02 世界の変容
エジプトのスフィンクスでは、過去の異常水位の痕跡が発見され、横に並ぶピラミッドとの製作年代に疑問が持たれている。
大洪水の痕跡は世界中の伝説に残されているが、世界規模で起きたのか、一部で起きた物が避難者により世界中に広まったのかは、定かではない。
昨今の異常気象は人間の排出ガスや環境破壊のせいと言われているが、五百年前の記録すら伝承していない地域が多い世界で、この現象が昨今のみに起きているとは断言しにくい。
地球温暖化で赤道直下では島が沈む程の海面上昇も、日本程の緯度になると港町でも実感は難しい。
20世紀になってから、凍死者が出たアメリカや中国の異常低温も、17世紀のイギリスのテムズ川や、アメリカのニューヨーク湾が凍ったという記録からすると、今さらかと言う気になる。
【氷河期到来】と叫ぶ人を冷ややかな目で見てしまう。
致死率の高い病気の発生や蔓延も、村々の交流が少なかった昔を考えれば、飛行機や船で世界中を飛び回る人々がいる近年だから広がり、周知になっているだけかも知れない。
つまりは、世紀末思想的発言は、視野狭窄な思考操作の疑念を持たざるをえないと言う話だ。
だが、全否定するのもマタ、視野狭窄な行為に過ぎないが。
正しい答えは見つからない。
ソレは神の身でない人間だからなのだろう。
だから、昨今の人間の変容も、周期的な自然の成り行きと見えない事もない。
特に呪詛や怨霊話が横行していた平安時代も、同じ様に呪力に秀でた者が多く居たのかも知れない。
『一種の【先祖がえり】だろう』とは、穏健派の人の見解だ。
故意に遺伝的霊能力を維持していた一族から見ると、世間に急に霊能力者が増えた現状は明らかだったが、その原因までは掴めていない。
また、その霊能力者の一部が肉体的変容した事も、昔の【鬼】や【餓鬼】の記述を見る限りでは、ソレにまつわる【先祖がえり】の一部である可能性がある。
だからと言って放置はできない。
肉体の変容は精神をも変容させ、多くの場合は犯罪へと至る。
古より、悪しき鬼や餓鬼の退治は検非違使や陰陽師の仕事であり、現代においては警視庁の警官や、宮内庁の特務課の扱いとなる。
校門を出た賀茂重蔵の携帯に、一通のメールが届いた。
「何だよ!駅前じゃねえか?」
メールは一部の関係者に送られる事件の情報で、日本各地のものが送信されてくる。
いつもは読みとばして消しているが、流石にメールの内容が通学経路では見過ごせなかった。
関わりたくはないが、身近で騒ぎが起きている事を放置する事も芳しくはない。
この手の事件は連鎖的に発動する事が少なくない。
「ましてや、さっきの奴が・・・」
メールには、駅前の銀行で立て籠り事件が発生し、既に人死にも出ている。
犯人は鬼化しており、幻術で警官隊の銃弾が当たらないらしい。
駅前は事件のヤジウマでごった返し、通行規制もひかれていて電車に乗るのにも一時間待ちとラインでクラスメイトが流している。
彼は携帯にアドレス登録していない、ある番号にかけた。
「ああ、保則さん?重蔵ですけど今のメールだけど、手配はされてるんだよね?近くだから困るんだけど?」
名前呼びなのは、相手も【賀茂】だからだ。
「ああ?重蔵か。その駅前銀行の件は急がせているが、手の空いている上級者が近くに居なくてな。そうだ近くなら、お前行ってくれないか?」
「高校生にやらせる気かよ」
「お前も元服済みだろう」
藪を突付いて蛇を出した。
電話するべきでは無かったと重蔵は後悔した。
聞く範囲では、猫の手も借りたい状況なのだろう。
下手に能力がある者は、本人の意思に関わらず圧力がかかる。
