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7. とうとう見つけた

 そのころ小田真一はバイトを終えて清掃会社の事務所に戻ってきた。

 時計を見ると、とっくに講義は終わっていた。大学へは寄らず、このままアパートに帰るしかない。

 彼はあきらめて事務所のソファーに疲れた体をドサリと落とした。これから誰もいないアパートに帰ると思うと気がめいった。完全に五月病である。


「ご苦労さん。これ、飲んでいいわよ」

 社長の奥さんが冷えた缶ジュースを放り投げた。


「ああ、ありがとうございます」

 疲労した体に甘いジュースはありがたかった。

 これだけのことが、一人暮らしの真一にとっては涙が出るほど嬉しかった。それほど家庭的な環境に飢えていたのだ。

 真一が缶のプルタブを開けたところで携帯が鳴った。友人の河野からである。


「もしもし」

「いま渋谷にいるんだけど、すぐに来れるか?」

「うん、ちょうどバイトが終わったところだから、大丈夫だよ」

「とうとう見つけたんだ。本多瑠香が高校時代に付き合ってた男」

「えっ、本当かよ」

「ご注文通り正真正銘、本当の彼氏だ。いやあ、苦労したぜ……」


 河野は付属校ネットワークを駆使して、まず瑠香とセックスしたことのある男が大学にいないか調査した。

 結局そういう男は見つからなかったが、調査の過程で、同じ高校の出身者が理工学部にいることが判明した。

 そいつから野村という元彼氏の存在を聞きだしたのだ。


「すごいな河野! おまえ探偵になれるぞ」

「それでその野村という男とこれから会うんだけど、おまえもすぐに来いよ」

「分かった、渋谷だな」


       〇


 三十分後、真一は渋谷の小洒落たバーにいた。

 オレンジを基調とした間接照明、壁にはダーツの的が並んでいて、天井ではでっかいプロペラが回っている。

 飲むところといえば大衆居酒屋しか知らない真一にとっては別世界に等しい。


「ここはぼくが所属する文学渉猟の会という文芸サークルの行きつけなんだ」

 野村が舌っ足らずの甘い声で言った。線の細い優男タイプだ。彼は現在、渋谷近くの大学に通っていた。


「文芸サークルも渋谷の近くだとえらいおしゃれなんだな」

 真一が感心したように言う。


 実は彼も一度、勧誘されて大学の文芸サークルに顔を出したことがある。

 こっちのほうは講堂前の広場に集まって一升瓶を回し飲みするという、山賊の酒盛りみたいな飲み会だった。

 これからセックスがらみの話をしなきゃいけないわけだから、雰囲気作りには気を使った。軽い下ネタから入って、じょじょに初体験告白大会に持っていく。

 野村はこういう話題に抵抗がないようだった。おそらく文芸サークルで慣れているのだろう。

 まず河野が、中二のときファーストキスで舌を入れてしまい、女の子に泣かれたエピソードを披露した。

 そして完全に嫌われてしまった状態から、高二になっていかに逆転勝利の初体験に持っていったかの涙ぐましい奮闘劇を長々と語った。

 続いて真一が、大学の合格祝いに叔父のおごりでソープランドに連れて行ってもらった話をした。


「ぼくと瑠香が付き合ってたのは、三年の夏休みの一ヶ月くらいだったかな」

 野村もつられて思い出話を始めた。抑揚のない、淡々とした語り口だった。


「二人とも図書委員だったんだけど、彼女、絶対マスクを外さないでしょう。水泳の授業も出たことないんだよ。それで素顔が気になって、ある日、ぶつかるふりをしてパッとマスクを取ってみたんだ。凄い美人なんで驚いたよ」

「それできみのほうから告白したの?」

「そうだよ。そのときから瑠香の顔が忘れられなくなって、夏の初めにね……だけど夏休みが終わるころ、一方的に別れましょう、って言われてそれっきり」

「まあ、とにかく一ヶ月は付き合ったわけだろ?」


 河野は付き合った、という部分を強調した。とにかくそういう人間を見つけ出せたことが嬉しくてたまらないのだ。


「まあね、でもおかしいんだ。彼女の様子を見てると、付き合えと言われたから付き合ったって感じでさ、ぼくに対して最後まで心を開いてくれなかったなあ」

「いま、うちの大学のほうではね、本多瑠香に関しておかしな噂が流れてるんだよ。彼女とセックスした男はみんな死ぬって」

 真一は単刀直入に本題に入った。


「へえ、まるで都市伝説だね」

「ひどい噂だろ? だからこの河野はそれがデタラメであることを証明しようとしてるんだよ。彼女の名誉回復のためにさ」

 本当は真一が持ちかけたゲームなのだが、そのことは黙っていた。


「で、ぶっちゃけどうなの? 野村くんは本多さんと……その……」

 さすがの河野も直接聞くのはためらわれるようだ。


「セックス? したよ」

「ほらみろ! やっぱりそうだ。あれは根も葉もないデマなんだよ」

 河野は賭けに勝って嬉しそうである。


「いや、まだ分からんぞ。たとえばゴムを使ったから大丈夫だったとか」

「おまえ、性病じゃないんだから」

「ゴムありもゴムなしも両方やったよ」

 野村はあくまで淡々としている。


「な? これで分かっただろ」

「うーん、やっぱりそうか」


 真一は賭けに負けた形となった。

 このゲームは政治家の死と瑠香のうわさを結びつけた彼の想像から端を発している。しかし、真一の想像が単なる妄想でしかなかったことが判明したいま、彼は逆にホッとしている自分に気がついた。

 野村の話はさらに続く。


「初めてのとき、ぼくは童貞だったけど彼女は処女じゃなかったから、他にも瑠香とセックスした奴はいると思うよ」

「きみ以外で彼女と付き合ってた人は知ってる?」

 河野は引き続きこの件に関して調査を続けるつもりらしい。


「ぼくは知らないな。瑠香はあまり自分のことは話さなかったし、噂にも聞いたことがないや。たぶん高校以外の誰かと付き合ってたんだと思う」

「でも、まあ、デマに関しては野村くんの話だけで十分証明されてると思うよ」


 真一はこの件に関しては終わったものと見ていた。

 噂はやはり単なるデマだった。

 それよりも不思議なのは野村の淡々とした態度だった。あれほどの美女に捨てられたにしては未練というものが感じられない。


「野村くんは一方的に別れを告げられたんだろ? やっぱりショックだった?」

「それが不思議なんだけど、一回セックスすると彼女に対する執着がうそみたいに消えてしまったんだ。だから別れを切り出されたときも、ああそうか、って感じで割りとすんなりと受けいれたんだよなあ」

「それじゃ、もう彼女に未練はないの?」

 野村は黙ってうなずくと、照れくさそうに話題を変えた。


「そうそう、さっきのゴムの話じゃないけど、瑠香と付き合うに当たっては、最初にある条件を突きつけられたんだ」

「条件?」

「セックスはいいけど、絶対にキスしてはいけないって」

「なんだそりゃ?」

「おかしいでしょ、セックスするときでもマスクを被ってるんだよ。あれには参ったなあ、ゴムなしは平気なのにマスクなしは駄目なんだから」

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