私は私で幸せになりますので
ダイニングルームに行くと、既に両親と妹のクラリスが座っていました。
「お待たせしてしまったかしら」
謝罪をしつつ椅子につくと、夕食が運ばれて来ます。
私はオーレリー・ローム。ローム子爵家の長女で19歳。
「お姉様、今日は左手に気をつけてね」
話しかけてくる妹のクラリスは、六歳下の13歳。体が弱いので寝込むことが多いのですが、気温が高くなって過ごしやすくなる春は割と体調が良いらしいです。
可憐な容姿に今にも折れそうな儚げな体肢は、誰もが庇護欲をそそられます。私が幼かった頃は、両親がいつも私がずっと楽しみにしていた約束よりクラリスを優先する事に泣いたものでした。
でも、私もクラリスが大好きなので諦めましたが。
「もうちょっと早く言って欲しかったわ。さっき、お裁縫道具を片付けていて針を指に刺したの」
左手を振って、笑顔で答えます。
クラリスは予言姫です。
三年前、朝食の席に現れたクラリスは
「お姉様が池に落ちる夢を見ましたわ!」
と言い、その日私は池に落ちました。
「まだ荷造りが終わっていないの?」
お母様が心配そうなので
「もう終わっていますわ。裁縫はちょっと手慰みにやってましたの」
と、安心させてあげます。
私は明日この家から遠方に嫁ぐのに、荷造りが終わってなくては大変ですものね。
心配するには遅すぎるような気もちょっとしますが。母親の方が本人より娘の嫁入りの準備に熱心だというのは、我が家には当てはまらないようですわね。
今夜は、家族揃っての最後の晩餐。
「お姉様ったら、最後まで家事の練習をしてましたのね」
「ふふっ。冬までに覚えなくてはいけない事がまだまだあるのよ」
私が嫁ぐのは、王都から二週間かかる北の果ての領地。その伯爵家からの申し込みにクラリスが賛成して、伯爵家長男と私の縁談が結ばれました。
明日、教会で結婚式を挙げたらそのまま旅立つ予定です。
そこは、冬になると私の背丈くらいに雪が積もるそうです。冬は必要最低限以外は外に出ず、屋敷に籠る生活になるとか。
私と夫は、本邸の他の家族とは別に離れに数人の使用人と住む事になっているのですが、
「私に家事が出来たら、冬に使用人を家に帰らせて家族と過ごせるようにできるんじゃない?」
と思いついて、王立学園卒業から結婚までの一年間で料理や掃除洗濯、裁縫などをメイドたちに教わっていたのです。
貴族令嬢が家事の練習なんて、とクラリスやお母様が同情してくれますが、私は楽しくやってますのよ。
「これからこの家はクラリスにまかせる事になるわ。がんばってね」
「クラリスなら大丈夫だ」
お父さまが答える。
予言姫のクラリスに絶対的な信頼をしてますものね。
「クラリスがいいと言ったエメラルド鉱山の投資も大成功で、多額の配当が入った」
まあ、そんな事をされてましたの。おかげで十分な持参金を持たせていただきましたけど。
「良かった。安心して嫁げますわ」
さようなら、皆様。
翌日、結婚式を挙げる教会の花嫁控室で、ウェディングドレスを着た私は泣きじゃくるクラリスに抱きつかれていました。
お父様、お母様、微笑ましく見ていないで、ドレスが汚れてしまうので引き剥がして欲しいのですが。
「わっ私が予言したせいで、お姉様がこれから苦労をするなんて。私のせいで」
何度クラリスのせいでは無いと言っても、話を聞いてくれない。
仕方がない。本当の事を言いましょう。
「あのね、クラリスの予言が当たった事なんて一度も無いのよ」
今日は雨が降りそう、レベルを『予言』と言えるなら的中した事があると言えなくも無いけど。
あら、皆が驚いた顔をしているわ。
「……や、やだ、お姉様ったら忘れてしまったの? 三年前に池に落ちたじゃない」
「あれはわざと落ちたのよ。私に、池に行く用事があるわけ無いでしょう?」
三年前、私が池に落ちる夢を見たと嬉々として告げるクラリスにも呆れましたが、私に落ちることを期待している両親の視線に、私はこの家に見切りを付けたのでした。
その時に考えたのです。
「私は、クラリスが予言姫ならお父様たちはクラリスを家の後継者にして私を嫁に出してくれるのでは、と思ったの」
