わたくし、初めての登校ですの!!
――朝である。
けたたましく鳴る“アラーム”という名の音声攻撃に、リリアーナはベッドの上でのたうち回っていた。
「う、うるさっ……これは拷問ですの!? 音の刃で精神を削ってくるとは、現代の魔術……恐るべし……!」
慣れない硬さのベッド、柔らかすぎる枕、ふかふかすぎる布団。
そのすべてが異世界の“質素な寝具”に慣れた彼女には贅沢すぎた。
目を擦りながら、のろのろと起き上がり、窓を開ける。
目に映るのは、まばゆい太陽と電柱、車、犬の散歩をするおばさん。
「……まだ夢の中にいる気がしてきましたわ……」
リリアーナは制服に袖を通す。
スカートはまだ恥ずかしいが、昨晩三度も着脱を練習して、どうにか「戦闘服」として納得した。
「勝負は今日からですわね……」
決意の朝。
リリアーナ=フォン=エーデルワイス改め、江戸川りりあ、現代学園に初登校――ここに開幕。
* * *
登校中。
リリアーナは立ち止まっていた。
「う、動く鉄の箱……っ!? 中に人が……っ、ひとが乗っている!?」
バス停で止まった大型バスに、彼女は驚愕の表情。
運転手と目が合い、手を振られたことにもパニックになる。
「……な、何者!? 王国の魔導技術でもここまでは……!」
そんなリリアーナを通りすがりの男子学生がじろじろ見る。
「やば……なんかすげー美人いた……めっちゃ姫っぽい……」
「脚、長……制服着てるのに舞台女優みてー……」
リリアーナはそんな周囲の反応にも気づかず、近くの自販機を発見。
「……これは、なんでしょう? ……なに? 『つめた〜い』? ここに銀貨を入れて……ボタンを押せ、と?」
試しに押してみた。
ガコン! と音がして、缶が落ちてくる。
「ひ、ひゃぁっ!? なにごとっ!? い、今わたくしが押したから!? え!? 下から何か出てきましたわ!? ……っ、これ、わたくしに!? くれるの!?」
道端でひとり、自販機に翻弄される少女。
朝の通学路、彼女の存在は徐々に注目を集めていた。
* * *
そして――ついに“学園”の門をくぐる。
レンガ調の外壁、芝生の中庭、生徒たちの賑わい。
これからリリアーヌが通うことになる学び舎、私立星ヶ丘学園である。
「なんと整った校舎……! 異世界であれば王子候補たちが学ぶ学園に匹敵しますわ……!」
すると、遠くから声がした。
「りりあちゃーん!」
駆け寄ってきたのは、金髪にピンクのメッシュを入れたギャル女子・水沢ほのか。
「えっ、まじで来た! しかもめっちゃ仕上がってんじゃん! ヤバ、マジ映えじゃん!」
「し、仕上がって……? あの、どちらさま?」
「え、同じクラスの水沢ほのか! ほら、学園に見学に来てた時案内したじゃん! 覚えてない? マジで?」
「……? 記憶にございませんが……と、とりあえずよろしくお願いいたしますわ!」
深々と貴族式のお辞儀をするリリアーナ。
それを見たクラスメイト数名が「え?」「ヤバ……」と目を丸くする。
やがてチャイムが鳴り、教室へと案内される。
クラスメイトたちの注目を一身に浴びながら、リリアーナは席に着く。
その座り方すら、背筋は完璧、手は膝に揃えられ、もはや“姫”。
「……なにあの子、超上品……モデル? 女優?」
「制服着てるのに舞踏会の招待客感あるんだけど……」
「てか、脚めっちゃ長くね?」
「目、合った……拝みたくなる……」
リリアーナは、まったく気づいていない。
現代における“姫”ポジションを、初登校初日で確立しつつあることに――。
* * *
だが、平穏(?)は続かない。
教師が来る前に、教室のドアが開いた。
「おい、どけよ。俺の席」
低い声。
クラスの空気が凍った。
そこに立っていたのは、黒髪にピアス、制服の上着を着崩した――典型的な“ちょいワル系男子”。
その男がリリアーナの隣の席に座り、ちらりと彼女を見る。
そして、ひとこと。
「……なんだこの女」
その瞬間、リリアーナは凛と顔を上げ――
「――無礼者。わたくしは、リリアーナ=フォン=エーデルワイス。この席は、お隣さんですわ。ご挨拶、よろしくて?」
現代の不良男子と、異世界から来た令嬢の、歴史的な“出会い”であった。
***
朝のホームルーム。
担任の教師が教室に入ってきた。
