庶民の作法“スタンプ”というやつに困惑してますの!
ある日の放課後。いつものように、教室で着替えを終えたリリアーナに、ほのかが唐突に問いかけた。
「ねーりりあちゃん、LIMUやってる?」
「……ライム? なんですのその怪しい術は?」
「はい出たーっ! 令嬢、現代文化わかんなすぎる説〜!!」
頭を抱えるほのかの隣で、リリアーナは不安げに首を傾げる。
「それは……紙と墨の新しい名称? それとも結婚を申し込む儀式の前段階……?」
「違う違う! スマホで使うメッセアプリ!」
「すまほ……?」
「……そこからか!」
ほのかは鞄からスマートフォンを取り出すと、丁寧に説明を始めた。
「これがスマホ。りりあちゃんも持ってるでしょ? 連絡したり写真撮ったり、ゲームとかもできる万能ツール!」
「これは……まるで、王国の鏡型魔道具……! しかし、魔力の気配はなく、にもかかわらず光を放ち、音を発するとは……!?」
「はいはい、魔道具魔道具。じゃあまずは画面つけてみよ?」
リリアーナはおそるおそる、自分のスマホを取り出す。家族に“退院祝い”として渡されたものだ。
「この……黒き板……なぜ常に沈黙しているのですの? まるで裏切り者ですわ」
「ここ長押し! ここ!」
画面が光った瞬間――
「っ!? わたくしの魔力が吸われていきますの!?!?!?」
「吸われてません!!!」
ひとしきり騒ぎつつ、どうにかホーム画面まで到達。
「LIMUってのはここ。ここタップするとトーク画面が開くよ」
「たっぷ……? ああ、つまり押し込みですのね」
タップひとつで画面が切り替わる。
するとそこには、“ほのか♡”という名前がつけられたほのかのプロフィールと、空白のトーク画面が広がっていた。
「え、ええと……これが……交信の部屋?」
「うん、これで文字送ったりスタンプ送ったりするの!」
「すたんぷ……?」
「こうやって、えい!」
ほのかがスタンプボタンを押すと、画面に大きなウサギのキャラクターが「ありがとぉ〜♡」と叫びながら登場した。
「っっっっっっっ!!!!!????」
リリアーナ、スマホを落とす。
「な、なんですの今の!?!? しゃ、喋らぬのにうるさいのですわ!? この者は画面の中に住んでいるの!? 封印されし精霊なの!?!?」
「ちがうちがうちがう!!! ただの画像!!!」
ほのかは笑いながら、再びスマホを手渡す。
「こういうの、気持ちを伝えるときとか、ノリで送るやつ! 便利だし可愛いじゃん?」
「まるで魔導師の使い魔が喋っているようですわ……」
その時。
「てかさ、りりあちゃんもスタンプ作ったら? 絶対バズるって」
「えっ……?」
「だって、“よろしくて?”とか“お覚悟を!”とか、使いたいもん! “推してもよくってよ!”とか、もうそのまんまスタンプじゃん!」
「わたくしが……この、“画面の中の精霊”に、なる……?」
「なるっていうか、“描く”って感じ! ウチ、スタンプ作ったことあるし手伝うよ!」
(わたくしが……“庶民魔術の象徴”に……なる……!?)
リリアーナは目を見開いた。
貴族社会では考えられない“気軽な自己表現”。
だがこの世界では、それが“親しみ”として通用している。
「……面白そうですわね」
「おっ、乗ってきた?」
「ええ。“すたんぷ”という名の魔術、わたくしが使いこなしてみせますわ!」
かくして、“姫スタンプ”誕生計画が動き始めた。
令嬢、スタンプ界へ参入――その一歩は、軽やかに、そして確実に新たな波紋を呼ぼうとしていた。
***
数日後、リリアーナは――“自身がLIMUスタンプになった”という事実を、まったく知らぬまま朝を迎えていた。
「……ほのか、今日はずいぶん機嫌がよろしいですわね?」
「うん! めっちゃバズってるから!」
「……虫ですの?」
「違う! スタンプだよスタンプ! りりあスタンプ!」
リリアーナはそこでようやく思い出した。
“スタンプを作る”という話はした。だが、それがもうリリースされているなど聞いていない。
「……ちょっとお待ちなさい。何がどうなってますの?」
「えっとね、これ!」
ほのかがスマホを見せてくる。
そこには――可愛らしくデフォルメされた「姫りりあ」のイラストが並んでいた。
「“よろしくて?”」「“お覚悟を!”」「“推してもよくってよ!”」「“ですがわたくしは反対ですわ!”」
全部、リリアーナの常套句。
表情豊かなミニキャラたちが、画面の中で跳ね回っている。
「……これ……わたくし……ですの?」
「うん! うちが描いた! めっちゃ評判いいよー! 女子のLIMUグループとかで使われまくってる!」
「う、うそ……!?」
「クラスの男子にも流行ってるし、“姫スタンプだけで会話してみた”とかやってる人もいたよ」
「会話を!? わたくしの言葉だけで会話を完結させているのですの!?!?」
「そう! “よろしくて?”って聞いて、“お覚悟を!”って返す! 意味はないけどめっちゃ楽しい!!」
「意味がない!?!?!?!?」
思わず叫んでしまい、周囲の生徒たちが振り返る。
「りりあ姫今日も絶好調!」
「うちのLIMU、姫スタンプで埋まってる〜!」
「“推してもよくってよ!”最高すぎて通知爆発した」
リリアーナはあまりの騒がしさに、ひとつだけ悟った。
(……これ……わたくし、“文化”になりかけてますの!?)
動揺が収まらぬまま、授業が終わり、休み時間。
ふと、スマホを開くと、LIMUに未読の通知が。
「……これは、“交信要求”……ですわよね?」
開いてみると、そこには見慣れぬ名前――
《蓮》
「え……まさか……」
その名前を見た瞬間、リリアーナの心臓が一段と大きく跳ねた。
(あの朝倉蓮という男……わたくしのLIMUに、連絡を!? なぜ!? これは試練!?)
慌てて開く。
だが、そこにはただひとつのスタンプが。
にやりと笑う禿げ頭の顔。
「……………………」
(なにこれ!? なにこの顔!! どういう意味ですの!?!?)
まるで笑っているようで、挑発しているようで、照れているようで――解釈不能。
「……なんですの、この無言の圧力スタンプ……!」
悩みに悩み、リリアーナはスマホを握りしめ、ついに“反撃”を決意する。
姫スタンプ第1弾:“お覚悟を!”
ポチッ。
送信された。
「……やってしまいましたわ……!」
顔を覆い、机に突っ伏すリリアーナ。
(な、なぜわたくしはあんな攻撃的なスタンプを……! もっとこう、礼儀正しい“よろしくて?”があったではありませんの!)
しばらくして返ってきたのは――
『しゃべんなくてもおもろいな、お前』
文字だけの返信。
リリアーナは、ふるふると震えた。
(……っ!! な、なにそれ!? それは賛辞!? 皮肉!? どっち!? 評価がわからないと動けませんの!!!)
結果――リリアーナ、通知を切って机にスマホを叩き伏せた。
「この文明、わたくしには早すぎますわ……」
周囲ではまた「りりあ姫、スマホに怒ってるらしい」「わかる、通知うるさいもんね」と勝手に共感が広がっていた。
そんなことも知らずに、彼女はただひとり、通信の海に溺れていた。
私はこの作品で本気で書籍化を目指しています!
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