喫茶とまりぎのモノローグ
最近は人通りが減ったけど、あたしが小さい頃は船乗りたちであふれてたのよ。
ここへ来る途中に高架があって地下鉄の駅があったでしょ? あの辺りから南は、埋め立てる前は底の浅い川だったの。
今は東側に港が整備されて、コンテナやなんかを積み下ろせるクレーンがドーンと建ってるけど、昔は大きな船を泊められる場所が無くてね。
船が近付くやいなや、川辺の舟だまりからはしけが我先にとワーッと出て行って、人海戦術ってやつで一斉に荷物をはしけに載せては港まで運んで、降ろして、空になったらまた船の方へ戻ってってな具合でね。
若い人からしたら非効率で手間ばかりかかるように思うだろうけど、昔の人は地形に合わせた工夫をしてたわけだから、悪くない方法だったんじゃないかしら。少なくともうちの店は、大酒のみの船乗りたちのおかげで繁盛してたわけだから。
喫茶店にする前は、この店も含めて通りに何件も船員バーが立ち並んでたのよ。
そこの奥にリラだかギルダーだかドラクマだか、あとどこのか知らないお札やコインがブランデーグラスに突っ込んで置いてあるでしょ? それは、みんなうちがバーだった頃にのみに来たお客さんがチップ代わりに置いてった物よ。
積み荷がコンテナに統一されて、港が整備されてはしけが無用の長物になってしまうと、まるで潮が引くように人通りが減ってね。
商売が傾いてきてどうしようか思ってたら、タイミング悪く旦那にも先立たれてね。いよいよ店を畳まないとダメかと思って、お酒屋さんには悪いけど、バーをやめちゃったの。
それから十年近くはシャッターを下ろしたままだったんだけど、そこへバブル景気がやってきてね。
土地と株は値上がりし続けるとかいう変なうわさが立ったものだから、うちの前の道を目抜き通りとして駅前から再開発して、横文字の店が並んだセンターだかモールだかにしようっていう話が持ち上がってね。
賛成して立ち退いた店もあったみたいだけど、うちは最後まで首を縦に振らなかったの。こんなお祭り騒ぎみたいなもの、そうそう長く続くと思ってなかったからね。
知っての通りめちゃくちゃな好景気は数年で一気に冷めたし、再開発の話も立ち消えになったわけだけど、何も商売してないとまた変な土地転がしに目を付けられると思ったから、喫茶店として店を開けることにしたの。
きっかけは、船員バー時代の常連さんの一人に、ブラジルでコーヒー農園を営んでる日系人の方が居て、喫茶店をするなら開業の手助けをするという申し出があったからよ。
豆のひき方やサイフォンの使い方に始まって、コーヒーをテーマにした小説や音楽の話まで、いろんなことを教わったわ。
喫茶店として再オープンして間もない頃は、その方も一緒にカウンターに立ってたの。しばらくしたら、ブラジルに帰っちゃったけどね。
豆が良かったのか、その方の接客が良かったのか、船員バー時代とは違った客層に常連ができてくれたおかげで、大なり小なり売り上げの変動はあれど、今まで何とかなってるわ。
そうそう、この「とまりぎ」って店名は、船員バー時代から変わってないの。
仕事に行く前やら、待ち人が来る前やら、家に帰る前やらのちょっとした時間に立ち寄って一服して行ってもらいたいって願いが込められてるの。
……あたしの話は、そんなところかしら。
あたしばっかりしゃべってるのはフェアじゃないから、今度は、あんたの話を聞かせてちょうだい。
こんなおばあさんの店に来るくらいだから、何か訳があるんでしょう?