プロローグ
放課後の図書室――。夕暮れの淡い光が窓から差し込み本棚や机をオレンジ色に染めていた。
「神崎君、好きです。付き合って下さい」
最初、その言葉を言われたときはなにかの冗談だと思った。僕みたいなデブで友達もいないようなやつに告白なんて、あるはずがない――そう思い込んでいたから。
でも、震える彼女の全身から、必死に勇気を振り絞っているのが伝わってくる。どう見ても冗談じゃない。
彼女自身の全てをかけた真剣な言葉に胸が熱くなり、一瞬だけ未来を夢見てしまう。
でも、僕は首を横に振った。
「ごめん。月城さんとは付き合えない」
「そ、そっか……」
涙でにじむ彼女の横顔が、視界から遠ざかっていく。
図書室の扉が閉まる音がやけに大きく響き、僕はただ――その背中を見送ることしかできなかった。
「月城さん……僕も、君が――」
――――――――――
ここ青葉高校の教室では、入学式から二週間が過ぎ、生徒たちもようやく新しい環境に慣れ始めてきた。
最初はどこかぎこちなかった会話も、今では笑い声が飛び交い、教室のあちこちで小さなグループができている。まさに「最初の友達づくり期間」といった雰囲気だ。
隣の席に目をやると、そこに座る月城麗に目が吸い寄せられる。
髪は背中の中ほどまで伸びた黒髪で、朝日の光を受けると柔らかく艶めき、風に揺れるたびにさらりと光を帯びる。
整った顔立ちは、見るだけで胸がざわつく。黒くぱっちりした瞳に見つめられると、思わずドキドキして、柔らかそうな唇に目が吸い寄せられる。
そして何より、その抜群のプロポーションだ。華奢な肩にすっと伸びた手足、絶妙な曲線のバランス――教室の中で自然と視線を集め、男子は見惚れ、女子は羨ましそうに小さくため息をつく。隣に座っているだけで、こんなにも周囲がざわめく存在なんだと、改めて思わずにはいられなかった。
思い出す。僕――神崎翼は一年前、彼女に告白された。
当時、僕は中学三年生で、メチャクチャ太っていた。コミュ障で、人と会話すると緊張して変な汗がでた。オタクの僕に友人なんて呼べる人は存在せず、クラスでは『汗ダルマ』と呼ばれていた。
そんなある日、図書室で一人、大好きなラノベに没頭していたら、「その本、面白いよね」と声を掛けてくれたのが……月城さんだった。
彼女は今のような清楚な雰囲気ではなく、眼鏡をかけておどおどしていた地味なオタク少女だった。でも、笑った顔が可愛くて、一緒にいるとなんだか心地よかった。
同じ趣味を持っていた僕たちはすぐに仲良くなった。二人で好きな作品やキャラクターの話を延々と語り合う時間は、僕にとって唯一の居場所――。
でも、僕は――自分に自信がなかった。こんな『汗ダルマ』の自分と一緒にいたら、月城さんが馬鹿にされる。それだけは耐えられなかった。
多分、告白されるのは人生において、これっきりだろう。それでも、彼女のことを想うと、自分から身を引くしかなかった。
それからというもの、僕たちは気まずくて、以前のように話すこともなくなった。あの頃の自分を思い返すと、心の奥に小さな悔しさと恥ずかしさが残る。
こんな自分が嫌だった……。なぜ僕はこんなにも卑屈なんだろう。
変わりたい――彼女に「僕も好きだ」と伝えたかった。
だから、僕――いや、俺は自分を変える決心をした。まずは見た目。ボサボサの長い髪を切り、頼りなく見える猫背を直し、口調も変えた。
食事制限に、身体を鍛え、変な精神鍛錬までした。思い出すだけでゾッとする。
俺は、まさに地獄のような日々を過ごしてきた。父さんの手助けもあって、汗ダルマと呼ばれたこの身体は腹筋が割れ、身長も急激に伸びて、スラリとした体形へと変貌した。見た目だけなら、完全にイケメン陽キャだ。
中学の卒業式を終え、月城さんにあの時言えなかった想いを伝えようと彼女のいる教室に向かった。教室の人だかりの中に立つ彼女を見つけた瞬間、息が止まった。そこにいたのは、俺の知っている月城麗じゃなかった。
美しく艶やかな黒髪、華やかな雰囲気。笑顔がまぶしくて、光を受けた横顔は恋愛映画のヒロインみたいに整っていた。男子たちが声を上げながら彼女の周りを囲むのも、当たり前だと思えた。
――可愛すぎる。
胸がぎゅっと縮む。たったそれだけで、準備してきた言葉が全部吹き飛んでしまった。
「月城さん、好きです」って伝えるはずだったのに、足が動かない。声が出ない。
俺は教室の扉に隠れて、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
彼女は覚えていないのかもしれない。むしろ、俺の事なんか忘れているのかもしれない。いくら見た目がカッコよくなっても、俺は……なにも変わってなかった……。
さようなら俺の初恋――。
――――――――――――
――そして現在。
一人であんな盛大に別れを告げたのに――。よりにもよって、彼女と同じ高校、同じクラスになってしまうとは……。
自分を振った男が隣の席にいるなんて、月城さんはどう思ってるんだろう。
……やっぱり、嫌だよな。
それでも、もう二度とあの日みたいに後悔はしたくない。今度こそ、彼女にちゃんと伝えるんだ。
――この気持ちを。
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