老女は飲む!
「おいしいー!」
クゥゥゥゥ……!と、大振りな酒器を両手で支えながら、一気に空にしたアン。
……、は?幾ら薄い酒とはいえ、ひと息で空けた?ウソ!蟒蛇か?まさかの。
ゴクンと乙女の様に慎ましく飲むラーナは、とんでもない婆さんかも!と腰が引ける。
彼が彼女の要望に応える為に選んだ店。ザワザワ、がやがや。朗らかな明るい笑い声、話し声、異国の旋律が流れる酒も飯も旨いと評判の店。
三毛猫亭の夜は賑やかだ。
肉が焼ける香ばしい香り、カチャカチャ。女給がエプロンを揺らし紅を引いた口元を綻ばせ皿を運ぶ。おい!お代わり!お客の声に、はーい!と愛想よく響く声。
シャンシャン、シャララ、踊り子のタンバリンの音。タタタン、タタタッ、指でリズム取る太鼓の音。
異国の旋律に合わせ、しゃなりと黒猫の様にしなやかにステップを踏み、フウワフウワと薄絹を揺らし、香木の風を広め踊りつつ、鮮やかな染爪をした手のタンバリンを、シャンシャン奏でる黒い髪の美姫。
賑やかな店で酒が飲みたいと言っていた彼女。その住まいで暮らしぶりを想像した死神は、恐らく酒などろくに飲んだ事は無いだろうと考え、甘く薄い酒を選んだったのだが。
「甘い酒ですね!葡萄酒はそれ程良いものではありませんが、でもスパイスとフルーツが、良い塩梅で漬け込んであり上等になってます!お代わりを」
「酒の味がわかるの?」
恐る恐る問いかけるラーナ。達者な老婆はハキハキと答える。
「ええ。うふふ、私はこう見えても強いですよ。これ位の薄さでしたら、美味しいお茶です。おや?変わったお料理ですね。このボルドー色したのは何ですの?」
茶……。それを聞き、この先を少しばかり案じる彼は、実はここでも冥界でもそれ程、酒は強くない。
テーブルに並ぶ、この店の名物料理の数々。臓物のパイ、揚げた芋、白い皿の上にはぽってり太いボルドー色したソーセージ、添えられている果物のソースと黄色いマスタードと薄く切られた黒いパン。
「豚の血と脂で作ったソーセージさ、薄く切ってパンに乗せて、ソースと一緒に食べたら美味しいのだが、シスターって、酒飲むのか?あそこで?」
言われた通りにナイフで薄く切る彼女。
「フフン、食事の後の香草茶、時折、ミルク。そしてこっそり主の血をね。フフ……」
いたずらっぽく笑い話すとパンに乗せ、ソースをたらすと口に運ぶ彼女。
「主の?それって洗礼に使う葡萄酒なんじゃ……」
「ええ、血は葡萄酒。肉はパン。時折ですけどね、どうしようも無く、ムシャクシャした時、憂さ晴らしに、こっそり盗み飲みしてたのです。ホホホホ、これ美味しい!」
盗み飲み……。上品な老女からのまさかの言葉に、頭が痛くなりそうな彼。
「私も人間という事なのです。巷では聖女とか徳の高いシスターとか称されてましたけど、ああ、ありがとう」
運ばれてきた新しい酒を受け取ると早速、グビグビ飲み干す彼女。
「あら?ラーナはお酒は苦手ですの?神様ですのに」
「んあ?そ、そんな事は無い!人間界の酒等、どうってことは無い!」
タンバリンの音に誘われたのか。
太鼓の音色に踊らせられたのか。
老婆の飲みっぷりにあてられたのか。
気がつけば彼も勢いよく器を空にしていた。
★★★
――、「ふう!美味しかった!これで心置きなく……!まあ!まだ外は夜です!」
三毛猫亭の外に出るなり、アンは目を丸くする。
「そんなに早く朝は来ない……」
顔色を緑に変えて教えるラーナ。少し歩こうと、ふらつく足元に気合いを入れて進む彼。
酔い醒ましがてら、まだ夜早い路地裏を並んでゆるりと歩く。すれ違う人々。家路へつくもの、仕事に出るもの。
道端では歌を唄い、楽器を奏でる姿もある。帽子を逆さに置いて喜捨を求める彼等達。姿を見かけるとアンは、少しばかり立ち止まり耳を傾けてから、巾着からコインを取り出し気前よく入れる。
そして話を交わす二人。
「街は少しばかり時の流れが遅いのかと思いました。あそこでは、食事と夜の祈りの時間が終えると、私は部屋で手紙を読み、返事を書き、報告書を読み込み、対策を考えて……、そして帳簿に収支をつけて、神に祈りを捧げ、眠ると直に朝でした。あっという間ですよ」
「それはそれは、お忙しい」