可愛いクラリスに家を継がせたいが病弱なので不安、優秀な姉も手放したくない、という両親のせいで私は先の見通しが立てられませんでした。
私と釣り合いの取れる男性は、どんどん婚約が決まって減っていくというのに。
このままでは嫁き遅れて、クラリスとその夫の補助をするオールドミスとしてこの家の片隅に置いてもらう一生になってしまう……。
そんなのは絶対に嫌でした。
私は、クラリスが予言姫であるかのように振る舞う事にしました。両親はすぐにそれを信じました。
どちらかを選ぶ時はクラリスにお伺いを立て、「クラリスの選んだ方が正解だったわ」と言う。
西に用事がある時、クラリスが「西に行くと事故が起きる」と言ったら、ぐるっと南に向かってそこから北へ行って目的地に着くようにし、「クラリスのおかげで事故に遭わずに帰れたわ」と言う。
昨日のように「左手に気をつけて」と言われたら、左手を切った、ぶつけたと報告する。私の怪我などクラリスの容態に比べたら重要では無いので、心配や手当などされる事は無い。
半信半疑だったクラリスも、自分が予言姫と信じるようになりました。
「で……でも、エメラルド鉱山は利益を上げているぞ」
「詐欺師は、最初の配当だけは大盤振る舞いするそうですわ。欲をかいた出資者が追加投資をしたくなるように」
お父様が黙ってしまった。まさか追加投資したのかしら。
「な、なぜ最初に言わなかった」
どうやら、よほど多額の追加投資をしましたのね。
「そもそも、私は何も聞かれてませんわ。それに、もし私が反対してもクラリスが賛成すれば決まりでしょう?」
皆が黙り込んでしまったわ。おめでたい日というのに。
「だ、だから、フランツとの婚約も私の希望なの。クラリスは覚えていない? 『私は暖かい南にお嫁に行きたいわ』って言った事を。きっとそう言えばクラリスは南に行かせないと思ってたの。案の定、その後フランツの家から申し込みが来たら嬉々として賛成してくれて嬉しかったわ」
……あ、あら、和ませるつもりだったのにさらに固まってしまったわ。
ああ、クラリスが私に不利になる予言をしていた事に気付いてなかったのね。
例えば、私たちに赤い花と青い花のどちらかを渡さないといけない時、私が「赤い花がいい」と言ったらクラリスは「お姉様に青い花を」と予言するのです。
無意識で、悪意が無い行為なのはわかっているので、私も気にしていなかったのですよ。まだ子供ですし、クラリスと違って健康で自由に出歩ける姉を妬ましいと思うのも自然な事ですから。嫌がらせという程ですら無い可愛い行為、と思ってました。
ただ、クラリスが家の後継ぎとなっても、私が近くに嫁げばクラリスの尻拭いに何かと呼び戻されるに違いない、という悩みが残っていました。
そのためには、後妻でも妾でもいいから出来るだけ遠くに嫁ぎたい……と思っているのですが、そんな都合のいい申し込みなど来ません。
こればかりは自分にどうすることもできないと半分諦めて王立学園の二年生になった時、入学してきたフランツと委員会を通じて親しくなりました。
「僕の家の領地は国の北の端なんですよ。だから、結婚相手は身内や隣の領の人が多いんです。さすがに血が濃くなり過ぎたからお前は王都で結婚相手を探して来いって言われて来たんですけど、たいてい王立学園に入る前に婚約してるんですよね。フリーの女性を紹介してもらおうにも『そんな遠くに嫁ぎたい女性に心当たりは無い』って言われるし」
世間話のついでに語られた内容に驚きました。
フランツは、年上の私に婚約者がいないとは思って無かったのでしょう。
「わ、私では駄目かしら!」
と言ったら目を丸くしていました。あきれられている、と思いましたがこの幸運を逃したくない私は必死でした。
「私は年上で、特に美しいわけで無いし、女性からこんな事を言うなんてはしたないとは思うけど、あなたと北の領地に行きたいと思ってるの。きっと、あなたの役に立てると思うわ。どうかしら」
なかなか返事が来ないので、やはり駄目かと彼の顔を見上げると
「やっば……超可愛い。真面目優等生キャラの先輩が逆プロポーズなんて、可愛いが過ぎる……」
と、赤くなってます。
可愛い……?
私が……?
