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ばあちゃんがボケて自分の事を「ランボー」だと思い込んでいた話

作者: 著聞集 賢二

 ばあちゃんがボケた。

 坂道に足を取られ左足を骨折してから、ベッドでの寝たきり生活が続いていたのが原因だろう。

 最初のうちはさっきから同じことばかり喋るな、くらいの感覚であったが、1日1日と物忘れの酷さは増していき、1週間と経たないうちに先ほど食べた朝食すらも覚えていない状態にまでなってしまった。


 で、我が一家を一番悩ませたボケの症状というのが、ばあちゃんが時々自分を「ランボー」だと思っていることであった。


 ばあちゃんが自分を「ランボー」だと錯覚しているこの「ランボー」だが、もちろん「乱暴」とういことでは決してない。

 シルベスター・スタローン主演の映画「ランボー」の主人公ジョン・ランボー、それを指している。

 いつの間にかばあちゃんはランボーになっていた。


 なぜばあちゃんが自分をランボーだと思い込み始めたか、理由はある程度分かる。

 元々ばあちゃんはランボーが大好きだったのだ。

 ボケる前のばあちゃんにランボーが好きなのかシルベスター・スタローンが好きなのか聞いてみたことがある。どっちも好きと言っていた。

 思い返してみれば、ばあちゃんは自室のテレビでちょくちょくランボー見ていたし、多い時週に2回くらい見てたんじゃないだろうか。いやもっと観ていた気がする。ばあちゃんの部屋からちょいちょいスタローンの咆哮と銃声が聞こえてきていた。

 とここまで書いてきてふと思ったのだが、もうこの時点でばあちゃんはボケていたのではないのだろうか?まあ今となっては骨折のせいでボケたのかランボーの見過ぎでボケたのか知る由もないが。

 

 そんなわけでランボーになってしまったばあちゃんだったが、その異変に最初に気が付いたのは母さんだった。

 母さん曰くボケが酷くなってからのばあちゃんは、前まで嫌がらなかったシャワーを極端に嫌がるようになり、無理にシャワーを浴びせようとする母さんをいじわる保安官だと罵っていた。

 またばあちゃんは経験もしていないベトナム戦争の話をよくするようになった。

 一緒に戦った友人はアメリカが開発した新型の化学兵器によって死んだだの、ベトナムのゲリラ兵にロケット弾撃ち込まれただの同じような話をよくするようになった。

 さもほんの数年前までベトナムで戦っていた兵士のようにありもしない記憶を語り続けるばあちゃんに対し、ついに父さんは家族会議の招集をかけた。


 家族会議で出された結論は以下の通り。

 1、すぐに病院に連れていく。

 2、介護施設等への入所はまだ考えていない。

 3、生活の介護については訪問ヘルパーを利用しながら経過を見る。

 4、ばあちゃんを侵食するランボー化はもう諦める。

 

 我が家はランボーに敗北した。


 警察の取調室に連れて行く気だろと外出を拒否するランボーもとい、ばあちゃんを病院に連行していくと、検査の結果ばあちゃんの病名が知らされた。

 「脳軟化症」ざっくり言うとばあちゃんの脳みそはどんどん溶けて使い物にならなくなっていってるらしい。

 医師からはばあちゃんはだいぶ症状が進行しており、歳も歳ゆえ残りもそう長くないとの事が伝えられた。

 父さんはある程度の覚悟はしていたと言い、ばあちゃんの今後については薬の投与と自宅での療養で最後まで見届けるとの事。母さんも俺も弟も反対することはなく、家族全員がばあちゃんの最後を看取るつもりでいた。


 ばあちゃんがボケ始めて1か月ほどが経過すると、ばあちゃんは本格的に寝たきりになってしまい、食事や風呂トイレ以外では自分の足で立たなくなってしまった。

 こうなってしまった以上ボケは進むばかりだし、我々家族としても半ば諦めのような空気が漂っていた。

 ばあちゃんのボケが進んでいくといよいよ現実とランボーが区別つかなくなってきたようで、ベトナム兵に腹を撃たれたとか、カミソリ持った警察に追われているといったうわ言を叫ぶようになってきた。

 度々錯乱するばあちゃんの元へ行き、「ベトナム兵はもう一人残らず死んだ」「アメリカの警察はカミソリじゃなくて今はトンファーを持ってる」「シャワーをかけてくるのは意地悪な保安官じゃなくただのヘルパーさん」となだめてやると落ち着きを取り戻し、ばあちゃんは死ぬように寝た。

 ある時ばあちゃんは「私の銃がない。保安官と戦えない」と叫んでいた。この危機的状況を救い出したのは我が弟であった。弟は自分の部屋にある昔買ったエアガンをばあちゃんのところへ持っていくとばあちゃんにそれを握らせた。嬉々としながらこれで保安官を殺せるだの物騒なことを言いながらばあちゃんはエアガンを握り締めながらそのうち寝た。それ以降はばあちゃんの枕元はにエアガンが常においてあり、しばしばやってきたヘルパーさんに銃口を向けて楽しんでいたようだった。

 また時折ランボーが観たいとばあちゃんが言いうのでその度にDVDを再生してあげると一緒に観ようとばあちゃんに言われた。俺はばあちゃんが寝るまで隣でランボーを観ていた。おかげで特技の一つにランボーの暗唱が追加された。


