わたくし、バズってしまいましたの!? これは罠……陰謀ですわ!
翌朝、教室に入ったリリアーナは、まず“黒板”を見て目を疑った。
そこには――大きくチョークでこう書かれていた。
『りりあ姫♡今日も麗しき! 推しですわ!』
「…………は?」
呆然。
教室内はざわざわと盛り上がっている。
「うわ、マジで書いてあるじゃん」
「これ描いたの誰ー? めっちゃ上手いんだけど、ハートとか完全に姫仕様」
「りりあ姫って呼び方、もう定着しそう」
「てか“ですわ”語尾、うつった人何人かいね?」
リリアーナはゆっくりと後ずさった。
(な、なにこれ……!? これは罠……陰謀……!?)
王国の宮廷では、こういう噂が流れ始めたら“社交戦争”の前触れだった。
褒め言葉は時に毒にもなる。
(わたくしを持ち上げて……次は、貶めるつもりなのでは!?)
その不穏な想像を払うように、ほのかが後ろから現れた。
「おはーりりあちゃん!」
「まさか、あなたが黒幕!?」
「ええっ!? 違うって! なんか放課後の演劇部の子がノリで書いたらしいよ? “推せる!”って!」
「……推せるとは、持ち上げてから地面に叩きつけるという意味ではありませんの?」
「違う違う! “推す”は好きって意味、アイドル的なやつ!」
「アイドル……っ! つまり、わたくしを神輿のように担ぎ上げているのですわね!? 次は火の海ですのね!? よく分かりますのよそういう展開!!」
「まって、落ち着いて!!! 令嬢ストップ!!」
リリアーナの妄想暴走モードを止めるべく、ほのかが両肩をつかんでぐらぐら揺らす。
その様子を、男子たちがにこにこしながら見ていた。
「やっぱ姫、今日もキレてるわ」
「怒ってるのに気品あるとか、どうなってんの……」
「ってか、見た? 昨日カフェでの写真、バズってたよ?」
気になるワードを聞きつけたリリアーヌの興味が、男子の話に夢中になる。
「うん? バズる……? 蜂に刺されてますの?」
「SNS!! チュイッターとか、ランスタとか!」
「ら、らんすた……? ちゅいった……? 新種の呪文か何かですの!?」
ほのかがスマホを取り出して、画面を見せてきた。
そこには、昨日のカフェでの写真。
パフェを見て瞳を輝かせるリリアーナの写真が、200件以上の“いいね”と共に拡散されていた。
「『スイーツと貴族。完全に姫』『語彙が貴族すぎて推せる』『異世界から来てそう』って書かれてるよ」
「うわ、うわ、うわぁあああっ……! な、なんですのこの記録魔法っ!? わたくしの醜態がッ!?」
「いや、褒められてるってば!」
リリアーナは頭を抱える。
(なぜこんなにも……“見られている”のですの!?)
異世界での自分は、注目を浴びることこそ“責任”と“監視”だった。
でも、ここではそれが――少しだけ、温かい。
……と思いきや。
「お姫様のファンクラブ作ろうぜ!」
誰かが叫んだ。
「名前何にする!? “リリアーナ親衛隊”とか?」
「“麗しの会”が良くね?」
「“姫の間”はどう?」
リリアーナはぶるっと震えた。
「ま、まさか……ついに……!?」
ほのかがため息をつく。
「違うよ!? 決して“粛清の準備”とかじゃないからね!? ただのノリだよ!?」
「ノリ……とは? 踊るのですの!?」
「違う!!!」
そのやりとりに、教室全体が笑いに包まれた。
だがその中で、リリアーナは思う。
(……ほんとうに、わたくしが、“慕われて”いるのかしら……)
異世界ではなかった、真正面からの好意の嵐。
それが、なんだかくすぐったくて、戸惑って――少しだけ、嬉しい。
その思いが、ゆっくりと胸の奥に沈んでいった。
***
放課後。夕日が傾き始め、教室の隅に長い影を落とす。
リリアーナは、誰もいなくなった屋上の隅に腰掛けていた。
「……どうして、わたくし……こんなにも騒がれているのかしら」
それは現代人離れした美しさと、それを象徴するかのような話し方なのだが、本人にそれを知る余地はない。
彼女はスカートの裾を整えながら、呟く。
SNS? ファンクラブ? “推し”?
