三十四話 嫌な奴が帰ったらとりあえず塩をまく
「―――ふぅ、塩撒きオッケー。これでもう大丈夫でしょ」
と、大量の塩をまき終わった真は両手を叩き、手に残った塩を落とす。喫茶店の店長が店の前に塩をまくなど、異様な光景ではあるものの、それだけに先ほどの男は、真の逆鱗に触れすぎたのだった。
「それで……なんで篤史君はあんなに落ち込んでるの?」
と、店の奥の席で項垂れている篤史を指さしながら、真は問いをなげた。
『篤史さんは以前、正当防衛とはいえ数人の不良を病院送りにして、変な噂がたってましたから。そのせいで、色々と苦労してたんです。それ以降、なるべく暴力には頼らないようにしていたらしいんですが、それがさっき、感情的になって相手を殴ったために、滅茶苦茶後悔しているのかな、と』
「なるほど。つまり、友里ちゃんが脳内リサイタルを発動した次の日のテンションと同じってことね」
『まぁそれはそうなんですが、なんですかね。その悪意がありそうなたとえは』
しかも、事実であるがために、否定できないところがまた痛い。
そんな友里を他所に、真は篤史の傍にいき、話しかけた。
「篤史君、さっきはありがとうね。私のこと、かばってくれて。殴られたところ、大丈夫?」
「あ、いや。大丈夫っすよ。俺、頑丈なのが取り柄なんで……あー、そのそれで、店長。何かすみません。勝手なことして……しかも、相手の顔面を殴ってしまって……」
「大丈夫よ。もし何かいちゃもんつけてきたら、あっちが先に殴ったっていえばいいし。ちゃんと店内にある監視カメラで撮れてるはずだから」
「監視カメラって……いや、まぁ、最近は物騒な世の中なので、当然と言えば当然ですけど」
監視カメラのことが本当なら、徹が先にしかけてきたというのは証明できるだろう。
まぁ、それでもあの時、篤史が顔面に拳を叩き込んだのは、ちょっと学習能力がないと言われても仕方ないことではあるが。
「それにしても、さっきの篤史君、かっこよかったわ~。これなら私なんかがでしゃばるまでもなく、篤史君に全部任せてもよかったかもねぇ」
「いやいや、何言ってんですか。さっきのはどこの誰が見ても、店長のおかげでしょう。っというか、あいつが殴ろうとしなかったら、俺が出ていく必要もなかったですし」
店についた時、既に話し合っていた二人の会話を篤史はしっかりと聞いていた。そして同時に、徹の馬鹿げた頭の悪さも、真の芯が通っている台詞も、全部理解している。
だからこそ、思った。
ああ、この人は本当に『大人』なんだな、と。だからこそ、そんな人をあんな男に傷つけさせるわけにはいかなかったのだ。
『まぁ、いざという時は、私の脳内カラオケをお見舞いするつもりでしたが』
「それは流石にダメだろ」
「そうよ。後片付けが面倒でしょ?」
「店長。そういう問題ではないかと……」
何故だろう。今の会話で、この親子が世間からズレているのが、より一層理解できた篤史なのであった。
「あ、あの……店長」
そこへ。
気まずそうな顔をした楓が、ようやく会話に入ってくる。
「す、すみませんっ、わ、私のせいで、ご迷惑をおかけして……」
「? ああ、気にしない気にしない。別にあんなののことなんかどうでもいいし。それより、大丈夫? 気分悪くなってない? なんなら、私の胸触る?」
『おいコラ変態親父。何妙なこと言ってるんですか。それ、立派なセクハラ発言ですよ?』
「やだもう、冗談よ、冗談。ジョークが通じない女子は、モテないわよ?」
『そんなキモイジョークでモテるモテないが決めれれば世の中もっとうまく回ってますよ。篤史さんからもこのダメ父に何か言ってやってください』
「いや、そんなこと言われてもな……」
そういうお前も同じくらい、いやそれ以上にダメ、というか残念だろうが。
と心の中で呟くものの、篤史は敢えて口にはしなかった。
しかし、真の言葉を聞いても、楓はどこか所在なさげな口調で続ける。
「で、でも……」
「でもじゃない。貴方は私の大事な従業員で、私の娘の大事な友達なんだから。それに私、あれくらいで、どうこうなるようなヤワな奴じゃないのよ? だから、これからも困ったことがあったら、ちゃんと言いなさい。そして頼りなさい。私からすれば、貴方たちはまだまだ子供なんだから。そして、その子供を守って、導いてあげるのが、大人の務めなの」
そう、優しく真は言って、楓の肩に手を置いた。
彼が言っていることは、何ら特別なことではない。大人が子供を守るのは当然のこと。そういう、普通の事柄を口にしているだけだ。
けれど、いいやだからこそ。
今の楓にとっては、何よりも響くものだった。
「……、ひっ……ぐ」
「あ、あらやだどうしたの? ちょ、私なにかまずいこと言った?」
『いや、まずいどころか、さっきの豹変ぶりを見て、色々と思うところがあったのでは? お父さん、キレると人が変わったかのように口調が荒くなるし、あと言葉が聞いててうざいものになりますし』
「いや、それをお前が言うか」
怒った時に、散々マシンガントークをぶつける少女のセリフではないだろうに。
そんなツッコミを他所に、楓は言葉を紡ぐ。
「ち、ちが……違うんです……これは、その、怖かったとか、そういうのじゃなくて……ただ、皆が、優しくて……あったかくて……それで……」
自分のせいで、色々と迷惑をかけているというのに、目の前にいる人たちは、まるでそれを気にせず、普通に接してくれる。
以前の学校にいた者たちならば、絶対にありえないことだった。
自分の立場を守るために、平気で手のひらを返し、時には蹴落す。そんな現実を見た楓だからこそ、今の自分を受け止めてくれる彼らの存在が、とても嬉しく思う。
だからこその涙。
そんな楓の姿を見て、三人は小さな微笑みを浮かべたのであった。
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