21話 私の父が詰め寄ってくる
放課後、私はため息混じりに家路を急いでいた。
今日、神崎君がお弁当を「美味しい」と言って食べてくれた。それだけで心が満たされるはずなのに、どうしてか胸の奥に小さな不安が残っている。
――もしかして、神崎君のお家……家庭内暴力とか……? ご飯もまともに与えてもらえてない……?
そんな思いを抱えながら玄関の扉を開けると、リビングには母が少し興奮した様子で私の帰りを待っていた。
「おかえりなさい、麗ちゃん。さぁ、ここに座って。お弁当どうだった? 神崎君、食べてくれたの?」
私は手に持っていたランチバッグをダイニングテーブルに置き、リビングのソファに促されるように座った。
「うん。『めちゃくちゃ美味しいです』って全部食べてくれたよ」
「まぁ! 良かったわね。あんな大きなお弁当全部食べるなんて、やっぱり男の子ね」
「でもね……」
私が不安そうな声を上げると、母は真剣な眼差しで身を寄せてくれた。
「で、でも!?」
「神崎君、もしかしたら、お父さんから虐待されてるかもしれない」
「えぇっ!? なんだか物騒なお話ね。どうしてそう思ったの?」
「神崎君、泣いたの……。誰かが作ってくれたお弁当食べたの、初めてなんだって……その……神崎君のお母さん……亡くなってるって言ってた」
私は言葉に詰まって、膝の上に置いた拳をぎゅっと握った。母がその拳をほぐすようにをそっと握ってくれる。
「遠足や運動会でもお弁当なくて……お父さんはフライパンを曲げるって……」
「フライパンを曲げる!? な、なんて過酷な家庭環境なの!?」
「お母さん、私どうしたらいいかな……神崎君が辛い目にあっているなら、私、彼の力になりたい」
「あぁ、麗ちゃん。いい! いいわ! その健気さこそ少女漫画のヒロインよ。神崎君の力になってあげなさい。お母さん応援するから!」
「うん。私、頑張る! そ、それでね。神崎君、ご飯食べれてないかもしれないから、明日からもお弁当持っていきたいの! ……いいかな?」
お弁当を作るというのはお金だってかかる。今日のお弁当を作るお金だって、お父さんとお母さんが働いて稼いだお金だ。私が勝手に使って良いものではない。
もしダメなら、アルバイトをしよう。それぐらい私の決心は固かった。
母はリビングテーブルの上に置いてあって紅茶を一口飲むと、またニコッと少女のように微笑んでくれた。
「もちろんよ。麗ちゃんのことだからきっとそうなると思って、食材は揃えておいたわ。お金のことは気にしなくて大丈夫。神崎君を支えてあげなさい」
「お母さん……ありがとう」
母は本当に優しい。全部、私のわがままなのにいつでも応援してくれるし、私の味方になってくれる。少女漫画のヒロインなんて大げさだけど、神崎君を守ってあげたい気持ちは本物だった。
そのとき――ガチャッと玄関が開く音がした。廊下からは疲れ切っているのか、ひどくゆっくりな足音が聞こえていた。
「ただいま〜……やっと帰ってこれた……」
低い声とともに、父――月城和史がリビングに現れた。
着崩したスーツの上着を片手に、ゆるんだネクタイを無造作に引き下げる。肩幅が広くて、背も神崎君くらいある。
仕事帰りのせいか、少し髪が乱れていて、額のあたりにはうっすら汗が光っていた。父は出版社の編集部で働いていて、締め切り前はいつもこんな感じになる。
白シャツの袖をまくった腕には赤ペンのインクがついている。胸ポケットにも何本もペンが差さっていて、いかにも編集者という装いだ。
リビングに入るなり、ソファにどかっと腰を下ろし、ため息をついた。
「新人の原稿が五回目のリテイクだよ……締め切りが明日なのに、まだ“導入が弱い”って言われちゃってさ。編集長ってつらいよなぁ……」
無精ヒゲがほんのり浮かんだ口元で、私を見つけるなりふっと笑った。
「おっ、麗ちゃん! 今日も世界一かわいいな」
「お父さん、おかえりなさい。今日は帰ってこれたんだね」
「だってもう五日だよ!? 編集部で缶詰にされて……いい加減キレたよ。家族に会わせろって」
「和史さん、おかえりなさい。お仕事、おつかれさまです」
母はそう言っていつの間にか準備した温かいコーヒーを差し出した。
「志保ぉ〜会いたかったよ〜。今日も世界一かわいいね」
父には世界一のかわいさを持つ女性が二人いるようだ。私のときと全く同じセリフを母にも言った。
「いやーやっぱり我が家は最高だな! こんなハーレムみたいな生活しちゃって、俺は世界一の幸せ者だよ」
「がっはっはっは」と勝ち誇るように笑う父を見ながら、私は神崎君が食べたお弁当箱を片付けていないことに気がついた。
まずい。見られる前に片付けないと……。
私は父に笑顔を向けながら後ろ向きに歩き、弁当箱へ近づく。そして、手に持った瞬間――。
「なぁ、麗ちゃん、その弁当箱なに?」
父がさっきまでの朗らかな様子とは打って変わって、鋭い視線を向けてきた。のそっと立ち上がり、私に近づいてくる……。
ど、どどどどうしよう!? なんとか……誤魔化して……。
「あ、あの……友達とお弁当作りあって食べようってなったの……なんか大きくなっちゃって……わ、私のお弁当人気なんだ!」
父は納得したようにうなずく。
「なんだそうかー! 麗ちゃんは料理も完璧だもんねー」
危なかった。神崎君に作った、なんて言ったら、彼の命が危険にさらされるだろう。
でも、父の追求はそれだけで終わらなかった。
「でも麗ちゃん、ひとつ教えて? その友達って男じゃないよね? もし男だったら、お父さんやっちゃうかもしれないなぁー」
父さんの目は血走っていて、まるで猟奇殺人犯みたいにヘラヘラしていた。
――えっ、ちょっ……!
「和史さん、だめよ。麗ちゃんだって年頃なんだからそんなに詰め寄ったら嫌われるわよ?」
母が庇ってくれた。あ、ありがとう、お母さん!
「なにぃ!? ご、ごめん麗ちゃん! お父さんのこと嫌わないで! 新しいラノベ買ってあげるから」
「き、嫌ってないよ。ラノベもこの前買ってくれたから大丈夫!」
私は小さく胸をなでおろす。やっぱり、父に誤解されるとすごい迫力だ……。
でも――。
「神崎君は、私が守る」
その夜、布団に入ってからも、彼の泣き顔が頭から離れなかった。
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