家では「可愛い」はクラリスのための言葉です。
どうしよう、私に「可愛い」なんて言ってくれる人を好きにならないわけが無い。
フランツは急いで家に手紙を出し、了承の返事が届くと同時に王都の親戚を父親の代理人として婚約を申し込み、私はクラリスに「南にお嫁に行きたい」と言っておいたので家族に賛成されて婚約しました。
そして、一歳年下のフランツが先日王立学園を卒業したので私たちは今日結婚するのです。
微妙な空気になった控室の外に賑やかなざわめきが聞こえ、フランツのご両親と彼より二歳下の弟と三歳下の妹が訪れました。
「まあ、とっても可愛いわオーレリー!」
「とても綺麗ですオーレリーお姉様!」
挨拶と共に皆に取り囲まれます。
フランツの家族も、フランツのように家では私には掛けられる事の無い言葉を惜しみなく掛けてくれる人たちです。
フランツの家には、王立学園の三年生の夏の長期休暇の時に挨拶に訪問させてもらいました。
王都から遠く離れた所に嫁いでくれる嫁をよくフランツが見つけた! と大歓迎でした。
私とフランツが結婚後に住む事になる「離れ」は、私の「離れ」のイメージとはかけ離れた大きさの邸宅でした。先々代が隠居するために建てたそうです。
「王都と違ってここは土地がいくらでもあるから」
と言われましたが、そういうものでしょうか?
市場では、王都では襟や袖にちょっと使うだけで大金がふっ飛ぶ毛皮が無造作に売られていて驚きました。
「ここじゃあ貴重じゃないんだよ。毛皮が欲しかったら自分で狩るからね」
私の婚約者はワイルドでした。
だから、家族で夕食をいただいていた時に彼の妹が
「私も王都に行きたいわ。素敵な人にめぐり逢いたい!」
と言った事に
「フランツを見慣れていたら、王都の男性は物足りないと思いますわ」
と、答えてしまったのです。
「わあ……、私、おのろけって初めて聞きましたわ」
赤くなった彼女に、私がいつのろけたの!?、と必死に頭を巡らせて、気付きました。
王都の男性は軽佻浮薄な人が多いので、毛皮が欲しかったら自分で狩るようなフランツを見慣れてたら物足りないのでは?、というつもりで言ったのに、「王都にはフランツ以上の男性はいませんわ」って言ったみたいになってる!
フランツも赤くなって、控えてる使用人たちにも温かい目で見られて、居たたまれなくなって
「今のは無し!」
と叫んでしまい、部屋は大爆笑に包まれました。
でも、それからフランツのご両親の雰囲気が柔らかくなった事に気付きました。
きっと、私の事を調べて、次女を「予言姫」と盲信している子爵家の長女と知って、どんな娘が息子を誑かしたんだと心配してたのでしょう。
いいご両親ですね……。
私がご両親に好意を持っている事は相手にも伝わり、私とフランツの家族はとても仲良くなれました。
「兄さんたら、オーレリー姉様が『自分と二人だけで冬を過ごすために家事を習っている』って自慢して大変なんだよ」
「やだ! フランツったら皆に話したの?」
「お兄様は嬉しいんですわ」
「もう……」
家事を習い始めたのは、確かに最初は使用人たちを家族と冬を過ごさせるためでした。でも、「使用人がいないという事は、二人っきり?」と気づいてますます気合が入りました。メイドたちもそれに気付いて、張り切って私を指導してくれたのでした。
二人っきりだなんて、そんなままごとのような生活が出来るなんて、自分が貴族だと自覚した時から諦めていた事が出来るだなんて。
だからフランツが「帰省してオーレリーの毛皮を作るために狩りをして来た」と言った時、私も実は……と話してしまったのです。
「家事を習ったと言っても、まだヒヨコですわ。きっと失敗して『助けてお義母様~!』と雪を掻き分けながら本邸に駆け込む事になりますわよ」
「オーレリーなら大歓迎よ!」
笑いが起こる。
「ローム家の皆さん」
フランツのお父さまが口を開きました。
「素晴らしいお嬢さまを私共の息子に託してくださり、感謝いたします」
「い、いえ、こちらこそ!」
お父様は、寒い田舎に嫁いで苦労すると思ってた娘が、幸せそうに嫁ぎ先の家族と和気あいあいとしてるのが理解出来ないようです。
私の家族が戸惑っている間に、教会の案内の人が式の時間だと迎えに来ました。
皆が式場に入り、私とお父様だけが閉じられた扉の前で扉が開くのを待っています。
「オーレリーは、私たちを恨んでいるのか……?」
あまりに見当違いな言葉に驚きました。
「恨みなんてありませんわ。私は、私を大切にしてくれる家族と、私を一番に愛してくれる男性を手に入れた、この上ない幸せ者です」
扉が開き、私は式場へ足を踏み出しました。
2025年3月11日 日間総合ランキング
2位になりました!
ありがとうございます(๑˃̵ᴗ˂̵)
3.11の思い出が上書きされていく……
3月12日
びっくりの1位になりました!
本当にありがとうございます!!




