視線
住めば都。どこで住んでも日常は日常で。
朝起きて仕事して夜になったら寝るわけで。
美容師としてやる仕事はどこで生きていても同じなわけで。
鏡の前のお客様にご挨拶。
ご要望を聞いたら早速手を動かしていく。
今日のお客様は髪の太さと量が半端ない。
時間内に終わるようにいつもよりハイペースでハサミを入れていく。
物いいたげに鏡越しにじっと見つめられてもハサミを動かす手は止めない。
次のお客様が来るまでにこの剛毛をなんとか収めなくては。
ちょきちょきちょき。
日本人にしても強いコシのある髪は油断するとハサミからつるんと逃れてしまう。
しっかりと指の間に挟んで長さを揃えていく。
「お兄さんはドイツ長いの?」
「いえ、私は来てまだ半年ですね。お客様はドイツに長いんですか?」
自分の手が止まるような頭を使う質問はしない。
じっと見つめられているのを感じるけれど手先から視線をずらさない。
ちょきちょきちょき。
当たり障りのない質問。
視線を感じても決して手を止めてはいけない。
ちょきちょきちょき。
「うん。10年以上になるよね」
「けっこうこちらにいらっしゃるんですね」
ちょきちょきちょき。
「そうそう。でも周りの友達の日本人も結構こっちが長い人多いからね。」
「よく会われるんですか?」
ジッーっと見つめられる。
ちょきちょきちょき。
「うん。この前もドイツに長く住む日本人たちとご飯食べてたんだよね。
それでね、日本の夏は怖いって話になったの」
「へー夏休みだからですかね。お盆時期」
視線を毛先からそらせば俺を見つめる目がそこにあるのが分かる。
だから集中を切らさない。
ちょきちょきちょき。
「うん。夏の怪談、幽霊とかさ、そういうのお盆の時期とか。なんか夜道を一人で歩いてたり、夜中に目が覚めてぞくぞくするじゃない。
でもさ、ドイツに住んでるとそういうのがないんだよね。
みんなもそう言ってたんだけど」
「そうですか」
さらに集中して手を動かす。
ちょきちょきちょき。
「その場に5人居たんだけどね。みんな同意見。
幽霊って波長が合う人に見えるって言うじゃん。
やっぱり日本人は外国人だからこっちの幽霊と波長が合わないのかなって」
「あるかもですねー」
鏡越しの視線を感じながらも仕事に集中。
ちょきちょきちょき。
「まぁさ、日本に帰るとあぁもう普通の日本人とは感覚ちがってきてるなぁ、って思うんだけどもね。でもさ、どんなに長くドイツに居てもやっぱり日本のご飯が恋しいから日本人なんだよねぇ」
「そうですね」
視線を感じながら。
ちょきちょきちょき。
「でもさ、日本のお通しってシステムは嫌だよね。
毎回一人300円くらいお通し代払うわけじゃん。
ドイツではそういうのがないから日本で居酒屋入ってお通し取られるのって地味にいやで。
なんだか里帰りした時、居酒屋でやたらとお通し代、間違えて多く取られることが多いってのもあるんだけどさ。
酔っ払ってるから支払いの時気づかないことが多くてね。
あとから気づいて、あーもーっまた多く取られてた!てなるんだよねぇ」
「そういうの、いやですよね」
返事をしながらも集中。
ちょきちょきちょき。
「でしょ?」
「きづかないですもんねぇ」
仕上がりを見て、うなずきながら微調整。
ちょきちょきちょき。
「でしょ?」
「さ、うしろこんな感じでよろしいでしょうか」
お客様に合わせ鏡で確認してもらう。
「はい。大丈夫です」
「お疲れさまです。ありがとうございました」
鏡越しにじっとみつめられる。そして合わせ鏡の中からも飛んでくる視線。
「お会計あちらでお願いします」
頭を深く下げてご挨拶をする。
お客様が店を出ていかれたの確認して大きくため息をつく。
『俺の波長がずれるのはいつかなぁ』
店をでて遠くなっていくお客様の背中と手足にまとわりつき離れない人影達をみてひとりごちた。
読んで頂きありがとうございました。
主人公が日本人の感覚からずれたらこのお客さんのように日本の幽霊を見ることがなくなるのでしょうね。
何人ひっついていたのかは不明です。