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千里香の護身符〜わたしの夫は土地神さま〜  作者: 佐伯瑠璃
第一章 土地神さまと狐の舞
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9、狐の舞は夫婦の舞

 朱実が目を覚ましたのはそれからしばらくしてのこと。目を開けるといつかの記憶と同じ、ふかふかの布団の上だった。


「あ……また、わたし」

「起きたようだな」

「泰然さま。わたし」

「疲労だろう。ひとりで頑張りすぎたのではないか。早くわたしを呼べばよかったものを」

「呼ぶなんて思いつかないですよ。だって、夢かもしれないって思っていたんですから」

「ならばわたしからもっと早くに会いに行くべきだったか。それともあのままここに置いて……いや、それでは刻限を止めたままになるな」


 朱実はぶつぶつ言う泰然をよそに、ゆっくりと布団から体を起こした。そして、何気なく見た自分の姿に絶叫する。


「きゃー! なんで! なんで、どうしてー!」

「朱実何をそんなに、ぐほっ」


 朱実は手元にあった枕を思い切り泰然に投げつけた。そして再び布団の中に潜り込んだ。


「み、み、見ないで!」

「わたしに向かって枕を投げるとは、なんというじゃじゃ馬だ。まあ、そこも気に入っているがな」


 顔色ひとつ変えない泰然に朱実は驚きつつもほっとした。逆上されてもおかしくないことをいきなりしてしまったのだから。


「わたしの着物、脱がして……なにを、したんですか」

「具合が悪そうにしていたのだ。帯を締めたままでは苦しいだろう。襦袢は脱がしていない。裸にしたわけではないぞ。それにあまり騒ぐとまた倒れる」

「でも襦袢の紐、解いてた!」

「うむ。緩めた方がよいのだ」

「よいのだ、じゃなくって!」

「やはり全て脱がせた方がよかったか……」

「ちがーう! もう、やだ。頭痛くなってきた」

「言わんことではない」

「泰然さまのせいですよ。お加代さんは? お加代さんに何か着る物を頼んでください」

「断る」

「えっ」

「朱実はまだ回復していない。もう一度、寝るといい」

「寝ませんよ。ちょ、えっ?」


 泰然は朱実の頭を何度か撫でた。すると不思議と朱実の頭痛は引いていった。まさに神の手である。

 大きな手に撫でられると、たった今までイライラしていた気持ちが嘘のようにおさまった。泰然の手は温かくて、不思議と朱実に安心感を与えた。本当はすぐにここから出たいと思っているのに。


「朱実の心はずっと叫んでいた。お父さんどうして、本当のことを教えてほしいと。何が知りたい。何をそんなに苦しんでいるのだ。朱実、言ってみよ」

「泰然さまは知っているのですか? 母とその……風師様のこと。父はどうして神様だと知っていて祓ってしまったのでしょうか。どうして多田羅では、狐の舞を禁じているの? どうしていつも、曇り空なの……わたしだけ、何も知らない」

「朱実。わたしが話すことを信じられるのか?」

「分からないけど、聞きたい」

「うむ……」


 朱実は布団から顔を半分だけ出して、泰然にそう言った。泰然はしばらく考えていた。何から話すべきか、どう伝えたら朱実は納得がいくのか。


「聞いても朱実の心は晴れないかもしれぬ。むしろ、傷つくことになるやもしれぬが、それでも聞きたいか」

「――はい」

「では、話そう」



 ◇



「風師は朱実の母、舞衣子と結婚を約束していたのだ」

「えっ……風師様がお母さんと」

「まだ朱実が生まれるもっと前。そうだな、舞衣子がまだ十歳(とお)にも満たぬ幼いころだ。土地神だった風師は舞衣子が大人になったら夫婦になろうと約束をした。何も知らない舞衣子は頷いたのだろう。喜んだ風師は舞衣子に印をつけた」

「印って、泰然さまがわたしにつけたアレのこと?」

「そうだ。風師の花は金木犀だ。あやつの季節は秋となる」

「キンモクセイ……あっ」

「心当たりがあるのか」

「お母さんからいつも、金木犀の香りがしたわ。とても優しく香っていた」

「そうか」


 本来、この町を守る神は土地神を含めた4人。

 土地神は常駐しているが他の神は季節ごとに入れ替わるのが基本だ。

 土地神は春を担い、新しい命が芽吹くのを手助けする役割がある。種を蒔き芽が出るのを見守る役目だ。

 夏は鳴神がやってきて芽吹いたそれらを鼓舞し成長を促す役目を持っている。

 秋が風師だ。台風の多いこの国では風師の力が重要だ。育った作物の外的要因を防ぐ役割がある。また、人への疫病も防ぐと言われている。

 冬は水伯が収穫後の眠る大地を守るのである。それぞれに得意な分野があり、それぞれが適切に働いてこそ多田羅町の一年は上手く回るのだ。

 泰然が多田羅に来る前は、風師が土地神で秋だけでなく春までも守っていた。

 しかし、今は風師がいない。もともと4人の神で守るところを3人で守っていたのだ。大事な収穫の季節を担う風師が不在になってのは大変なことである。


「わたしたちにはそれぞれが守るべき季節と花がある。わたしが春の沈丁花、鳴神は夏の梔子(くちなし)、風師が秋の金木犀、水伯は冬の蝋梅(ろうばい)。そして、妻となるものに自分の花の印をつけるのだ」

