20話 隣の美少女の勘違い!?
月城さんから弁当をもらう当日。授業中の教室で、俺の頭の中はただひとつ――「飯、飯、飯」だった。
昨日の一五〇キロ走で全身が鉛のように重い。しかも一昨日からまともに食べていないせいで、正直、餓死寸前だ。身体に栄養がまるで足りてなくて、頭も上手く回らない。
そんな俺の隣では、月城さんがとても小さな声でなにかをぶつぶつとつぶやいていた。
「お昼……行こ……お弁当、作った……」
その目がふいにこちらを向く。パチンと見開いた瞳でキッと睨んでは、すぐにノートへ視線を戻す。その動きを何度も繰り返していた。
……なんだあれ? 新しいタイプの睨み方だな。
落ち着かない様子の月城さんが気にはなるが、今の俺には空腹と睡魔という二大強敵が立ちはだかっている。昼休みまで持ってくれ、俺の身体――。
そして、ついにその瞬間が訪れた。チャイムが鳴り、待ちに待ったお昼休み。
「か、神崎君、お昼食べに行こ」
月城さんが信じられない速度で俺の机の前に現れた。そんな俊敏さ、父さん以外で初めて見た。
「こ、ここで食べないの?」
月城さんは少し目を伏せ、小声で答えた。
「だって……恥ずかしいもん」
……やはり月城さんにとって、教室で俺と弁当を広げるのは恥ずかしいことなのか。
ちょっと凹むが、背に腹はかえられない。
「着いてきて。いいところ、見つけたの」
「あぁ、うん」
どこへでも参ります。月城さんの弁当のためなら――。
月城さんに連れて来られたのは、体育倉庫の裏だった。
灰色のコンクリート壁が陽を受けて白く光り、春の名残を含んだ熱を静かに返している。校舎の喧騒は遠く、ここだけ切り離されたように静かだった。
確かにここなら人目につかない。体育館と校庭の間にあるこの倉庫は、授業がない限り誰も近寄らない場所だ。
「ここなら……誰にも見られない、よね」
そう言って、月城さんはランチバッグから淡いベージュのレジャーシートを取り出した。彼女は丁寧に端を押さえながら、几帳面に広げていく。
さっきまで無機質だった倉庫の裏が、その一枚を敷くだけで、まるで二人きりのピクニック会場のようになる。
ただ、思っていたよりもシートは小さい。二人並んで座れば、肩が触れ合いそうな距離だ。
ま、まさか……この上に二人で……?
月城さんはそんな俺の心を知ってか知らずか、少しだけ頬を染めながら、ズシリとお弁当箱を置いた。
お弁当は――想像していたより、ずっと大きかった。
片手では持ちきれないほどの二段弁当。最初見たときは救急箱かと思った。
「え、これ……全部俺の?」
「う、うん……神崎君、たくさん食べるかなって……」
月城さんは指先をいじりながら、小さく笑う。その仕草が妙に可愛くて、腹の虫が見事なタイミングで鳴いた。
空腹でよかった。今の俺なら、これくらい問題なく食べ切れる。
「ありがとう。いただきます」
月城さんの隣に腰を下ろし、倉庫の壁にもたれるようにしてお弁当の蓋を開けた。
「お口に合うといいんだけど……」
開けた瞬間、ふわりと香ばしい香りが立ちのぼる。黄色い卵焼きに、照りのあるハンバーグ。ほんのりピンクのポテトサラダに、レタスの緑が彩りを添えている。どれも手作りなのがひと目でわかる――まるで春の光を閉じ込めた宝石みたいに、きらきらと輝いて見えた。
えっ! これ、食べていいのか? 美術館の展示品じゃないのか? 食べたら捕まるんじゃ……。
だが月城さんが目尻を上げ、じっと俺を睨んでいる。……早く食えってことだな。もったいないけど、いただきます!
一口、卵焼きを食べた。
冷めているのに、ふわっふわで優しい甘さ。
卵に含まれるたんぱく質が、筋肉たちを修復していくのがわかる――そんな気がした。
最高に美味い。箸が止まらない。ハンバーグ、ポテサラ、どれも白米が進み、お弁当がみるみる減っていく。
「ど、どうかな?」
月城さんが心配そうに覗き込む。
「めしゃくひゃうまゃいでひゅ」(めちゃくちゃ美味いです)
「ほんと!? よかった……」
安堵の息をついた月城さんは、自分用の小さなお弁当箱をそっと広げた。
――このお弁当には、彼女の想いが詰まっている。助けたお礼だと言っていたけれど、その感謝以上の気持ちが、ひと口ごとに伝わってくる。誰かのために作られた料理って、こんなにも温かいんだな。
気づけば、箸を持ったまま涙が頬を伝っていた。
「神崎君、どうしたの!? ……やっぱり味、変だった?」
月城さんの声が少し震えている。
「……ううん、違うんだ。美味しすぎて……」
「え……?」
「俺、誰かの手作り弁当って、食べるの初めてでさ」
少し笑いながら、月城さんの目を見て言った。
「母さん、俺が小さいときに亡くなっててさ」
月城さんが箸を止め、小さく息をのむ。
「小学校の遠足とか運動会でも、父さんが作ってくれた特大おにぎりしかなくて……。父さんも頑張ってくれてたけど、料理が全然ダメでさ。フライパン持つと……曲がるんだ」
俺の何気ない一言に、月城さんの目がさらに大きく見開かれる。
「曲がる……!? まさか家庭内暴力!? 育児放棄!?」
「まあ、でも父さんなりに――」
「神崎君……ごめんね」
「え?」
「おうちがそんなに大変なんて、知らなかったの……」
彼女はなにかを心に決めたように、ジッと俺を見つめていた。
「これから、毎日お弁当作るね」
「え、えぇっ!? なんで!? 作るの大変でしょ!?」
「大丈夫だよ。神崎君にちゃんとご飯食べさせてあげる。明日からも一緒に食べよ!」
月城さんの決意に満ちた表情と、手の中の弁当を交互に見つめて――その提案があまりに魅力的で、俺はただ一言、こう返すしかなかった。
「……うん。よろしくお願いします」
一体、なぜこうなった? もしかして、俺が痩せたのって、ご飯を食べてないって思われたのか?
「神崎君! いっぱい食べてね!」
俺の疑問は晴れないが、月城さんの笑顔が眩しくて、特大弁当を残さず食べた。
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