オエッと来そうなのを堪えるラーナ。その向こうに水場がてらの噴水があったっけ?と街並みを思い出す。
「ええ、忙しい日々でした。神に仕えて祈り、孤児院の子供たちに文字を教えて共に遊び、そして修道院の経営、薬草園と施療院の管理。もう、目の回る様な毎日でした」
懐かしく思い出しながら、ゆっくりと歩く彼女。
「ほんとにねぇ、院長となればずっと独り。若い時はそれでも皆と一緒に大食堂で食べられたのに、そりゃ無言ですよ、でも、誰かと一緒に食べるというのはとても大切。パンと野菜のスープだけでも、美味しいと思えたのです」
執務の合間を縫い、運ばれる食事を感謝の祈り捧げた後、独り口に詰め込んでいた日々。カラン。置かれた銅の皿。バイオリン弾きにコインを一枚。
「ふーん、それはそれは……」
ああ、少し酒を抜かないとオエッとなる。ここで出したら死神としての恥!プライドのみに支えられ、目的地へと進むラーナ。
「そう、若い時は情熱の全てを捧げました。楽しかった。やればやる程、良い結果に結びつく。それはそのまま私の評価になるのですから。孤児院の子供達が大人になり成功し、家族と共に訪れてくれる時は、それはもう良い気分でしたよ」
院長先生!院長先生。子らの声がアンの耳に蘇る。連れられるままに、右へ左へ曲がり歩く夜の道。これ迄、こうして、自分の事をつらつらと、他者に話す事など無かったアンは、言葉が次々出て来る事に驚く。
「少しばかり私も酔ってるのかもしれない。こんななんでもない話をするなんて、迷惑なら言ってくださいな、年寄の戯言なのですから」
「ん?別に構わない、私とそんな他愛の無い話をする人間とは、随分会ってない」
「それならいいけど、何時の頃かしら、髪が白くなり、細くなり、抜け始めた頃ね。祈りの声も聖歌の声も、ハリがなくしゃがれてきた事に気がついた時、独り食事を摂るのが寂しくなった。可笑しいでしょう?」
眠っても疲れを取る事が出来なくなった。無理がきかなくなる。若い世代に職務を手伝って貰う事も多くなった時、アンはあの場所に安楽椅子をひとつ置いた。それ迄、暮らすのに最低限の物しか、誂える事が無かった彼女。
「ふーん……。そんなもんかね。街で食べた事とか無かったのか?自由になる金が無かったとか?」
「いいえ、私にもちゃんと決められたお給金は有りました。それは決められた中ではありますが、自由に使っても良いのです。でも私の立場だと、それを使うのは街に来た折に施しをするか、孤児院の子供達に贈り物をするか……、ちょいと贅沢をして、上等の羽根ペンとインクを買うか、それ位です。だから休む事が多くなった頃に、街で見かけたあの椅子をひとつ買ったのです。そこから街を見下ろすのが楽しかったから」
あの辺りにあの子がいるかしら。そう思って眺めてた、遠くに広がる街並み。夜になると灯りがポツポツと浮かび上がり、それが地上の星の様に見えたアン。
「病になり、寝台で眠るのがどうにも苦しい時は安楽椅子で過ごしました。うつうつと眠り、目を覚ますと、街に灯りがあるのです。昔の暮らしで少しだけ知ってました。夜、大人は着飾りお酒を飲んだりして遊ぶ世界が有ると言う事を」
「ふーん、それで夜遊びしたかった……」
オオウ!喉元に盛り上がる不吉な何か。それを意思の力を総動員をし押さえつけると、もう少し!頑張るのだ!叱咤激励を己にかけるラーナ。
本当ならば術を使い、そこにひと息に飛びたかったのたが、嬉しそう自分の事をに話すアンに気持ちが惹かれて、ゆるゆると歩調をあわせている。
「そうなのです。そう。楽しくてそれに、とても美味しかったですわね!あの様に大っぴらに、お酒が頂けるなんて!何たる幸せ!主に感謝をしなければ……」
感謝の祈りの言葉を呟く彼女。星は静かに瞬き、煉瓦作りのアパルトメントの窓には団欒の灯り。時折開け放たれた窓から声が降るふる。
話が途切れる。少しばかり疲れを感じたアンは、心を静める為に小さくアリアを口ずさんでいると。
「すまないが、少しばかりここで待っててくれ」
ボワン!白い顔を緑色にしたラーナが煙を立てると、蛙の姿になり、慌ててポチャン。たどり着いた水場の噴水に、小さな飛沫を上げた。
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