「妻となる人に、印をつける……お父さんは知っていたのかな」

「ここからは私の推測だ。朱実の父親は風師と舞をする自分の妻に嫉妬していたのではないだろうか。本来は(つがい)で舞うものだからな。側で笛を吹くだけなど、わたしなら耐えられない」

「でも舞うだけなのよ? 耐えられないだなんて」

「朱実は知らないからそう言える。知ればきっと、朱実にも分かるだろう」


 本来は夫婦で舞うという。その舞はあまりにも美しく、多くの人が羨むほどのものだそうだ。


「狐の舞を封印したくなる気持ちは分からんでもない。己の力全てを言霊に乗せて神を祓うほどの嫉妬は並ではないぞ。でなければ人間が神を祓うなど不可能だ」

「どんな舞だったのだろう」

「あの舞なくしては、多田羅の五穀豊穣祭はないに等しい。子孫繁栄もしかり。現に若者は町を出て行っている。そうだろう?」

「同級生はみんな他県の大学に進んだわ。たぶん戻ってこない。田舎は働く場所がないし、出会いもないって言われているから」

「でも朱実は残った」

「だってこの町が好きだから。お母さんがお父さんと守ってきたこの神社が好きなの。町のみんなもいい人たちばかりよ。それなのにこんなことに」


 朱実は瞳にうっすらと涙を浮かべていた。大好きなこの町が、父と母と神の間に起きたことで大変なことになってしまった。それが悲しくて申し訳なかったからだ。


「だったら、わたしと狐の舞をやってみないか。この町を守りたいのだろう? 風師不在で秋を守るのは容易(たやす)くない。しかし、やらなければ来年はもっとひどくなる。今はわたしの妻になれとは言うまい。まずはこの町のために試してみないか」

「泰然さまは舞えるの?」

「ほう、疑っているのだな。舞など寝起きでも完璧にこなせる。ただ、難しいのだ」

「難しい?」

「朱実と心をひとつにしなければ、ただの道化師だ。心も身体も互いを信じ合わなければならない」

「そう、なんだ」

「とにかく、今は体を休めなさい。それからどうするか考えることだ。無理強いはしない。心が向かなければ祈りは届かぬからな。さあ、目を閉じておやすみ」

「泰然…さ、ま」


 泰然が朱実の頭を撫でると、すぐに睡魔が襲ってきた。それにはどうしても抗えない。

 朱実は再び深い眠りについた。



 ◇



 朱実は夢を見ていた。

 深紅の着物に緋色の袴、真白の汗杉(かざみ)に赤い飾り紐を結んで神楽殿に立っている。


 シャリン シャリン……ドン ドン


 狐の舞の始まりの合図だ。

 神前で一礼をすると、背中に気配を感じた。朱実の知っている気配だ。

 ゆっくりと振り返ると、やはり思った通りの人物がいた。不機嫌そうに口を引き結んだ泰然である。

 しかしなぜかほっとする。

 泰然は紫色の差袴(さしこ)に萌葱色の狩衣を着ている。


(泰然さま、すてき……なんなの、狡い)


 その姿は疑うことなく立派で、思わず見惚れてしまうほどだ。その仏頂面も悪くないのではないかと思えた。


「朱実、手を」


 言われるがまま右手を伸ばした。


「これが本当の狐の舞だ」


 面こそ付けてはいないが、身体は自然と動いた。いつもの舞を始めたつもりが、いつもと違った。朱実のすぐ近くで泰然が舞う。

 天に向かって腕を伸ばせば、重なるように泰然も伸ばす。その指先に導かれるように朱実は委ねた。心も体も驚くほどに柔らかく、しなやかに動く。

 背中に泰然を感じながらいると、感じたことのない喜びや慈しみが溢れてきた。


「朱実はこの町の人々を愛しなさい。わたしは人々を愛する朱実を、愛そう。この命が消えゆく日まで、悪しきものから守ると誓う。わたしが朱実の愛するもの全てを愛し、憎きものは退けよう。この、土地神の名に恥じぬよう」

「泰然さま」

「何も言うな。ただ、わたしを信じるだけでいい」


 シャリン シャリン…シャリン


 二人は重なるように舞っていた。朱実の伸ばす手も、しなる腰も、(かし)げる(こうべ)も、泰然だけへと向けられる。目を細めた泰然の中に、愛おしさだけが残っていた。


(これが、本当の狐の舞なのね。わたしを包み込むような泰然さまの狐の舞……)


 朱実の心は、とても満たされていた。


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