「おーし、着席ー……って、あれ? 江戸川さん、もう来てるのか。退院したばかりって聞いてたけど、大丈夫?」
「はい、まったくもって問題ございませんわ。肉体はともかく、精神は常に戦場にあるものですから」
「せ、戦場……? う、うん、自分の席は分かってるみたいだし、とりあえず転校生として自己紹介してもらおうかな」
教師は微妙な笑顔のまま、前に出るようにうながす。
教室中の視線が、リリアーナに集まった。
彼女は静かに立ち上がると、背筋をまっすぐに伸ばし、壇上へと歩く。
「……まさか、自己紹介などをする場面とは……こういうの、久しくしておりませんの」
「いいよーりりあちゃーん、がんばれー!」
ほのかの叫ぶ声が聞こえる。
クラスの数人が笑い、拍手する。
リリアーナはひと呼吸置いてから、前に向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「皆様、はじめまして。わたくしは――リリアーナ=フォン=エーデルワイス。……あ、いえ、江戸川りりあ、と申しますわ」
「え、どっち?」
「なんか聞きなれないミドルネーム……」
「出身、国外じゃね?」
ざわつくクラス。リリアーナは気にせず続ける。
「このたびは、転生――いえ、転入の事情により、しばしご一緒することになります。未熟者ではございますが、よろしゅうお願い申し上げますわ!」
ぺこりと完璧なお辞儀。貴族式、角度45度、完璧な優雅さ。
「りりあちゃーん、かわいすぎんだが!?」
「推せる!!」
「なにこの姫ムーブ!?」
ざわざわと盛り上がる教室。
一部の男子はすでに“姫”呼びを検討していた。
そして、リリアーナは着席。隣の朝倉蓮は彼女をチラ見して、小さく息をついた。
「……お前、本気で言ってんのか」
「何か言いました? 隣人たる者、会話は大事ですわよ?」
「……いや、なんでもない。気にすんな」
ぶっきらぼうに言いながらも、蓮はほんの少しだけ笑ったように見えた。
* * *
午前の授業。
リリアーナは、最初の英語の授業で混乱する。
「……ええと、“This is a pen”……ですの? なぜ“ペン”の所有を主張するのですの? これは誰の所有物なのかはっきりさせなければ、貴族間の誤解を――」
「そこは深く考えなくていいよ〜」
数学では、√(ルート)の記号に「魔術陣の崩し方ですの!?」と騒ぎ、体育ではジャージ姿を「監獄の囚人服ですのね……」と誤認。
だが、そのたびに笑いが起こり、クラスはにぎやかになる。
気づけば――
「ねえりりあちゃん、今日一緒にお昼食べよ!」
水沢ほのかが声をかけてきた。
「お昼? ……なるほど、昼餐の時間ですわね。もちろんご一緒いたしましょう!」
「てか、今日コンビニで新作おにぎり出てんの、買ってきたんよ〜! まじで食ってみて」
「……コン、ビニ? それは新しい騎士団の名前ですの?」
「え? 違うよ!? てか、マジでいろいろ知らんの? それ、逆にヤバくておもろいんだけど!!」
水沢ほのかの豪快な笑い。
それを見て、リリアーナは思わず――つられるように笑った。
「ふふっ……面白い方ですわね。わたくし、この“ほのか嬢”となら、仲良くなれる気がしますの」
「“嬢”!? まって、うちそんな貴族感ないってば! ほのかでいいよ!?」
ああ、こういう会話――なんて久しぶりなんだろう。
信頼も損得もない、ただ純粋に笑い合える時間。
それが、どれほど尊いものだったのか、リリアーナは今さら知った。
* * *
放課後。
帰りのHRのあと、リリアーナは鞄を抱えて立ち上がる。
「……無事に、乗り切れましたわね」
そう呟いた彼女の表情は、ほんの少しだけ――柔らかかった。
「明日も、学園に参りますのよね……。ならば――この現代という舞台、優雅に征してみせますわ!」
その宣言に、クラスの女子が「え?今なんかかっこよくない?」と反応し、
男子の一部が「姫……最高……」と崇拝を始めたとか、始めてないとか。
リリアーナ=江戸川りりあ。
“悪役令嬢”として処刑された彼女の、まったく新しい物語が――ここに幕を開けた。
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