、胸の奥はあたたかい。彼女の涙も、笑顔も、どれも本物だった。……俺、やっぱり来て良かった。月城さんの気持ちにちゃんと応える。――そう決意して、家への道を歩き出した。
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