陰陽師が守っている平安時代の慣わしでは既に成人している年齢の重蔵は、修行を終えているし、その能力の高さから卒業後は宮内庁行きを本家から命じられていた。
ゆえに、保則と双方が携帯アドレス等を交換していたのだ。
メールが来るのも、ソレに起因している。
庁に出入りする為のIDも持たされているくらいだ。
重蔵は、身の回りの穢れを祓う為に、常時最低限の物は持ち歩いている。
今の手持ちでも、鬼だろうと動きを止めるくらいはできるので、あとは警官隊に狙撃を任せれば良いのだが、重蔵としては関わりたくはなかった。
「近所だからこそ、顔バレはマズイんですよ」
「警官隊にはIDで確認したら顔を見ない様に手配する。宮内庁入りを延期してやってもいい。だから手を貸せ」
「庁入りを取り止めてはくれないんですか?まぁ、仕方ないか。その条件、忘れないで下さいよ」
保則の権限にしては譲歩した方だと言う事が、重蔵にも理解はできている。
ここ十年近く人手の足りない陰陽師としては、実力のある能力者を手離す事などできないのだ。
彼は財布から、有名書店のメンバーズカードに偽装した一枚を取りだし、両面に貼られたシールを剥がす。
このカードは宮内庁IDカードの面と、国内でクレジットカードとして使える面で出来ており、陰陽師としての必要経費の補填に使える様になっている。
近くの小さな洋品店に入ると、そのカードで大きめのパーカーとフェイスタオルを購入した。
通学に使っているザックから退魔用品の袋を出すと、ザックを背負い、タオルをマスク代りにして、その上からパーカーを着込む。
かえって怪しい人物と化しているが、知人でも区別はつかないだろう。
『・・・ん行現場か・く員へ通達。・内庁からの応援が来る。顔を確認・ず・・通す事を厳守せよ。繰り返す。駅前銀行・・各員・・・・・』
「無線の調子が悪いな」
「ああ。この手の現場だとイツモだ」
通行規制をしていた二人の警官が、話していた。
彼等の回りには、テレビカメラやスマホで撮影する人達でごった返している。
そんな中を、白いパーカーで頭を覆い、目だけ出した人物が人混みを掻き分け、封鎖用のテープを潜って入ってきた。
「おいおい、君っ!一般人は立入り禁止だ。出たまえ」
「宮内庁から通達が来てるはずだが?」
「何を訳の分からない事を言っている?」
警官は、あからさまに怪しい人物の肩を押さえて、フードを剥いだ。
「学生か?ふざけるのもいい加減にしろ」
「顔を見るなと言われている筈だが?」
重蔵はIDカードを提示した。顔の部分は指で隠してある。
もう一人の警官がIDカードを覗き込み、重蔵を押さえている警官を引き剥がした。
「やめろ。コイツは本物だ」
「まさか?」
警官から解放された重蔵は、フードをかぶり直した。
カメラには後姿なので、顔バレは無いだろう。
「人手不足なんだとよ。ソレよりアンタ、佐伯巡査か?アンタ島流しになるよ」
「・・・・・なんで俺の名前を・・・・」
呆然とする佐伯をよそに、重蔵はもう一人の警官に近付く。
「最近の警官は、謝罪もできないのか?学生以下だな。で、加藤巡査か?アンタの無線機を貸してくれ」
「あっ、はい。」
都内では文字通りの【島流し】の単語に、怯まない警官はいない。
加藤巡査は、言われるままに無線機を手渡した。
「えーっ、警察関係者各位。宮内庁から応援に来ました。白パーカーですがアホな巡査みたいに邪魔しないでもらえると助かります」
『お、応援に感謝する。白パーカー?銀行に向かっているのが君か?』
「そうですよ。非常勤なんで顔バレ厳禁です」
重蔵は、無線機を腰のベルトに付け、パーカーの襟首にマイクを挟んで、銀行へと入っていった。