そのどれもが新しい文化すぎて、理解が追いつかない。
(わたくしは、ただ……現代で、静かに生きようと思っていただけなのに)
注目されるたびに、心がざわつく。
異世界では、それは“断罪”や“敵意”に直結していたから。
だが、ここでは――それが“好意”なのかもしれないということも、薄々わかってきてしまった。
「でも……慣れませんわ。信じて、裏切られるのは……もう、うんざりですの」
その声が、風に溶けていく。
「……なら、無理すんなよ」
突然、背後から声がした。
「っ!?」
振り返ると、そこにいたのは――朝倉 蓮。
制服の上着を肩にひっかけ、ポケットに手を突っ込んで、壁にもたれていた。
「な、ななな、なぜあなたがここに……っ!?」
「お前、屋上好きそうな顔してたから。適当に探したら当たった」
「な、なんですのそれ!? わたくしの趣味を勝手に決めつけないでくださいます!?」
「当たったろ?」
「……ぐぬぬ……っ」
リリアーナは悔しそうに顔をしかめる。
蓮は構わず、ふぅとため息をついた。
「……お前、変な奴だよな」
「っ、またその物言いですの!? 貴族に向かって変とはなんですの!」
「だからさ、それだよ。貴族とか、姫とか……なんか、全部“演技”してんのかと思ったけど」
リリアーナがぴたりと動きを止める。
「……違うの?」
その問いは、やさしい声だった。
でも、鋭かった。核心を刺す、まっすぐな矢のように。
「わたくしは……わたくしは、ずっとこうやって生きてきましたの」
リリアーナはゆっくりと立ち上がり、蓮の方をまっすぐ見据えた。
「お上品に、正しく、誇り高く。誰かに笑われても、妬まれても、蔑まれても、それが“リリアーナ”だから。わたくしは……演じてなど、おりませんわ!」
感情が、言葉になってこぼれ落ちる。
「……でも、最近は……ちょっとだけ、わからなくなってきましたの。自分が誰で、誰が敵で、誰が味方なのか。みんなが笑ってくれるのが……すごく、こわい」
沈黙。
屋上に風が吹く。
蓮はポケットから手を出して、軽く頭をかいた。
「……じゃあさ、無理して“全部”演じなくていいんじゃね?」
「え……?」
「お前が令嬢でいたいなら、それでいい。だけど、たまには“素”も見せりゃいいじゃん。そういうとこが、案外ウケてるっぽいし」
「す、素……?」
「今日だって、ほのかと笑ってたろ? パフェのときの顔、ガチだったじゃん」
「……見てたんですの?」
「たまたま通りがかっただけ」
顔をそむけながら言う蓮に、リリアーナはほんの少しだけ、くすりと笑った。
「……あなたって、本当に不躾で、無礼で……でも、どこか優しい方ですわね」
「悪かったな。俺は他人に媚び売れないんだよ」
「わたくしもですの」
ふたりは目を合わせ、ふっと笑い合った。
なんとも不思議な空気。
睨み合っているのに、なぜか居心地は悪くない。
(この人は、わたくしに“リリアーナ”を求めない)
(この人は――“わたくし”を、ちゃんと見てくれている)
胸が、きゅっと鳴る。
「……あなたは、わたくしのことを……本当に、見てくださっているのですの?」
問いは、思わず口から漏れたものだった。
蓮は、ほんの少しだけ目をそらして――そして、
「……さあな」
短くそう言い残し、階段の方へと背を向けて歩き出した。
残されたリリアーナは、頬に手を当てて、小さくつぶやいた。
「……今の、少しだけ――胸が、跳ねましたわ……?」
彼女の中に芽生えた小さな違和感。
それは、恋と呼ぶにはまだ早いけれど――
たしかに、何かが始まりかけていた。
そして、姫の“現代ライフ”は、またひとつ色を変えていく。
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