 介護生活から3か月程経つと、ばあちゃんが起きてる時間のほうが少なくなってきており、言葉を交わすことも少なくなってきていた。

 いよいよ最期の時が近いであろうことはもはや家族間いわずとも皆が察していた。

 ばあちゃんが俺と父さんの区別がつかなくなったのも丁度この辺りの事である。


 ある日ばあちゃんに呼ばれて部屋へ行くとばあちゃんが引き出しの一番上を開けるようにお願いしてきた。

 引き出しの中には印鑑や古い家族の写真、それから死んだじいちゃんの形見がいくつか入っていた。

 その中の小さい小箱を持ってくるように言われたのでばあちゃんの目の前に持っていってあげた。

 中には腕時計が入っていた。

 Grand Seiko じいちゃんが生前身に着けていた時計。

 時計と手に取り眺めていたばあちゃんは俺の手を手繰り寄せると、そっと時計を握りこませてきた。

 

「もうおじいちゃんはいないからね。ばあちゃん持ってても仕方ないんだよ。だからこの時計はアンタが使ってあげなさい。おじいちゃん、きっと喜ぶからね」


 ああ、もうばあちゃん死ぬんだな。なんとなく、そう思った。

 俺はばあちゃんの手を握りながら眠るまで一緒にいた。

 その後俺は時計を元の場所へ戻した。きっとばあちゃんは明日にはこのことも覚えていないから。


 3日後の事だった。昼頃からばあちゃんはしきりに鰻が食べたいと言い続けていた。

 ばあちゃんが食事のリクエストをするなんてここ最近では一切なかったので驚きもあったが、意識のハッキリしていることに感動もあった。

 リクエスト通り夕飯は鰻が出ることになり、普段帰りの遅い父さんも食卓に鰻が出ると聞いたからなのかいつもより早く帰ってきた。

 ちびちびとザリガニみたいに鰻を食べてるばあちゃんはしきりにうめぇうめぇと呟いていた。

「章宏、うめぇか?」俺を見て言うばあちゃん。違う、章宏は父さんだよ。

 うめぇ。俺が言うとばあちゃんはニコニコしながら自分の鰻を俺の皿によこした。

「カズや、うめぇか?」弟を見てばあちゃんが言う。違う違うカズは俺。

 弟がうめぇと言うと、ばあちゃんは笑顔で鰻をあげていた。

 ばあちゃんは半分も食べられなかったが、満足したようでさっさと寝てしまった。

 

 次の日、ばあちゃんは死んでた。

 

 発見したのは母さん。いつも通り朝ごはん食べさせるためにばあちゃんを起こしに行ったら、もうすでに冷たくなってたようだ。

 ドタドタと廊下を走る音が聞こえたら、血相変えた母さんが「おばあちゃん死んでる!」とリビングに飛び込んできた。

 眠りこけている弟を叩き起こし家族全員でばあちゃんの部屋に行った。


「かあさん?」

 父さんが呟く。

 返事はない。

 呼びかけたくなる程、まだ寝てるだけなんじゃないかってくらいの死顔だった。

 手を握ると冷たい。

 しわがれた皮膚はゴムみたいな無機質さを感じた。

 死んだんだなぁ。ようやく分かった。

 

 享年89歳。2020年6月4日逝去。死因 たぶん、鰻が美味しかったから。

 

 それからは早かった。かかりつけ医に連絡。死亡診断書。死亡届。葬儀の手配。

 みるみるうちに何もかもが終わっていく。

 父さんは忙しそうだったが、なんというか、こうもことがあっさりと進んでいくものなのかと思った。

 1週間程だろうか、ばあちゃんが棺に入れられひんやりさせられてる姿を見るのは。

 俺たちが喪服に袖を通すのも。


 かかりつけ医も大往生だと太鼓判。家族みんなと鰻食って死んだと坊さんにも言ったらこれ以上なく幸せな最期だったろうと言っていた。俺もそうだと思う。

 親戚も多くは集めず、ごく小規模な家族葬を済ませた。

 葬式は人生で初めての事だったが、思った以上にあっさりと終わった。

 ばあちゃんが死んでからここまで、家族のだれも涙流すことなく、笑顔で送り出していた。

 でも最後、焼かれるときだけは違った。

 死体といえどもそこにいたばあちゃんが無くなってしまう所を目の当たりにすると、ようやく人が死んだことを実感した。

 ようやく、ばあちゃんが死んだことが現実になった気がした。

 涙がこぼれていた。

 俺も、母さんも、父さんも、弟も。

 みんな同じだったんだろうな。ようやく。ようやく。終えることができた。


 骨なんかちょこっとも残ってなかった。でも高齢女性は大体そうらしい。

 骨壺にサラサラと流し込まれていく遺灰には正直何も感じなかった。

 なんかもう、そこには何もないなって。そんな感じだった。


 そんなこんなでこの話も終わり。誰かが死んでも残された人の生活は依然と変わらず過ぎてゆく。

 そんなものなのかもしれない。そうするために葬式はあるのかもしれない。

 でも、せめてこんなに面白いばあちゃんがいたんだぜって残したくて書いてみた。

 

 というわけでこの小説とも言えない稚拙な文章をばあちゃんとシルベスター・スタローンに捧げて終わります。


 あと棺にランボーのDVDは入れることはできなかったのでスタローンの写真プリントして入れておきました。

7割事実、3割誇張です。

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